0071.夜に属すモノ◇
「死体があるから、こっちに来るんじゃないか」
「捨てろよ、そんなもん!」
「酷い……! フィーガは友達じゃないの!」
少年たちが、息をしなくなった友を抱える少女に詰め寄る。
「同じクラスなだけで友達って、厚かましいだろ」
「死体抱えて、何ほざいてんだ!」
「アタマおかしいんじゃねぇか?」
少女が冷たくなったフィーガを抱きしめ、言い返す。
「何よ、人でなしッ!」
「じゃあどうすんだよ!」
「腐っても、ずっと抱いてくのかッ?」
骨折した少年が問い詰める。
「そ……それは……それは……」
「朝になったらお弔いして、お別れするの!」
フィーガを抱えた少女が口籠ると、別の少女が代わりに食って掛かった。
「君たち、喧嘩は止めなさい」
近くの大人が制止するが、中学生たちはますます激昂した。
「うるせぇ! おっさん、すっこんでろ!」
「死体があるから、雑妖が寄って来るんだろ!」
「魔物が来る前に捨てろよ! 俺たちを殺す気かッ?」
骨折した少年が、少女の髪を掴んで後ろへ引く。
別の少年が、同級生の遺体を強引に奪い取った。
「痛ッ!」
「やめてよ! やめてッ!」
別の少女が遺体に縋りつくが、三人目の少年がその肩を押さえ、別の大人が引き剥がす。
大人たちも、遺体の扱いで意見が割れ、中学生を止めるどころではなくなった。意見の異なる者で怒鳴り、殴り、押し、輪の外へ出されまいと押し返す。
遺体を輪の外へ出そうとする者と、出されまいとする者が、少女の亡き骸を引き合った。髪が抜け、衣服が裂ける。
警官が声を張り上げ制止するが、誰も従わない。手近の者を押さえ、争いの中心に近付こうとするが、遺体を捨てたい者がそれを阻む。
「パニセア・ユニ・フローラ様、どうか我らをお守り下さい」
輪の西側の避難民が跪き、一心に祈りの詞を唱える。
怯えたアマナがクルィーロにしがみつく。
クルィーロは妹を抱きしめ、レノを見た。
レノも妹二人を毛布に包んで抱きしめる。
パン屋の店長は、まだ意識を失ったままだ。そっと手を伸ばして首筋に触れる。脈はあるが、弱かった。今夜一晩、もつかどうか。
護符を持つ少年は南の喧騒に関知せず、運河を見詰め、雑妖の群に【魔除け】の護符を持った手を突きつける。
少年のお陰か、北側……クルィーロたちの背後は、雑妖の層が薄い。
薬師も戦う力を持たないのか、怯えた目で南側の乱闘を見守った。
テロリストと、まだ傷が癒えない大人たちは、北側に身を寄せて静観する。
「あいつらは、死体を求めて群がって来るんだぞ!」
男性の怒声が腹に響く。
懐中電灯や【灯】を点せば、人間の夜襲を受ける惧れがある。
火災の炎に遠巻きにされ、この場所は闇が濃い。
闇の中でも、雑妖は浮かび上がって視えた。
密集する雑妖は、ぶよぶよと定まらない身が圧着し、ひとつの肉壁を成した。虫の脚や羽毛、根や蔓が無秩序に入り混じり、ドブかゴミ溜めのようだ。
少女の遺体を巡って争う一団と、それを制止しようとする警官らが揉み合う。
「死者を冒涜しないで!」
「死体のせいで、俺らが危険に晒されてるんだぞ!」
「死んだ奴はこれ以上、死なねぇよ!」
雑妖の壁は、個体の境もわからない。一塊の雑妖が、一個の意思を持つように、ひとつの目的を持って押し寄せる。
「そんなに死体が大事なら、一緒に出ろよッ!」
「やめて! やめてったらッ!」
「痛いッ!」
怒声と悲鳴が混じり合い、その声を愉しむかのように雑妖の壁が揺れる。
「落ち着きなさい」
「心を鎮めるんだ。諍いや憎しみが奴らを呼び寄せるんだ」
おばさんや警官の声は、人々の激した心に届かない。
揉み合いの中で、少女の一人が体勢を崩し、【簡易結界】の外へ倒れ込む。揉み合う人々がその上に折り重なった。
悲鳴が途切れ、雑妖の塊が雪崩れ込む。
「やっぱ、切れたか……」
クルィーロは、アマナを抱いて立ち上がった。
自分でも思った以上に冷静だ。いや、感情が麻痺しただけかもしれない。幼馴染のレノも、ピナティフィダを促し、エランティスを抱き上げて腰を上げる。
「お……お父さんは……?」
エランティスの呟きに、レノは小さく首を振った。
テロリストや、争いに加わらなかった人々も腰を浮かす。
「清き陽よ、烈夏の日輪、澱み裂き……」
悲鳴と怒号を縫って、警官が【魔滅】の呪文を唱える声が聞こえた。
「こっちだ」
クルィーロは、護符を持つ少年の肩を叩いた。狼狽し、色を失った少年が、クルィーロの指示に光を見出す。言われるまま、淡い光を放つ護符を手に、壊れた【簡易結界】の輪を出た。
その動きに気付き、薬師が呪文を唱える。
「日月星 蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く……」
「こっちです」
ピナティフィダが湖の民と手を繋ぐ。薬師は、女子中学生に手を引かれて呪文を唱え続ける。
「……天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
薬師が結びの言葉を唱えると、淡い光が漣のように広がった。
雑妖の塊が、光の波に押されて道を空ける。
まだ、ちろちろと残り火が躍る街区。その間を通る細い闇。クルィーロと護符を持った少年を先頭に、争いを避けた人々が、闇の小道へ踏み込んだ。
護符の力を恐れ、雑妖の群が次々と道を譲る。
焼け跡から滲み出る雑妖が、薬師の【魔除け】に押し戻される。
輪の南側で争う人々がどうなったのか、振り返る余裕もなく、雑妖の涌き出す街区に挟まれた細道を東へ向かった。
★第三章 あらすじ
二月三日のできごと。
警察署前に号外が置かれた。アウェッラーナは一枚手に取り、息を呑む。
号外「リストヴァー自治区炎上 未明の大火」
自治区の火災は、単なる事故か、テロへの報復か。
午後、役所が手配したバスで、鉄鋼公園に身を寄せていた人々が避難を始める。
バスでの移動中、空襲に見舞われた。
周囲の火勢は衰えを見せず、風向きが変わる度に熱風が吹き寄せる。
そうかと言って、運河に近付き過ぎると、魔物に引きずり込まれる惧れがある。
三方は炎、前方は魔物の巣食う運河、上空には国籍不明の爆撃機。
リストヴァー自治区では、何とか炎から逃げおおせたアミエーラが、仕立屋に身を寄せていた。
避難民とテロリスト。炎に囲まれた人々が、運河の畔で夜を迎える。
※ 登場人物紹介の一行目は呼称。
用語と地名は「野茨の環シリーズ 設定資料」でご確認ください。
【思考する梟】などの術の系統の説明は、「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説07.学派」にあります。
★登場人物紹介
◆湖の民の薬師 アウェッラーナ
湖の民。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
隔世遺伝で一族では唯一の長命人種。外見は十五~十六歳の少女(半世紀の内乱中に生まれ、実年齢は五十八歳)
実家はネーニア島中部の国境付近の街、ゼルノー市ジェリェーゾ区で漁業を営む。
父と姉、兄、甥姪など、身内で支え合って暮らしている。
ゼルノー市ミエーチ区にあるアガート病院に勤務する薬師。
魔法使い。使える術の系統は、【思考する梟】【青き片翼】【漁る伽藍鳥】【霊性の鳩】
呼称のアウェッラーナは「榛」の意。
真名は「ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフ」
◆パン屋の青年 レノ
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。十九歳。濃い茶色の髪の青年。
ネーニア島のゼルノー市スカラー区にあるパン屋「椿屋」の長男。
両親と妹二人の五人家族。パン屋の修行中。
レノは、髪の色と足が速いことからついた呼称。「馴鹿」の意。
◆ピナティフィダ(愛称 ピナ)
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。中学生。二年三組。濃い茶色の髪。
レノの妹、エランティスの姉。しっかりしたお姉さん。
生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。
◆エランティス(愛称 ティス)
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。小学生。五年二組。濃い茶色の髪。
レノとピナティフィダの妹。アマナの同級生。大人しい性格。
生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。
◆工員 クルィーロ
力ある陸の民。フラクシヌス教徒。工場勤務の青年。二十歳。金髪。
パン屋の息子レノの幼馴染で親友。ゼルノー市スカラー区在住。
両親と妹のアマナとの四人家族。
隔世遺伝で、家族の中で一人だけ魔力がある。
魔法使いだが、修行はサボっていた。使える術の系統は、【霊性の鳩】が少しだけ。
呼称のクルィーロは「翼」の意。
◆アマナ
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。クルィーロの妹。金髪。
小学生。五年二組。エランティスの同級生。ゼルノー市スカラー区在住。
生まれた時期に咲いていた花の名を呼称にしている。
◆少年 ローク
力なき陸の民。商業高校の男子生徒。十七歳。ディアファネス家の一人息子。
ゼルノー市セリェブロー区在住。家族とは相容れなくなり、家出する。
祖父たち自治区外の隠れ教徒と、自治区の過激派が結託して、テロを計画していることを知りながら、漫然と放置してしまった。
保身に走り、後悔しがち。
呼称のロークは「角」の意。
◆お針子 アミエーラ
陸の民。キルクルス教徒。十九歳の女性。金髪。青い瞳。仕立屋のお針子。
リストヴァー自治区のバラック地帯在住。
工員の父親と二人暮らし。
呼称のアミエーラは「宿り木」の意。
◆少年兵 モーフ
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の少年兵。十五~十六歳くらい。
リストヴァー自治区のバラック地帯出身。
アミエーラの近所のおばさんの息子。祖母と母、足が不自由な姉とモーフの四人家族。
父は、かなり前に工場の事故で亡くなった。
以前は工場などで下働きをしていた。自分の年齢さえはっきりしない。
貧しい暮らしに嫌気が差し、家出してキルクルス教徒の団体「星の道義勇軍」に入った。
呼称のモーフは「苔」の意。
◆隊長 ソルニャーク
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一部隊の隊長。モーフたちの上官。おっさん。
知識人。冷静な判断力を持つ。
キルクルス教徒だが、狂信はしていない。自爆攻撃には否定的。
陸の民らしい大地と同じ色の髪に、彫の深い精悍な顔立ち。空を映す湖のような瞳は、強い意志と知性の光を宿している。
呼称のソルニャークは「雑草」の意。
◆元トラック運転手 メドヴェージ
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一兵士。おっさん。
リストヴァー自治区のバラック地帯出身。
以前はトラック運転手として、自治区と隣接するゼルノー市グリャージ区の工場を往復していた。
仕事で大怪我をして、ゼルノー市ジェリェーゾ区にある中央市民病院に入院したことがある。
呼称のメドヴェージは「熊」の意。
◆市民病院の呪医
湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
ゼルノー市立中央市民病院に勤務する唯一の呪医。
【青き片翼】学派の術を修め、主に外科領域の治療を担当。
◆葬儀屋
湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
【導く白蝶】学派の術を修めた葬儀屋。
商売柄、服には【魔除け】や【退魔】などの呪文を刺繍してある。
自前の魔力が尽きない限り、この服を着ている間は常時、それらの術が葬儀屋を守っている。




