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Side 稲葉妙子

 魔物相手の訓練は嫌と言うほどやらされたけれど、最後の訓練まで人を殺める事は無かった。それなのに、宣言されたとおり私たちは前線(国境線)へと送られてきた。

 前線とは言えこれから開戦の狼煙を上げるのだから静かなところだ。気付かれないようにと移動は迅速かつ整然と行われることになり、外を見る事も許されなかったこともあって場所の見当もつかない。静かな森の中に息を潜めるように座らされ、装備の確認が終われば味気ない携帯食を食べて寝るように言われた。


 すでに私達の中では会話らしいものは交わされなくなっている。

 去勢されたのは自業自得なはずなのに、その怒りの矛先は香織(かおり)さんに向けられて殴られ続けている。兵士たちは死なない程度に傍観していて、動けなくなるころに止めに入ると私に治療を命令してくる。

 治療するのは構わないけれど、そんな魔力の無駄遣いは止めて欲しい。けれど進言したって聞いてはくれないだろうし、矛先がこちらに向けられても困るので黙って従っている。

 香織さんは私の治療を素直に受けるけれど、感謝されることも無く睨みつけてくるだけだ。治療も手を抜いてやろうかとも思ったけれど、それで彼女だけ戦闘に参加しなくなるのも癪で手を抜く事もできない。本当にイライラさせられる。


 夜明けとともに開戦の狼煙が上がった。


 私たち5人を先頭に、総勢百名ほどの兵士が敵国の監視拠点に奇襲をかけた。

 魔法で見張り櫓を破壊し、門を打ち破って雪崩れ込んでの肉弾戦を仕掛ける。魔族は魔法戦が得意らしいけれど、肉体的には強くは無いようで近接戦闘は苦手なのだと聞いていた。だからこその奇襲なはずだったのに、フタを開けてみれば味方のだらしなさが目に余る結果となった。


 私たちは突入して間もなく冒険者風の団体に包囲され、瞬く間に本体から離されてしまっていた。冒険者風の男たちは戦いなれた様子で、前衛職である3人を翻弄して追い込んでゆく。決して致命傷にならないように手加減されているのは、後ろから治癒魔法(ヒール)を放つ私には手に取るように分かった。

 香織さんは敵に切りかかるけれども、全ていなされて押し返される始末。省吾(しょうご)さんの攻撃魔法は全て弾かれ魔力切れで気絶してしまった。翔太(しょうた)さんはそれでも頑張って切り結んでいたけれど、遊ばれている感じが敵の表情からも来て取れる。裕也(ゆうや)さんが剣を折られたところで降伏せざるを得なかった。

 気付けば味方の本体は撤退したようで、剣を打ち合う音はすでに聞こえては来ない。


「さて、降伏してもらおうか。なに、命までは取るつもりもない。素直に武器を捨ててくれたまえ」


 囲みを割って現れた男がそう提案してきて、私は素直に持っていた杖とナイフを放り出した。香織さんも剣を手放し足元に転がしたけれど、それが気絶している省吾さんの近くだったのは反撃を意図しているのかもしれない。

 裕也さんは折れた剣を握りしめて震えていた。悔しさからなのか怒りからなのかは、下を向いた後ろ姿からは窺い知ることは出来なかった。

 翔太さんがひとつ溜息をついて剣を手放そうとした瞬間、裕也さんが折れた剣を話しかけてきた男に投げつけた。と同時に翔太さんが剣を握りなおして切りかかった。


「ヒュッ!」


 どこからか飛来した2本の矢が裕也さんと翔太さんの頭に突き刺さり、2人が崩れ落ちるように倒れこんだのを見たところで、私は意識を手放した。


 気が付けば馬車に揺られて移動していた。もちろん手枷と足枷をはめられ、逃げられないようにしたうえで転がされている状態だった。近くには香織さんと省吾さんが膝を抱えるようにして座っている。敷き藁のクッションがあったとはいえ、よくも寝れていた物だと思う。


「あとの2人は?」

「死んだよ。見ていただろ? 後ろの馬車に積んでもらっているから、一緒に帰れるそうだ」

「帰るって?」

「魔族の男が言うには、元の世界に戻るための手段を持っているそうだ。それを使って僕らを戻してくれるそうだよ。彼らにしてみれば異世界から来た余所者に、国の運命を左右されたくは無いのだと。戻れるのはありがたいが、死体と一緒なんて御免なんだけどね」


 俄かには信じられない話だけれど、戻れるならばなんだって良い。死体と一緒だったって矢が刺さった物だったら、私たちが疑われることなんて無いはずだ。

 早く帰りたい。

 早く、お父さんやお母さんに会いたい。

 こんな所からは早く居なくなってしまいたい。


 あれから1週間、最低限の食事だけを与えられて馬車に揺られて移動した先で待っていたのは、魔法陣が書かれた小部屋とフードを深くかぶった薄気味悪い男たちだった。


「君らは聖王国に拐された被害者だ。だから我らは君らをもとの世界に送り返してあげたいのだ。この世界の者たちがではなく、聖王国の者どもが野蛮で身勝手な異常者なのだと分かってもらうためにね」

「でしたら、彼ら2人の遺体はこちらで弔ってください」

「それは出来ないよ。弔った魂はこの世界で再び生を受けるのだから、彼らの魂は然るべき世界で新たな生を受ける必要がある」

「でしたら時間を空けてください。向こうで弔う準備をしておかなければなりませんから、その猶予を頂きたいのです。そう、ほんの数時間で構いませんから」


 省吾さんが食い下がっている理由は承知している。一緒に戻ればどうしたって注目を浴びてしまう。いくら氷漬けになっているとは言っても、殺人の疑いだってかけられてしまうだろう。それでは放置もできなければ見て見ぬ振りだって無理だ。私たちは半年以上の期間にわたって行方不明の状態だったのだし、日本では有り得ないこんな粗末な衣服を身に着けているのだ。それなら一緒に戻った方が説明しやすいだろう。

 それでも私が口を出す雰囲気ではないので、黙って成り行きに身を任せる。

 結局は一緒に戻されることになり、魔法陣の中心に座って呪文を聞き流す。次第に光を発し始めた魔法陣に、目を開けていられなくなったところでフッと浮遊感が訪れて落ちていくような錯覚を覚え、それが治まるとライトに照らされたアスファルトやブロック塀が目に飛び込んできた。

 あぁ、帰ってこられた。

 あの地獄のような世界から、私の居るべき場所に、戻ってこられた。




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