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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第十九章 進攻

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0444.森に舞う魔獣

 クルィーロが何事か把握するより先に体当たりで草地に転がされた。メドヴェージが頭上の枝に短剣を振るう。

 「こンの野郎ッ!」

 「……なッ……!」

 赤い何かがひらひら動く。目に痛い程の鮮烈な赤。真紅の蛇が空を舞う。蝙蝠に似た皮膜で飛んで、メドヴェージの短剣を(かわ)す。


 ……魔獣。


 やっと認識できたが、半身を起こしただけで呆然と眺める。何も考えられない。頭の中は真っ白だ。

 雨傘くらいの長さ太さの蛇が、蝙蝠の皮膜をはばたかせ、宙で身をくねらせる。真紅の魔獣……鮮紅(せんこう)飛蛇(ひだ)は逃げるどころか、隙を突いて首を伸ばし、メドヴェージに喰らいつこうとする。大きく開いた口の中は暗紫色で、白い牙が木漏れ日に輝く。目立つ二本は毒牙だろうが、他は丸呑みの邪魔になるであろう立派な歯だ。

 メドヴェージが後ろへ跳び退(すさ)り、肉食獣を思わせる歯列が空を噛む。

 「兄ちゃん、大丈夫かッ?」

 「あ……えっ……」

 言葉が出ない。立ち上がることもできず、メドヴェージの背を見上げた。


 トラックの運転手が魔法の短剣を縦横(じゅうおう)に振るい、鮮紅の飛蛇を牽制する。

 クルィーロは周囲を見回した。木立の間に切り株が点在する。ここも時々人の手が入るらしい。今は二人の他、人の姿はなかった。

 魔獣もこの一体だけだ。

 鳥や蝉が鳴りを潜め、メドヴェージの短剣が空を切る音と、草を踏みしめる音だけが聞こえる。


 「兄ちゃん、魔法ッ!」

 メドヴェージが鮮紅の飛蛇から目を逸らさず、短剣を振るいながら叫んだ。


 急に言われても、何の術でどうすればいいか、全く思いつけない。

 木の幹に縋り、何とか立ち上がった。膝が震え、立っていられない。


 メドヴェージがじりじり後退する。空飛ぶ紅い蛇は鞭のように胴をしならせた。短剣が勢いよく振り抜かれる。何の抵抗もなく、皮膜が片方、切り裂かれた。真ん中辺りで横に切られた膜が、はばたきの度にめくれ上がり、蛇の高度が下がる。

 動きが鈍った蛇型の魔獣めがけ、更に短剣が振るわれた。今度は胴に当たった。魔獣が後方へ飛ばされ、体勢を崩す。鱗に覆われた身は無傷だ。宙に浮くせいで勢いが殺されたらしい。


 「ずらかるぞッ!」

 メドヴェージが振り向きざま叫び、落ちた荷物を拾う。

 返事もできないクルィーロは、震える足を励まし、どうにか道路へ向き直った。ほんの十メートルばかり先にアスファルトで舗装された車道が見える。


 「走れッ!」

 メドヴェージに肩を叩かれ、クルィーロは弾かれたように駆けだした。人の手が入った小道で、障害物は特にない。緑濃い木々が視界を圧迫し、ほんの少しの距離が絶望的に遠く感じられる。

 短剣と荷物を持ったメドヴェージがクルィーロを追い越した。

 「兄ちゃん、走れ、走れッ!」

 叫びながら森の小道を駆け抜ける。その声に励まされ、クルィーロも足を前へ前へと動かした。



 一足先に道路へ飛び出したメドヴェージが、短剣を振り回しながら手招きする。クルィーロ自身は走っているつもりだが、足は思うように動いてくれなった。気ばかり焦り、心臓が早鐘を打つ。

 メドヴェージが何か叫び、荷物を放り出して森に飛び込んだ。クルィーロの横をすり抜け、背後に短剣を振るう。

 鈍い音に振り向く間もなく、手首を掴まれた。半ば引きずられて森の外へ連れ出される。


 日射しに炙られたアスファルトの熱気で一瞬、息が止まる。魔法のマントは、暑さ寒さを軽減してくれるが、吸い込む空気の暑さはどうにもならないらしい。頭の一部は妙に冷静で、そんなコトを考える。

 へたり込みそうになるクルィーロの肩が勢いよく叩かれた。

 「仕留められねぇ。拠点へ逃げるぞ」


 クルィーロはどうにか頷き、素材の袋を拾った。メドヴェージに手を引かれ、笑いっぱなしの膝を何とか動かしてその場を離れる。恐ろしくて振り向けない。アスファルトだけを見詰め、機械的に足を前に出した。



 時間の感覚がわからない。どのくらい経ったのか、長いような短いような時間の後、不意にメドヴェージが足を止めた。

 不安に駆られ、クルィーロは顔を上げた。

 メドヴェージは後ろではなく、前を険しい顔で見詰める。

 何があるか聞きたいが、口がカラカラに乾き、かすれた吐息が漏れただけだ。

 クルィーロも前方に目を凝らした。


 ……バス?


 ゼルノー市でもよく見かけた大型の路線バスが近付いて来る。色柄は勿論(もちろん)、故郷で母が通勤に使ったものとは違うが、人間の存在に安堵した瞬間、膝から力が抜けてしまった。

 「おっ、おいッ! 兄ちゃん、しっかりしろッ!」

 メドヴェージが助け起こそうとした。クルィーロ自身、立ち上がって道の端に寄らなければと焦るが、足は他人になったように全く言うことを聞いてくれない。


 バスがゆるゆる速度を落とし、二人の数メートル手前で止まる。前部扉が開き、運転手がマイクで叫んだ。

 「早く乗れッ! 後ろッ! 魔獣だッ!」

 メドヴェージがギョッとして振り向き、息を呑む。運転手が降りてクルィーロに肩を貸す。メドヴェージが「すまねぇ」と会釈し、二人掛かりでクルィーロを車内に運んだ。


 運転席に戻った運転手が扉を閉める。クルィーロとメドヴェージはバスの床にへたり込んだ。フロントガラス越しに、鮮紅(せんこう)飛蛇(ひだ)が暗灰色の道を這って来るのが見える。

 アクセルを踏み込んだ。切り裂かれた皮膜を引きずる蛇型の魔獣との距離が一気に縮まる。道の真ん中に居た魔獣は、バスに轢かれず、車体の下を這って行った。


 運転手は、余計に止まった分の遅れを取り戻そうとするのか、どんどん速度を上げる。無人のバス停や港の廃墟を無言で通過した。



 「運ちゃん、すまねぇ。お陰で命拾いした。申し訳ねぇんだが、俺ら無一文なんだ」

 カーブを曲がり、遠目に街が見えてくる頃、メドヴェージが心底、申し訳なさそうに頭を下げた。やっと自体の深刻さに気付き、クルィーロの額を冷や汗が伝う。


 ……バス代……いや、これ、どうやって帰りゃいいんだ?


 バックミラーに映る運転手の目が笑う。

 「なぁに、人助けできて嬉しいぜ。戦争がおっぱじまってから空気ばっか運んでてな、張り合いがなかったんだ」

 「あぁ、あんたぁ命の恩人だ。バス賃にもなりゃしねぇだろうけどよ、香草茶にする用の草だったらあるんだ。もらってくんねぇか?」

 「俺、魔法使えねぇから、薬草だけもらってもしょうがねぇ。気持ちだけもらっとくぞ」


 メドヴェージは、摘みたての香草が詰まったビニール袋をクルィーロの袋から取り出して、首を横に振った。

 「こいつぁ、水抜きだけで使える。……兄ちゃん、そろそろ落ち着いたか?」

 メドヴェージが香草の袋をクルィーロに握らせ、自分の袋から水筒を取り出す。


 ……香草茶……あ、そうか。


 クルィーロは震える手で、捻って止めただけの袋の口を開き、草の香気を胸いっぱいに吸い込んだ。数秒、息を止めて、ゆっくりと吐き出すと動悸が治まった。手の震えも落ち着く。メドヴェージに差し出された水筒の蓋を普通に受け取れた。水を飲み干して一息つく。口がちゃんと動くようになった。


 「いえ……あの……すごく助かりました。有難うございます。せめてお礼させて下さい」

 クルィーロはやっと礼を言えた。

 「そうかい? でも、あんたたちゃ、そいつを採りに行って襲われたんじゃねぇのか? 命懸けで採ったもん、寄越せなんて言えねぇよ」

 「いやいや、だからこそ、命の恩人の運ちゃんに受け取ってもらいてぇんだ」

 メドヴェージとバスの運転手が押し問答する間に、クルィーロは【操水】の呪文を唱え、一袋分の香草を水抜きした。術がきちんと発動し、香草から抜き取った水分が宙を流れ、水筒の蓋に移る。メドヴェージが受け取り、喉を潤した。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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