0393.新たな任務へ
「ホントどこ行ったんだろうな」
防空艦の食堂で、いつもより遅い朝食を終え、魔装兵ルベルは独り言ちた。カウンターへお茶を取りに行ってくれた相棒の背中が遠くなる。
一応、機密なのでどこに居ても「何が」とは口に出せない。
魔装兵ルベルを含むネモラリス軍の哨戒兵は、仮復旧したネーニア島の北ザカート港と、ネモラリス島のレーチカ市沖の二カ所で任務に就く。
ラクリマリス王国との国境に近い北ザカート市は、アーテル・ラニスタ連合軍による一方的な空襲で壊滅。ラクリマリス王国からの救援物資受け容れの為、湖岸に近い国道のみ、瓦礫が直ちに撤去された。その後、港の仮復旧が進み、港周辺の瓦礫も粗方、片付けられた。正規軍が駐屯し、アーテル軍の動きを警戒中だ。
ネモラリス島南沖にも念の為、哨戒兵が配置された。
ネモラリス共和国とアーテル共和国の間には、ラクリマリス王国が位置する。同王国の湖上封鎖によって、アーテル空軍の飛行経路はネーニア島西の沖合に限られた。
科学文明国のアーテルは、魔物や魔獣が棲息するラキュス湖を航行可能な魔道機船を一隻も保有しない。島国のネモラリスを攻撃するには、空軍か、防空艦レッススを沈めたミサイルしかなかった。
アーテルが領有するランテルナ島と、ネモラリスが北半分を領有するネーニア島は、南北のヴィエートフィ大橋で繋がるが、陸軍戦力を投入するには、ネーニア島の南半分を占めるラクリマリス領を通過せねばならない。
ラクリマリス王国は中立を守り、両軍の北ヴィエートフィ大橋通過を許さなかった。
最前線の北ザカート市からは住民の退避が完了し、公式にこの街に留まるのはネモラリス政府軍だけだ。
退避した住民の帰還は禁止だが、火事場泥棒や武闘派ゲリラ、魔獣狩りの業者などは、廃墟と化した街に入り込む。
……あの攻撃で死ななくても、湖の魔物か魔獣に食われて、もう死んでるんじゃないのか?
赤毛の魔装兵ルベルは、マグカップを手に戻って来る相棒の動きを目で追いながら考えた。
十勤三休で、ネーニア島西での哨戒、ネモラリス島南沖での哨戒、あれの捜索の輪番だ。また巡ってきた捜索任務に、我知らず溜め息が漏れる。
黒髪の相棒が向かいの席に座り、カップを寄越す。礼を言って受取ると、相棒は珈琲を啜って聞いた。
「何、暗い顔してんだ?」
「そんなに暗かったか?」
「そりゃもう……一回十日の付き合いでも、俺はお前をずーっと見て、お前だけを守ってるんだからな。心配だよ」
「ムラーク……気色の悪い言い方するなよ」
明らかに冗談なので、気楽に返す。相棒のムラークは、首から提げた銀の鷲を弄びながら、真顔に戻った。
「何か悩みがあるんなら、相談に乗るぞ」
「悩みって言うか、今日からの任務のことを考えてただけだ」
「なんだ、そんなコトか。てっきり休みの間に女にフラれて落ち込んでんのかと思った」
「お前なぁ」
新たな任務を「そんなコト」呼ばわりされ、魔装兵ルベルは苦笑した。
相棒のムラークは、ニヤニヤ笑いを引っ込め、声を落とす。
「何かと遭遇しても交戦せず、【跳躍】で離脱する。目標を発見したら、印を付けて報告する。……楽勝じゃないか」
「でも、場所が」
ムラークに、鷲に似た鋭い目で制され、ルベルは続きを飲み込んだ。
【急降下する鷲】学派の魔法戦士ムラークは、その辺の街でよく見掛ける普通の服に着替え済みだ。粗織の綿の上着とズボン。どちらも、生地と同じ木の葉色の特殊な糸で、各種防禦の呪文が刺繍された魔法の鎧だ。
ルベルも、黄土色で同型の鎧を着る。自分の徽章【飛翔する蜂角鷹】は服の中に入れた。
ムラークは手の中でこねくり回していた【急降下する鷲】を襟元から服の中へ押し込んだ。
一般人で、ルベルの【飛翔する蜂角鷹】や、ムラークの【急降下する鷲】学派の術者は滅多に居ない。警備員や魔物駆除業者には居るが、それも少数だ。
魔装兵ルベルは、黙っていると「何、怒ってるの?」と聞かれがちな顔立ちで、体格もかなり逞しい。相棒のムラークは、体格こそルベルに近いが、人懐こい雰囲気で見る者に威圧感を与えなかった。
万一の時は、魔物駆除業者のフリをすることになっている。
ムラークは、ルベルが大麦を深炒りしたオルヅォ茶を飲み干すのを待って、促した。
「そろそろ行こう」
ルベルは腹を決め、溜め息混じりに重い腰を上げた。
携行品の最終点検後に出発する。二人の他は、防空艦の手入れ、アーテル軍の警戒、瓦礫の撤去などで忙しく働く。
二人は港に降り立つと、国道を南へ向かった。
国道は、突貫作業の応急処置で空襲の穴を埋めただけだ。一台の車も見えない。
朝夕二回、ラクリマリス王国からの救援物資を運ぶトラックが通るだけだ。真夏の陽射しがアスファルトに照り返し、陽炎が立つ。
クブルム山脈から続くレサルーブの森から、蝉の大合唱が耳鳴りのように響く。
鎧に刺繍された【耐熱】の術で、二人は汗ひとつかかず国道を歩いてゆく。灼けつく国道の坂を登り、クブルム山脈の西端に穿たれたザカート隧道に入った。
隧道内には日が射さないが、雑妖は一匹も居ない。
魔法の【灯】が常時点され、通る者のない道を仄かに照らす。壁と床に刻まれた【魔除け】などの呪文が、雑妖や魔物を寄せ付けないのだ。
蝉の声が遠ざかり、二人の足音だけが反響した。行く手には【灯】よりずっと明るい真夏の光が小さく見え、蝉の声と共に次第に大きくなる。
地脈の力を魔力に変換して常に安全な隧道を抜け、外の日射しに目を細めた。
☆機密なのでどこに居ても「何が」とは口に出せない……「0304.都市部の荒廃」参照
☆あの攻撃/防空艦レッススを沈めたミサイル……「0274.失われた兵器」参照




