0446.職人とマント
いつから居たのか、クルィーロの背後におっさんが佇む。逞しい体躯は、レースやフリルがたっぷりあしらわれたパステルピンクのワンピースに包まれても、筋肉の隆起が見て取れた。
「そのステキなマント、もっとよく見せてくれないかしら?」
おっさんが、可愛く小首を傾げてみせる。ワンピースと同色のリボンを結んだツインテールの黒髪が揺れた。
クルィーロが言葉を失って固まる。沈黙をどう解釈したのか、服装倒錯者のおっさんは両手を振って釈明した。
「あっ、そのマントが欲しいワケじゃないの。私、魔法の服とか作る職人で、これも私が作ったんだけど、デザインの参考にちょっと見せて欲しいなって思って」
……あぁ、担いでる袋を降ろせって言ってるのか。
ワンピースの裾を可愛い仕草で摘まんでみせるおっさんの要求は、何とか理解できたが、クルィーロは動けなかった。
レースに飾られた分厚い胸板で【編む葦切】学派の徽章が輝く。職人なのは、嘘ではないのだろう。
反応できないクルィーロにおっさんは更に言い募る。
「お昼ご飯まだだったら、ご馳走しちゃうけど、どう?」
「えっ?」
話が旨過ぎて、思わず声を漏らす。女装のおっさんは一瞬、ごつい顔を喜びに輝かせたが、真顔に戻って懇願した。
「最近、デザインがマンネリ化してて困ってたのよ。そのマント、すごくステキなデザインだけど、どこで手に入れたの? もしかして、お兄さん、自分で作ったの?」
「あ、いえ、違います。俺も、知り合いに譲ってもらったんで、製造場所とかはちょっと」
ラクリマリス王国のドーシチ市で、薬師アウェッラーナが学生たちからお礼にもらったものだ。薬師候補生が作ったのか、どこかで購入したかまではわからない。
「そうなの。……ねぇ、見るだけだから、ちょっとだけお時間下さらない?」
「兄ちゃん、渡りに船じゃねぇか。昼飯奢ってもらおうぜ」
メドヴェージが軽い調子で言った。女装のおっさんは、思わぬ加勢に明るい声で聞く。
「あら、お連れさん? ご飯は大勢の方が賑やかで楽しいから、大歓迎よ。美味しいお店知ってるから、何でも好きなの頼んでくれていいわ。どう?」
「えぇっと……ホントにマント見せるだけでそんな……いいんですか?」
「えぇ。私にとってはそのくらい大事なことなの」
クルィーロが頷くと、おっさんはイイ笑顔で、そこの角を曲がったら近道だからとシャッターが下りた店の脇に二人を押し込むようにして、細い通路へ案内した。
おっさんに案内された「美味しいお店」は、店の真ん中に立派な獅子像のある定食屋だ。
「ここの制服も、私が作ったのよ」
「へぇー……可愛らしいもんだな」
メドヴェージが素直に感心する。給仕の女の子たちは、おっさんと似た雰囲気のエプロンドレス姿だ。
……着る人を選べばなぁ。
クルィーロは内心苦笑したが、表情には出さずに聞いた。
「あのー……すみません。地元の方ですよね? 竜胆の看板の呪符屋さんって、ご存知ありませんか?」
「ゲンティウスのお店?」
「店長さんの呼称は知らないんですけど、湖の民のおじさんで、運び屋の女の人が常駐してるとこなんですけど」
「あら、じゃあやっぱり、ゲンティウスのお店だわ。ついでだから、帰りに案内したげる」
「有難うございます」
クルィーロはホッとして、本日のおススメ定食を待つ間、マントを脱いで自称魔法の仕立屋に渡す。店員の態度で常連だとわかった。まさか顔見知りの店でヘンなことはするまい。
……定食屋さんとグルだったら、その時はその時だ。
腹を括って、おっさんの動きを注視する。
おっさんはマントを広げ、背中に刺繍された呪印をじっくり見詰めた。真剣な眼差しが、呪印のひとつひとつを舐めるように辿る。
クルィーロは【編む葦切】学派や【飛翔する鷹】学派の術を知らない。どの呪印がどの呪文に対応するか、色や形にどのくらい自由度があるか、わからなかった。
マンネリ化を云々すると言うことは、呪符や魔法陣とは違い、ある程度は融通が利くのだろう。
メドヴェージがお冷に喉を鳴らし、物珍しげにキョロキョロする。クルィーロもつられて店内を見回した。
立派な獅子像の周囲に四人掛けのテーブル席が配置され、奥の厨房前と入口脇の壁際はカウンター席だ。満席で、給仕の女の子たちが忙しく席の間を行き交う。
……リストヴァー自治区には、こう言う店、なかったのかな?
店内の調度品はどれも年代物だが、手入れが行き届き、清潔で落ち着いた雰囲気を醸し出す。
料理は、ドーシチ市の屋敷のような豪勢な物ではないが、どの客も居心地のいい席で美味そうに口へ運ぶ。
「ひょー、こりゃ美味そうだ」
メドヴェージの声で、女装のおっさんがマントから顔を上げた。
本日のおススメ定食は、魚の揚げ物と温野菜、タマネギのスープとパンだ。おっさんがマントを丁寧に畳んで、隣の空席に置いて微笑む。
「さ、遠慮しないでどんどん召し上がれ」
「いただきます」
薬師アウェッラーナは、呪符屋に納品する薬作りで忙しく、ここしばらく全く魚を獲りに行けない。久し振りの魚料理を前にして、クルィーロはアマナに半分持って帰りたくなった。
……あ、いや。食中毒、ヤベーよ。
すぐに気付き、フォークを手に取る。揚げた切り身は、香辛料たっぷりの衣に包まれ、何の魚だかわからない。思い切って口に入れると、アツアツの魚肉と油と香辛料が一体となり、美味い以外の形容を思いつかない味が口いっぱいに広がった。
空腹だったこともあり、どんどん食が進む。
目の前の皿が空になり、お冷を飲み干してやっと、人心地ついた。おっさんの皿には、まだ三分の一くらい残る。
「あら、いい食べっぷりねぇ。デザートも頼んじゃう?」
「えっ? いえ、流石にそんな」
「いいのよ、いいのよ。私が食べ終わるの待ってる間、ヒマでしょ」
おっさんは給仕の女の子を呼び止め、断る間もなく注文を通した。エプロンドレスをふわりと翻し、給仕の女の子が蝶のように軽やかな足取りで厨房へ戻る。
「何から何まで、すまねぇな」
メドヴェージが眉を下げる。女装のおっさんは、上品な所作で定食を食べ進めながら、片手をひらひら振った。
デザートはブルーベリーのババロアで、甘酸っぱさが疲れた身体に沁み渡った。
……クッキーとかなら、アマナに持って帰ってやれたのにな。
クルィーロはババロアの美味しさに涙が滲んだ。
「あら、お兄さん、甘いのそんな苦手だった?」
「あ……いえ」
言った目尻から涙が一滴こぼれた。
「あぁ、この兄ちゃんにゃ、小せぇ妹が居るんだ。あんまり美味ぇから、妹にも食わせてやりたいんだろうよ」
声を詰まらせた本人に代わって、メドヴェージが説明してくれた。クルィーロが小さく頷くと、女装のおっさんは、まぁ……と呟いて眉根を寄せた。
……俺に【跳躍】が使えたら、今すぐ帰れるのに。
情けなさに言葉も出ない。
実際に魔獣と遭遇しても、戦うどころか、自分の身ひとつロクに守れなかった。
呪医セプテントリオーに付き合ってもらって、あんなに練習した【不可視の盾】を展開することさえ、思いつけなかった。ポケットに入れた【魔滅符】に至っては、存在自体忘れていた。
呪文を唱えるどころか、腰を抜かして逃げることさえ覚束なかった。
バスが通りかからなければ、鮮紅の飛蛇の毒牙に掛かり、肉を食われただろう。しかも、クルィーロは力ある民だ。単に自分一人が死ぬだけでは済まない。その魔力であれを大きく育て、被害を大きくするところだった。
「何だか知らないけど、深い事情があるのね」
女装のおっさんは、何も詮索せず、同情を寄せる。
申し訳ないやら恥ずかしいやらで、クルィーロは肩で涙を拭うと、俯いたままババロアの残りを口に押し込んだ。
折角、奢ってくれたものを残しては申し訳なかった。
☆学生たちからお礼にもらった……「0283.トラック出発」参照
☆呪医セプテントリオーに付き合ってもらって、あんなに練習……「0354.盾の実践訓練」参照




