0458.戻らない仲間
レノは耳を疑った。
アマナが泣きながらクルィーロにしがみつく。クルィーロとメドヴェージは、森へ素材を採りに行って昼を過ぎても戻らなかった。二人が無事に呪医たちと帰ってきたのは嬉しいが、その喜びは、大きな不安に吹き飛ばされてしまった。
「アーテルの陸軍って……それ、ホントなんですか?」
湖の民の薬師アウェッラーナが、呪医セプテントリオーに聞く。呪医は、同族の不安に揺れる緑の視線を受け止めて頷いた。
ファーキルがタブレット端末を起動し、街で記録してきた臨時ニュースを読み上げる。
「今日、午後二時過ぎ、我が国の陸軍がネーニア島へ進軍を開始しました。攻撃目標は、ツマーンの森で発見された魔哮砲です。魔哮砲は、ミサイル攻撃でも破壊できなかったことから、魔法生物、または確固たる実体を持たない魔物であると推測されます」
「いや、ちょっと待って。ツマーンの森って、ラクリマリス領だよな?」
レノは思わず読み上げを遮った。小学生のティスとアマナも含め、みんなが硬い表情で頷く。ツマーンの森は、ネーニア島を南北に分けるクブルム山脈の南、ラクリマリス王国領に広がる森だ。
呪医セプテントリオーが、溜め息混じりにみんなを促した。
「ここは暑いでしょう? 中で話しましょう」
レノたちが居るのは、アーテル領ランテルナ島の森に隠された別荘だ。
所有者の親戚だと言う老婦人シルヴァの話では、半世紀の内乱中、力なき民の攻撃から身を守る為に様々な術を施され、外界から隔離されるらしい。
実際、別荘の入口は【幻術】で隠されてただの森にしか見えず、力なき民だけでは、敷地内に入れない。誰か力ある民に手を繋いでもらうか、【魔力の水晶】などの魔力を蓄積させた宝石類を持っていなければ、敷地がある筈の場所へ行っても素通りする。別荘の敷地全体が、存在の位相をずらしてあるからだと言う。
アーテル軍が相手なら、絶対にみつからず、安全な場所だ。
だが、魔装兵が主力のラクリマリス軍が反撃で侵攻するとなると、話は別だ。
「お茶を淹れますから、待ってて下さいね」
薬師アウェッラーナが台所に入った。レノたち兄妹と、針子のアミエーラが手伝いについて行く。アウェッラーナが【操水】の術で沸かした湯に香草の束を挿し込んだ。清涼な香が台所に漂い、茶器を用意する四人はふっと肩の力が抜けた。
みんなの分のカップを持って、先に食堂へ戻る。薬師アウェッラーナは、香草茶を宙に漂わせて四人の後ろを歩く。
「あれっ?」
食卓に並べたティーカップが余った。レノは首を傾げ、改めて人数を数えた。
レノ、ピナ、ティス、クルィーロ、アマナ、アウェッラーナ、アミエーラ、メドヴェージ、ファーキル、呪医、葬儀屋……念の為、二回数えたが、やっぱりカップが五つ余る。
ソルニャーク隊長と少年兵モーフ、ロークが居ない。窓の外で日が傾き始めた。いつもなら、武器職人と呪符職人も一緒に戻る時間だ。
警備員オリョールとゲリラのクリューヴは、力なき民の仲間をネーニア島の拠点からここに送ってくれた後、すぐ帰るから、いつも夕飯の数には入れなかった。
「そう言えば、あっちの拠点に行ったみんな、遅いね」
ピナも気付いた。無理矢理出した明るい声が震える。ティスがピナの手を握り、泣きそうな顔でレノを見上げた。
……隊長さん、作戦の本番は明後日だって言ってたのに?
ネーニア島の拠点で何か問題があったのか。
武闘派ゲリラの荒くれが、ソルニャーク隊長たちに逆らって仲間割れでもしたのか。
老婦人シルヴァが後から連れて来た志願者は、この間、勝手に他の基地や警察署を襲撃しに行ってしまった。だが、ソルニャーク隊長も警備員オリョールも、それを咎めなかったので、特に諍いにはならなかった。
彼らがキルクルス教徒だとバレて戦闘になったのか。
これも、武器職人と呪符職人は、わかった上で遠回しに「バレないように上手くやれ」と言ってくれた。同じネモラリス人として、信用してくれたのだ。
指導者らしき警備員オリョールも、みんなに銃の使い方を手解きし、訓練を施したソルニャーク隊長たちをどうにかするとは思えない。
クブルム山脈の北側に広がるレサルーブの森へ訓練しに行って、強い魔獣と遭遇したのだろうか。
ある程度までなら、普通の銃でも何とかなる。それに、ゲリラに参加する警備員たちは、元々レサルーブの森で薬師の護衛として製薬会社に雇われた魔法戦士だ。あの森の魔獣に負けるとは思えなかった。
問題は幾つも思い浮かぶが、すぐにそれを否定できる材料がみつかる。
……何があったんだ? ローク君も戻らないなんて?
みんなも、空席と余ったカップに落ち付かない視線を向ける。薬師アウェッラーナが、人の居る席だけ香草茶を淹れ、余りをティーポットに注いだ。爽やかな香が不安を和らげてくれたが、不安の原因そのものがなくなる訳ではない。
みんなは、呪医セプテントリオーとファーキル、クルィーロとメドヴェージと空席をちらちら見て、溜め息を吐いた。
まず、クルィーロとメドヴェージが、帰りが遅くなった理由を言って詫びた。みんなはそれを聞いて安心したが、今はそれどころではなかった。
「えーっと……さっきのニュースの続き、読みますね」
ファーキルが、香草茶の香を胸いっぱいに吸い込んで、タブレット端末の表面を撫でた。
続きは、ランテルナ島民に外出を控え、なるべく島の北部へは行かないよう、注意を呼び掛けるだけだ。これからどうなるのか、何の情報もない。
「魔哮砲がみつかったって、ホントなのか?」
レノが左隣に座った幼馴染に聞いた。クルィーロは、曖昧な表情で首を傾げるだけで答えない。
「査察で魔法生物じゃありませんって言ってたのに、どうして今頃?」
「って言うか、何でアーテル軍は、そんなトコに居るって言うんだ?」
薬師アウェッラーナが、タブレット端末で情報収集して来たファーキルに重ねて聞き、レノも腑に落ちない点を口にした。
「さぁな? ラクリマリス王国に喧嘩売る口実かも知れんぞ」
答えないファーキルの代わりに、メドヴェージが物騒なことを言った。
ネモラリス共和国との戦争だけでも、ゲリラの反撃でアーテル共和国の治安が乱れた。
ラクリマリス王国はフラクシヌス教の聖地を擁する。戦争を吹っ掛ければ、周辺のフラクシヌス教国が黙っていないだろう。ラニスタ共和国を除く湖南地方の全ての国……いや、湖東地方のフラクシヌス教国も参戦するかもしれない。湖北地方の国々は鎖国政策を採るが、万が一、湖北七王国まで聖地を守る為、参戦することになれば、大変なことになってしまう。
何故、そんな危険を冒してまで、執拗に魔哮砲を破壊したがるのか。
葬儀屋アゴーニが、険しい顔でみんなを見回す。
「アーテルがラクリマリスと戦争おっぱじめたら、トラックを諦めてでも、ここを出た方がいいだろうな」
「でも、それじゃ、その先どうにも」
レノはあの冬の惨めな日々を思い出し、トラックの放棄に反対した。トラックを容れられる【無尽袋】を手に入れるには、火の雄牛の角などの対価が必要だ。
……隊長さんたち、火の雄牛をみつけて追い掛けてるのかな?
ツマーンの森を貫く道路で、移動販売店のトラックが火の雄牛に遭遇した時は、何ひとつ武器がなく、正体不明の黒い化け物も居たので、逃げるしかなかった。
今、ソルニャーク隊長たちには武器がある。しかも、大勢の武闘派ゲリラが一緒で、本職の魔法戦士が四人も同行する。
レノは、なるべく明るい可能性を想像して、香草茶でも消えない不安を誤魔化した。




