0485.半視力の視界
「アシーナ、あなたは半視力なのですよ」
「は?」
司祭の宣言に針子の少女がぽかんと口を開ける。
「大抵の人は、物質と霊質の両方がみえますが、あなたには物質しか見えないから、物事の上辺しか見ず、自分の中の弱く邪な部分と向き合うこともできないのですよ」
「司祭様、それじゃ、半視力の人はみんな、魔法使いなんかより悪人だって言ってるみたいですよ? それって酷くありませんか?」
アシーナが居合わせた人々に同意を求める目を向けたが、誰も反応しない。
「アシーナ、私はあなた一人について言っているのです。物事を強引に一般化して、論点をずらして逃げるのはやめなさい」
「でも、司祭様はさっき、私が半視力だからだっておっしゃいましたよね? それってつまり、半視力の人はみんなダメだって」
「仕事柄、アシーナの他にも大勢、半視力の人とお会いしています。彼らの多くは、雑妖の同類に成り下がらぬよう、懸命に努力しています」
「私だって毎週……最近は毎日、教会に通ってお祭りの踊りの練習、頑張ってます」
司祭は、アシーナの反論に厳しい視線を返し、他の半視力の人々の生き方を語った。
「視えないからこそ、自分の中に生まれる悪い考えと向きあい、悩みながら自分自身と闘っているのです」
「私はサロートカと違って、暑くても毎日、夏祭の踊りの練習に参加して一生懸命頑張ってるのに酷いです。どうして私ばっかり、そんなコト言われなくちゃいけないんですか?」
その口から次々と雑妖が飛び出し、教会の敷地内に秘かに組込まれた【退魔】などの力に触れて消えてゆく。
「アシーナ、あなたは形式を整えることに囚われ、器用に上辺を取り繕って人の眼を欺くことばかりに長けていますが、そんなことでは近いうちに身を滅ぼしてしまいますよ」
「司祭様、どうしてそんな酷いコト言って脅かすんですか?」
「脅しではありません。キレイな言葉で誤魔化すのをやめ、正直になるのです。自分の眼で雑妖が視えないなら、心のままに言葉を出しなさい」
「私、これが素の喋り方なんですけど」
アシーナの媚びた視線が上目遣いに司祭を撫で上げる。
司祭は辛抱強く諭した。
「心のままに発した言葉や行動を咎められても、あなたはその人の陰口を言うだけで、自分を省みていません。まずは、自分の中に弱く邪な心があることを認めるところから始めて下さい。そうすれば」
「もういいです!」
アシーナの叫びに、司祭だけでなく、礼拝堂の人々みんなが息を呑んだ。
「みんなで寄って集って私一人をいじめるんなら、私、辞めます!」
アシーナの高く澄んだ声が礼拝堂の天井に響き、雨音と共に降りて来る。その口元からは相変わらず、次々と雑妖が飛び出し、床に届く前に消えてゆく。
誠実な嘆きを含んだ声の美しい響きと、形を成さずどろりと濁ったこの世ならぬ汚泥……雑妖との関係が、俄かには頭の中で結び付かない。
「半視力だからって差別されて泥棒呼ばわりされるとこなんて居られません!」
アシーナは、雑妖を吐き散らして叫ぶと、降りしきる豪雨の中へ飛び出した。開け放たれたままの扉から、大粒の雨が降り込む。
分厚い雨の幕の向こうへ去る後ろ姿を追う者はなかった。
司祭が戸口へ行き、祈りの言葉を唱えて扉を締める。
「すっかり遅くなっちゃったわ。さっさと作業しましょ」
「お騒がせして、誠に申し訳ございません」
クフシーンカが、班長のおばさんに頭を下げる。
「あぁ、いえ、店長さんは何も悪くありませんよ。私らもあの子には色々と……まぁ、ねぇ」
おばさんが言葉を濁し、作業を再開する。菓子屋の夫婦も加わり、遅れを取り戻そうと急いで手を動かした。
クフシーンカは、司祭と二人でウィオラの様子を見に戻る。
ウィオラは眠ったのか、ベッドに横たわって目を閉じていた。部屋には微かに香草茶の残り香が漂う。老いた尼僧とサロートカが、枕元の椅子から立ち上がった。
「開いていますから、私の部屋へどうぞ。ウィオラちゃんは看ておきます」
尼僧に勧められ、三人は扉が開け放たれた隣室に移動した。
「サロートカ、すっかり待たせてごめんなさいね。ウィオラは何か言ってた?」
針子のサロートカは、大地の色の髪を撫で、言い難そうにしたが、黙っていてもウィオラと尼僧の口から伝わると気付いたのか、重い口を開いた。
「ウィオラさんは、ゆっくり休みたいから帰って欲しいって言ったそうなんですけど……折角、親切でお見舞いに来てやったのに、失礼だって言って、帰ってくれなかったそうです」
ウィオラとアシーナには、全く面識がないらしい。
クフシーンカは今日まで、多少、悪事に手を染めても、信仰心があれば更生できると思っていた。
アシーナが大火以前に身体を売っていた件は、知合いの工場長などから聞いた。リストヴァー自治区東部のバラック地帯では、よくある話だ。
衣食足りれば、そんな稼業に身を窶すことも、他人の物に手を付ける必要もなくなる……そう思って始めた救済事業だが、クフシーンカは自分が情けなくなった。
アシーナに限らず、大火の後、救援物資が平等に行き渡ってからも盗みが絶えない。焼け出され、なけなしの救援物資で暮らす人々が、窃盗の被害を受けた話を聞かない日はなかった。
……信心深いなら、聖者様の教えに則って、きちんと学んで技術を身に着けて、聖者様が禁じる愚かな振る舞いなんてしないと思っていたのにね。
アシーナは、聖者キルクルス・ラクテウスの教えを自分の都合のいいように曲解して、他人を陥れ、自分に利する為に悪用した。
「ウィオラさんが、そんな話聞きたくないって言ったのに、アシーナは、店長さんと私の悪口を言って、自分がどんなに不幸か一方的に喋ったそうです。それで、あの、私たちが着いた時、言ってたあれで……ウィオラさんがもらったお見舞いを自分の物にしようとして」
「そう……有難う。サロートカ。あなたにも今まで辛い思いをさせてしまって、ごめんなさいね」
俯いたサロートカが顔を上げ、驚いた目で雇い主のクフシーンカを見る。申し訳なさに震えそうになる声を抑え、クフシーンカは針子の手を取った。
「ごめんなさいね。私が留守の間、あなたがあのコに作業を押しつけられたことも、あのコの盗みを見て苦しんでいるのも、あのコに酷いことを言われたのも、全部知っています」
「店長さん……」
「私はあのコを更生させたくて、なるべく穏やかに諭そうとしたのだけれど」
サロートカの手が、皺深く枯れた手を握り返した。
「ごめんなさいね。あなたにずっと、理不尽な我慢ばかりさせて……アシーナは解雇しました。お店に来ても、絶対に入れてはダメよ」
サロートカは、硬い表情でこくりと頷いた。
その後、三十分ばかりで雨が止み、山で作業した人々が教会に戻って来た。
クフシーンカとサロートカも、報酬の食糧を袋詰めする作業に加わる。後は、配る後ろで詰め続ければ何とかなりそうだ。
「集合住宅の飯場と作りかけのとこで雨宿りさせてもらってたんだ」
まだまだ建設途中で屋根と壁はないが、二階の床が屋根代わりになったと言う。職人たちは飯場で雨を避け、何人かはそこに入れてもらえた。
「教会が汚れると申し訳ないんで、ここで」
人々は礼拝堂の扉の前に並び、今日の報酬……五食分の保存食と飲料水一瓶、ドライフルーツの小袋のセットを受取る。いつもより配布に時間が掛かるが、袋詰めが間に合わなかったので丁度よかった。
最後の一人を送り出し、クフシーンカとサロートカは、菓子屋の車に同乗させてもらって教会を後にする。
……私がもっと強く言えばよかったのかしら? 情けを掛けずに盗みに気付いた時点で警察に突き出せばよかったのかしら?
雲が晴れ、空は明るくなったが、クフシーンカの心は晴れなかった。




