0412.運び屋と契約
「はい、確かに。毎度ご利用、有難うございまーす。【無尽袋】とか準備ができたら、いつでも言ってね」
湖の民の運び屋フィアールカが、にっこり笑ってファーキルに領収証と契約書を手渡した。
領収証の署名は、呼称のフィアールカ、項目は旅客運賃。契約書には、運んでもらう十二人の呼称と、行き先のラクリマリス王国内の地名や【跳躍】の条件など必要事項だ。
陸の民の少年ファーキルが単身、ネーニア島のラクリマリス領北西端に運んでもらった時は、契約書など交わさなかった。
ネットで接触して現金で支払い、すぐ【跳躍】したのだ。
今回は、人数が多く運賃は莫大だが履行時期が未定の為、呪符屋が間に入って契約書を作ってくれた。
立会人は呪符屋の店主と呪医セプテントリオー、呪符屋が呼んだ公証人だ。【渡る白鳥】学派の徽章を提げた彼は、契約書の上下の余白に力ある言葉で、契約の履行を強制する呪文を書き込むと、フィアールカとファーキルの手をとって、その上に置いた。
「あなたと、ここに呼称を記された人々のご関係は?」
「俺自身と……旅の仲間です」
「そうですか。それでは私の呪文の後、あなた自身の呼称と、湖南語で結構ですので、お一人お一人に“旅の仲間”と肩書を付けて、呼称を読み上げて下さい」
「はい」
ファーキルが緊張して短く答える。公証人は、湖の民の運び屋フィアールカに向き直った。
「運び屋さんは、私が合図したら、同じようにこのお客さんの呼称と、仲間の皆さんの呼称を読み上げて下さい」
「面倒臭いのね。ま、わかったわ。さっさとやってちょうだい」
公証人は二人の手の甲に掌を重ね、【誓約】の呪文を唱えた。
無事、契約が終わり、公証人が契約書の原本を持って帰ると、呪符屋に残った四人はどっと疲れが出た。運び屋フィアールカが、呪符屋の店主に恨めしそうな声で言う。
「今まで別にこんな堅苦しいコトしなくても、おカネだけ取って何もしないなんて、なかったでしょ」
「ま、そう言うな。こんなご時世だ。何があるかわからんからな」
呪符屋の店主は、運び屋の笑いを含んだ緑の眼を見て肩を竦める。
ファーキルは、大きな用がひとつ片付いて肩の荷が下りた。
動画の広告収入は先月末、ファーキルのウェブマネーの口座に振り込まれた。今まで自分の口座で見たことがない桁数だ。そのほぼ全額をラクリマリス領への【跳躍】代として運び屋に支払った。
無審査で開設できるウェブマネー口座は、取引が不安定な上、背後に居る犯罪組織と共に運営業者が摘発されて口座が潰されたり、業者に丸ごと持ち逃げされるリスクもある。こんなところに資産を置いていても仕方がない。それに元々、動画の広告で得た泡銭だ。
呪符屋の店主には、ウェブマネーでの支払いは信用ならんと一蹴されたが、運び屋の魔女フィアールカは軽いノリで了承した。
……安全な資産に換えられるルートを持ってるんだろうな。
フィアールカは、魔法だけでなく、タブレット端末も使いこなす。
それも、正規契約した端末ではない。違法アプリケーションを導入し、アーテル政府の検閲や規制網を掻い潜り、外国のサイトにも自由にアクセスする。インターネットの闇取引にも精通するらしい。
この緑髪の長命人種は、中学生のファーキルが想像するよりずっと強かなのだ。
ファーキルは、持って来た【無尽袋】の対価の素材を渡した。ほんの一部でしかないが、少しずつ揃えるしかない。
検品を待つ間、ちびちびお茶を飲んだ。麦の香ばしさとほのかな苦みが、どことなく珈琲に似る。いつもの鎮花茶ではなく、大麦を深炒りして粉にした黒褐色のお茶だ。今の時期は熱中症予防でよく飲む。
もう八月も半ばに近い。
針子のアミエーラと女の子たちは、必要な服を作り終えた。午前中はファーキルも含め、呪医に同行してもらって別荘周辺で素材を集る。午後は呪文の練習や情報の整理だ。
薬師アウェッラーナとクルィーロは、みんなが集めた素材で魔法薬を作るのに余念がない。
メドヴェージは、「二人の分も頑張らにゃな」と蔓草細工の帽子をせっせと編んだ。交換レートが高いと知ってかなりヤル気がでたらしく、編むのが早くなった。
武闘派ゲリラへの協力を申し出た四人は、ランテルナ島の拠点とネーニア島の拠点を毎日往復した。
ソルニャーク隊長の訓練を受けた武闘派ゲリラたちは、きっと以前よりもずっと効率よくアーテル軍と戦えるようになるだろう。隊長と少年兵モーフは、元々訓練された戦闘員だが、レノ店長と高校生のロークもゲリラに参加する。
訓練の一環でレサルーブの森に入り、素材集めもした。
レノ店長たち四人は、口を揃えて大丈夫だと言うが、本当にそうかわからない。魔物や魔獣に襲われるかも知れず、銃が暴発するかも知れない。そもそも、武闘派ゲリラは信用ならない。
店長の妹たちは不安を隠せず、毎日泣きそうな顔で送り出し、夕方、無事な姿を見ると、何もかも放り出して飛び出す。
いつまで、こんな生活が続くのか。
「確かに。順調じゃねぇか、坊主」
検品を終え、帳簿につけた店主が白い歯を見せてニカッと笑う。ファーキルは複雑な思いで、ぎこちない笑顔を返した。呪医セプテントリオーも僅かに表情を曇らせる。
呪符屋に「四トントラックを丸ごと入れられる【無尽袋】の対価」として要求された植物系の素材に限っては順調だ。季節的にない種類もあるが、その穴は、薬師アウェッラーナが作ってくれた魔法薬で充分、埋められる。
だが、魔獣由来の素材は、魔法薬での代替でさえ莫大な量になる。実質的に「代替できない」と言われたようなものだ。
……もしかして、移動販売のみんなをランテルナ島から出さないつもりか?
勘繰りを引っ込めて契約書の写しを受取り、ファーキルと呪医セプテントリオーは呪符屋を後にした。
☆ファーキルが単身(中略)運んでもらった時……「0175.呪符屋の二人」「0176.運び屋の忠告」参照
☆四トントラックを丸ごと入れられる【無尽袋】の対価……「0335.バックアップ」参照




