一話 港町ポート・パティマス
「港街が見えたぞ!」
程々に日もくれてきた頃、マストの天辺から、カンカンと響くような声が轟き、船内から十数名のもと兵士達がわらわらと這い出てきた。最初から柵付近にいたフランシスだったが、後ろから来る遠慮のない男たちに押されて仕方なく一段低い甲板まで降り、船員含め、全員が見つめる方向を見た。
微かに影が見える。海に向かってやや突き出たような特徴的な形で、次々におおっ、と声が上がっている。フランシスも例外ではなかった。遥か遠くに見える影を、無意識の内に皆は呼んだ。
――港街ポート・パティマス、と。
王国を影で支える数多の港街の中でも有数の大きさと収益を秘めた街。少なくとも男、フランシスはそう聞いていた。実際に目にしてみれば、その名に恥じぬ威容があると見え、フランシスはこれから先の事さえ一瞬忘れ、綺麗だと思った。
海鳥達が船を歓迎するように周りを飛ぶ。海を見やるフランシスの傍らにも併走するように海鳥が近付いてきた。フランシスはちらりとソレを見やったが、特に反応せずにまた街に目を向けた。
風が吹いている。目に、古傷に、沁みる潮風ではない。遥か遠くに見えるはずの街の――そう、言うなれば喧騒の香りを乗せた南風だった。
「ご客人。後、数刻程で付きますで、もうちとお待ちくだせぇ」
そんな男へ向かって、副船長――あくまでも自称らしいが――が、不意に話しかけた。どうも、退屈そうにしているフランシスに気付いたらしい。フランシスはチラリと一瞥をくれてから、あぁ、胡乱気に答えた。
そこでフランシスははて、と思った。この男、自称だろうと副船長のはず。何故、こん所に? フランシスがそこまで考えた所で、副船長がボリボリと頭を掻いて言った。
「あっしもこの辺ですと仕事がねぇんで、のんびりさせてくだせぇ」
ふけがボロボロと飛ぶものだから、思わず一歩フランシスは横に避けた。ふぅん、と適当な返事一つ、彼はまた海に視線を向けた。副船長も気にしていない様子で傍らに並んで海を眺めた。不意に、一羽のカモメが柵に掴まった。
気がつけばだれも気づかぬまま、不思議な雰囲気で、男二人にカモメ一匹が海を眺めていた。
お互いが何を考えているのか分からず、そして分かろうともしてはいない。邪険に扱う気にもなれず、結局無言のまま互いに不干渉を保っている。しかしながらその奇妙な沈黙は、悪くない雰囲気を湛えていた。
そんな雰囲気も、ふとした拍子にパッと消えた。フランシスが顔を上げれば、港街ポート・パティマスはもう目と鼻の先であったからだ。副船長は仕事を果たす為に離れ、カモメは群れの飛行に戻るため飛び立った。
取り残されたフランシスも、しかし何を思うことも無く、纏めた荷物を持って来る為に部屋へ引っ込んだ。下船はそろそろであった。
それからは特に問題もなく、フランシスは下船する事になる。一気に密度を増した人ごみの中で、副船長が手を振っていたのを尻目に、フランシスは何とかそこを抜け出して行く。手を振り返さないのは、斧が引っ掛かって難癖を付けられたくないからだ。何とか雑踏を抜け切った後、フランシスも軽く手を振り返した。
広がる景色は海模様。広大な海に面するからなのか、人通りは酷く多い。随分栄えているようだった。
まず男の視界に飛び込んだのは、喧騒渦巻く露店市だ。沢山の者達が天幕を開き、道行く人を大声で誘惑する。その様子は、まるで口だけで切った張ったの大勝負を繰り広げているかのよう。見慣れない風景に戸惑うが、これも悪くないと男は思い直した。
但し、もうそろそろ夜も近い、とフランシスは天を仰いだ。日は西へ沈みこみ、橙色の空を尚紅く染めていく。しかし、街の喧騒はそうとも知らぬ様に、治まる気配を見せなかった。今日泊まる宿もない男は、そそくさと雑踏を後にした。
日も暮れ、すっかり夜の帳の下りた住宅の裏通り。彼はブーツを不満げに鳴らした。この街を出て野営するぐらいしか無さそうだったからだ。様々な宿を回った男だったが、懐の寂しい男が泊れそうな所はなかった。
フランシスの持つ斧や、その他の愛着のある品を売り払えば、辛うじて三、四日は持つだろう。しかし、それが切れて、或いは盗まれてしまえば晴れて一文無し。男の意地がそれを許さなかった。
不意に、ジャク、ジャクと土をふみ染めていた音が止まった。ひょいっと頭を上げた彼の耳に、剣戟の音が聞こえたからだ。今は無き戦場を思い出し、神経を研ぎ澄ました。そっと、腰の片手斧、背の盾を抜いた。どちらも市販品だが、実用に耐えうるだけで男には充分だった。
片手斧は、長さは大体フランシスの肘から先より少し長い程度だろうか。先にはギラついた刃が付いている。盾は木製の丸盾。戦場では良く見られる、一般的な装備であった。
争っているのが誰かを見定めて、武器をふんだくれば小金にはなるだろうか? そんなちっぽけな打算を胸に、彼は音の発生源へ向かった。




