十話 戦勝、煤けた背中
一つの戦いが終焉を告げ、代わりにフランシスは戦場へと踊りこむ。既に大きく数を減らした早風団は、士気が下がって降伏する者もいる。だが、大部分は自分が碌な目に会わない事が分かっていて、必死の抵抗をしている。何人か、こちら側の犠牲者も出ている。早く終わらせるに越した事はなかったと言えよう。
怖じ気付いた様に一歩たたらを踏んだ男を盾で叩き伏せ、斧でその頭を割る。メルディゴがそっくり敵に回ったような恐ろしさに、早風団残党は怖気ずく。
それを逃さぬとばかり、老兵ウォルス、新鋭ケンドリックが切り込む。消耗した者、負傷した者たちは森へ下がり、代わりに交代要員が前に出る。フランシスの勝利、そしてメルディゴの死で士気の上昇した義勇団側。士気も無くなり、指揮系統も混乱。もはや崩壊しかけの早風団。
勝ち負けは既に決したと言って良い。戦術的にみても、勝利は揺るぎない。
しかし人は、存外生き汚い。しぶとい、と言った方がいいか。それはメルディゴが証明した様に、生命力の強さであり、そして生を諦めない精神の強さでもある。
だが、そんな抵抗も、会議に参加した五人の内、最も強いと断言してもいいフランシスが"戦闘"から"戦場"に戻れば話は別だ。一騎当千とまではいかないまでも、決して届かない高み。数の優位で押しつぶそうにもそれは失われて久しい。
早風団倒壊は目前。
その中で、一人の男は呆然としていた。
終わり行く戦場で、その男――イルクスは、自分の失った物をかみ締めている、と言った方が良かったか。青天の霹靂を、唯見ている他無かった男である。
盗賊稼業を始めたのは二年前、夏の日であった、と記憶している。
戦争が終わって手持ち無沙汰になっても、イルクスはメルディゴの背に付き従っていた。村に、つまり徴兵される前の一般人であった頃から、イルクスは彼の弟分であった。そして、イルクスもそれを拒もうとはせず、喜んでいた。
ある日付き従っているメルディゴが戦場に行くとなり、己も付いて行こうと心に決めた。初めての戦場では散々であったが、それでも兄貴分である男は頼もしく、だからこそイルクスは生きていられた。
戦いで、自分の兄貴分が負ける事はないと。そうずっと考えてきた彼だからこそ、この出来事が青天の霹靂であったのだ。
血塗れで、真っ赤な目を見開き、それでも尚嬉々として笑う男を傍らで抱きかかえている。不思議と、イルクスに「置いていかれた」という感覚は無かった。卑屈な男であり、唯の凡夫であり。そして、メルディゴに付き従う男は、一人涙も流さずに死を見つめた。
「メルディゴの兄貴、ィ」
静かに、思いの篭った声で呟いたイルクスは、次の瞬間、自らの舌を噛み切った。噛み切られた衝撃で丸まった舌が、イルクスの喉を詰まらせ、死に至らしめようとする。口から血を吐きながら、男は声無き声で呟いた。
――あっしも、お供しやすぜェ。
遥か地獄で二人が出会う事ができたか。誰一人としてそれを知ることは無くても。二人の消える命を笑う事などできる筈も無かった。
戦場が終わる。多くの血を流した戦いも潰えれば、残るは空虚な犠牲と、生き残った者の安堵だけだ。その中でフランシスは、一人座りもせずに立ち竦んでいる。
まだ戦場なのではないか。誰かが、自分を射殺さんと弓引いているのではないか。誰かが、その刃を自らへ突き刺さんとしているのではないか。フランシスは今、意味も根拠もない想像に戦々恐々としていた。
フランシスは。名も無き戦場の鬼は、その実誰よりも戦場を恐がっている。自分の身が、魂が。そして、親しい知己の誰かの魂が神の気まぐれよりも不意に失われる。そんな戦場を、誰よりも嫌っていると言っても過言ではないのがフランシスである。
傭兵――戦争屋であるその稼業を行う事を決めても、その考えは決して揺らがない。
「フランシス」
背中から呼びかける声を聞いても尚、既に過去へと化した戦場で警戒を解く事は無かった。が、次に肩を叩かれながら呼びかけられた時に、ふっと気は緩んだ。
「フランシス。……お疲れさま、だ」
それは衛兵バラトカであった。ノールとウォルスは遠巻きにフランシスを眺めている。ケンドリックもバラトカに続くようにバシバシと背を叩いて「勝ったな、団長!」と言った。
その体には幾つか傷があるが、本人は元気その物だ。振り返ったフランシスはそんな様子にふっと微笑んだ。そうだ、勝ったのだ、と不意に思う。もうこの場に敵はいないのだ、とそう言い聞かせて、体もようやく回転させた。
顔数の減った面々を並び見た彼は、戦場の時と同じように、その手に持ったのを掲げた。
「勝ち鬨を上げろ! ――俺達の勝利だ!」
その声はすぐに、歓声に潰される事になる。
これが彼の背を追う中で、傭兵として初めて戦った記録となる。後にも先にも、参謀抜きで彼が戦ったのはこの戦である。そしてこの戦いを、衛兵バラトカは後にこう語っている。
「戦いに勝利した英雄には見えぬ程、彼の背は煤けて見えた」
その言葉はある意味、フランシスの心を見抜いていると言っても過言ではない言葉であった。




