0070.宵闇に一悶着
「輪の中に居なくていいじゃん」
男子中学生が冷たく言い放ち、女子中学生は、無言でテロリストにキツイ視線を投げた。街を焼く炎に照らされた顔は、陰影が濃い。
少年兵が無言で頷いて腰を浮かす。年配の警官は、その肩を押さえて座らせた。
「気にしなくていい。ここに居なさい。……君たち、そんなことを言うもんじゃない」
「何でだよ!」
「何で、テロリストなんかの肩持つんだよ!」
少年たちが怒りを爆発させた。
「まともな市民を守るのが警察の仕事じゃないか!」
「税金泥棒!」
「お前らうるせぇ。妹が起きたらどうしてくれるんだ」
クルィーロが、極力抑えた声で制止する。
流石に、命の恩人である魔法使いには逆らう気がないのか、中学生たちは口を閉ざした。念の為、言い添える。
「陸の民は混血が進んでるから、力なき民の中にも、作用力がなくて魔法は使えないけど、魔力だけは持ってる奴も居るんだ。テロリストの中にもそう言う奴が居れば、その分、結界は強化される」
クルィーロの説明に、当のテロリストたちが眉を顰めた。
……余計なこと言っちまったかな? ま、いっか。
中学生を見回すと、仲間内で額を寄せ合い、何事か相談し始めた。
すぐに結論が出たのか、何事もなかったかのように静かになる。
警官とテロリストへの詫びの言葉はなく、騒いだことへの謝罪もないが、誰も何も言わなかった。
折角、静かになったものを、わざわざつつく必要はない。小さな礼儀を気にしていられる状況ではないのだ。
クルィーロは心を鎮めようと、細くゆっくり息を吐いた。
「あ、あの、どなたか、魔力に余裕、ありませんか?」
堅パンをくれた少年が、小さな何かを掲げて呼び掛ける。注目は集まったが、誰も何も言わなかった。
少年の手が、落胆に下がりかける頃、魔法使いの警官が応じた。
「……どうしたんだい?」
「ここに【魔除け】のお守りがあるんですけど、【魔力の水晶】とセットでないと発動しないんです。それで……」
「あぁ、魔力の充填か。少しなら、なんとかなりそうだよ」
少年は安堵して年配の警官を見た。警官が少年に頷いてみせ、【簡易結界】の発動後も持ったままだった【水晶】を後輩に渡す。
湖の民の薬師も、少年に提案した。
「あの、充填が終わるまで、護符は私が持ちましょう。発動の時間は、少しでも長い方がいいですから」
少年が、何度も感謝を口にして護符を手渡す。魔力を持つ湖の民の手が触れた途端、小さな護符は真珠色の淡い輝きに包まれた。
……この子、ホント、色んなもん持ち出して来たんだな。
クルィーロは素直に感心した。中学生への怒りが溶けて消える。
空が暗くなるに従い、街を焼く炎も弱まってゆく。
焼け死ぬ心配はなくなったが、今度は寒さが襲ってきた。
炎の陰で雑妖が踊る。光を受けても雑妖の後ろに影はない。
クルィーロは、「この世とあの世の境に属するからだ」と教わったが、真偽の程は誰にもわからなかった。
あれから、爆撃機の音は聞こえない。今日の空襲は終わったようだ。
当面の敵は、雑妖と運河の魔物。
定まった形を成さぬ雑妖が、踊るような動きでじわじわ近付く。
新聞の輪に近い人々が、足を縮め、輪の内に身を寄せた。
雑妖は【簡易結界】に阻まれ、新聞の輪の外を這い回る。
不定形の存在は個体の境界さえ曖昧だ。一塊になった雑妖は、輪に沿って液体のように流れ、壁となって取り囲む。
薬師の傍だけは、その層が薄い。【魔除け】の護符は、小さくてもしっかり効力があった。
クルィーロはアマナを抱え直し、運河を見詰めた。
黒々と流れる水に火災の光が反射する。
対岸は、消防団の働きで、火が消えた範囲がこちらより広かった。残った炎も、赤い舌をちろちろ翻すだけで、こちら側よりずっと弱い。その分、対岸の雑妖は多かった。
ドポン
水音に身が竦む。
顔に影と不安を貼り付けた人々が、息を殺してニェフリート運河を注視する。
どれくらい経ったのか、誰かがほっと息を吐いた。
「魚だよ。……多分」
男性の声で、止まった時が動き、場の空気が緩んだ。
希望を含んだ発言だが、どうやらその通りらしい。運河から上がって来るモノの姿はない。
エランティスが目を覚まし、幼子のようにぐずった。レノが妹に飴を与える。
「あのおばさんにもらったんだ」
「……おばさん、ありがとう」
「いいえぇ。どういたしまして」
けだるい声が礼を言うと、朗らかな声が応じた。
魔力の充填が終わり、警官と薬師が、それぞれ預かった物を返す。少年は【魔除け】の護符と【魔力の水晶】を握り、ニェフリート運河と向き合った。
ピナティフィダが、意識のない父を抱えて俯く。
パン屋のおじさんは目を覚まさない。もしかしなくても、この状況では永遠に目を覚さない可能性が高い。
クルィーロは、暗い予想に沈みそうな心を何とか支え、アマナを抱きしめた。小さな妹を守る為にも、挫ける訳にはゆかなかった。
アマナも目を開いた。小さくなった炎を無言で見詰める。
「起きたのか……もう夜だから、寝とけ」
やわらかな髪を撫で、余計な物を見ないで済むよう、顔を胸に押し当てるように抱き直す。
アマナも素直に甘え、作業服を掴んで兄の胸に頬を寄せた。
天の星々は、地上の様子に関わりなく動き、夜が刻々と更けて行く。
疲れ切って寝息を立てる者もいるが、大半が眠れずにいるようだ。
雑妖の壁が、更に厚く高くなる。
ざわめき、犇めき、後から後から押し寄せ、個体の境さえ曖昧な塊になる。市街地に近い南側は、あっという間に人の背丈を越えた。
熾火のように残る焼け跡の火が、その壁の向こうで透けて見える。
この世ならぬモノの壁は、確かにここに在るが、この世の光を遮らない。
クルィーロは東を見た。
こちらも雑妖が分厚い壁を成すが、南よりも低い。その向こうの街区には、まっすぐ伸びる暗い領域があった。可燃物のない路地だ。
雑妖は焼け跡から湧き、路地を通ってやってくる。
クルィーロがうとうとし始めた時、不意に、左腕の折れた少年が声を発した。
「おい、こいつ、冷てぇ」
「息……してねぇ」
「……死んでる」
少年に続いて、中学生の声が、不吉な言葉を連ねる。
眠れない人々が、輪の南で固まる一団に向き直った。
☆力なき民の中にも、作用力がなくて魔法は使えないけど、魔力だけは持ってる奴も居る……「0060.水晶に注ぐ力」参照




