0391.孤独な物思い
結界の外から響く蝉の合唱が、遠くに聞こえる。ランテルナ島の拠点は今日も静かだ。調剤室として使う一室で、薬師アウェッラーナと工員クルィーロは顔を顰めた。
ソルニャーク隊長たちが昨日、ネーニア島の拠点近くで採って来てくれたのは、傷薬用の薬草と虫綿、悪臭がする蔓草のパエデリアだ。種類は少ないが、量はそれなりに多かった。
蔓草のパエデリアは、たくさんあれば助かる素材の一覧に入れた物のひとつだ。秋に生る小さな丸い実は、皸などの予防薬、乾燥させた根の煎じ液は、様々な病気の治療薬になる。
「この臭い蔓草、何の薬になるんですか?」
工員クルィーロが顔を顰めて聞く。今の彼は工場の青いツナギから、妹が作った薄紅色のTシャツと白いズボンに着替えていた。
「天日干しした根っこの煎じ液は、脚気のお薬とか、別の薬草とアルコールも要りますけど、腎臓病のお薬とか、それと、主作用と言うか副作用と言うか、止瀉薬にもなりますね」
薬師アウェッラーナの説明に、クルィーロが苦笑しつつ感心する。
「へぇー……こんな臭いのが」
「はい。煮るとまたスゴイ臭いがしますけどね」
アウェッラーナも苦笑して答える。
「あれっ? 天日干しって……術で水抜きしないんですか?」
「魔法を使わなくても作れるお薬なので、割と安く売ってますよ」
「じゃあ、力なき民の人でも、家で作れそうですね。臭いで薬草の同定もしやすそうだし」
「そうですね。私が勤めていた病院でも、実際、採取と天日干しまでの作業は、力なき民のパートさんにお願いしてましたよ」
アガート病院に素材を納入しに来たおばさんたちの明るい笑顔を思い出し、薬師アウェッラーナは胸の奥が痛んだ。
あの冬の日、院長はテロの一報を受け、病院職員に退避の指示を出した。
動かせる入院患者は、退院させて避難を促した。動かせない患者は、ゼルノー市の隣にある医療産業都市クルブニーカに空きベッドを照会し、受容れ要請した。
大量の傷薬作りを頼まれた薬師アウェッラーナは、素材が尽きると避難するよう言われ、【跳躍】で病院を出た。
実家はテロで燃えた。止むを得ず、姉を頼る為に市民病院に入院中する父の病室へ跳んだ。いつもなら付添う姉の姿はなく、負傷者の治療を手伝った。攻撃が止んでから一度、職場の様子を見に行ったが、入口に貼紙一枚残して無人だった。
それから、アーテル軍の空襲を受けた。近隣都市に避難させた患者は、きっと助からなかっただろう。力なき民の薬剤師の後輩は、空襲から無事に逃れられただろうか。
「……アウェッラーナさん? どうしたんですか?」
「えっ、あ、あぁ、大丈夫です。ちょっと、考え事を……あ、このお薬、効果が強いので素人だと量の調整が難しくて、便秘で大変なことになるので、処方はお医者さんか薬剤師さんか、薬師でないと危ないんです」
心配そうに向けられた青い瞳に気付き、アウェッラーナは早口に捲し立てた。
パートのおばさんたちからの連想で、なるべく考えないようにした心配事が次々湧いて出て、息が詰まりそうになる。
……きっと、みんなもそうなのよね。
少し前に少年兵モーフが、力なき民だけでも、対岸のイグニカーンス市へ渡ってはどうかと提案した時もそうだ。
結局、誰も賛成しなかったが、少年兵モーフは、何もかも失ったのを受け容れ、何もいいことがなかったらしい故郷のリストヴァー自治区を捨てる選択をした。
みんなの反対で気が変わったのか、それとも、たった一人で南ヴィエートフィ大橋を渡る決心をしたのか。あの少年とはあまり話さないアウェッラーナには、わからなかった。モーフ自身、まだ迷っているかもしれない。
基地の襲撃作戦に参加して、アーテル本土の様子を直接見れば、また考えが変わるかもしれない。
……でも、生きて帰れるの?
「えっと、じゃあ……丸ごと水洗いして、土や汚れを取り除いてから、根っこを切り離して、外へ干しに行きましょう」
また、独りの考えに没入しそうな心を無理矢理引き揚げ、指示を出す。
クルィーロは口を閉じ、【操水】で練りかけた魔力を止めて、蔓草を摘まみ上げた。絡み合う蔓がずるずる引っ張られ、悪臭が濃くなる。小さな筒型の白い花が、中心の赤い部分から草食動物の糞を思わせる臭いを放つ。蔓草全体も臭い。
「今の時期、薬になるの、根っこだけなんですよね?」
「えーっと、そうですね。夏は実がつきませんし……蔓草のとこ、メドヴェージさんにどうするか、聞いてみましょうか」
「そうですね。何か臭いを消す方法を知ってるかも知れませんよね」
二人は引き攣った笑顔を何となく見合わせ、作業に取り掛かった。
蔓草の山をふたつに分けて、それぞれ【操水】の術で洗う。
水瓶から起ち上げた水が宙を舞い、蔓草を飲み込んで渦を巻く。緑の葉が付いたままの蔓草の流れは、伝統的な模様のような形を作った。根に着いた土が水に混じり、虫が溺れ、あっという間に濁って見えなくなる。
薬師アウェッラーナは、水に命じて濁りを屑籠に吐き出させた。透明感を取り戻した清水が、蔓草を更に揉み洗う。
クルィーロも、ここに来てから魔術の練習を重ね、今では水に大きな固形素材を残し、細かい汚れだけを捨てられる。
まだ、水溶性の複数の成分からひとつだけを抽出する精密操作はできないが、魔力を効率よく使えるようになり、以前より長時間、休憩なしで作業できた。
呪医セプテントリオーの足下にも及ばず、薬師アウェッラーナや老婦人シルヴァと比べても、かなり魔力が弱いようだが、この分なら、もう少し練習すれば、【跳躍】を使えるようになる気がする。
……でも、【跳躍】できるようになったって、帰るとこはないし、ゼルノー市の立入制限もあるし、焦ったっていいコトなんて何もないよね。
アウェッラーナは、空の段ボール箱に蔓草を着地させると、水の不純物を捨てて水瓶に戻した。
工作用の鋏で根と地上部を切り離し、もうひとつの段ボール箱に投げ入れる。二人で吐きそうになりながら黙々と手を動かし、一時間程で作業を終えた。
「じゃ、聞いてきます」
「はい。お願いします」
工員クルィーロが、メドヴェージの所へ蔓草本体を持って行った。
☆病院職員に退避の指示……「0007.陸の民の後輩」参照
☆実家はテロで燃えた……「0008.いつもの病室」参照
☆職場の様子を見に行った……「0045.美味しい焼魚」参照
☆アーテル軍の空襲……「0056.最終バスの客」参照
☆少年兵モーフが(中略)イグニカーンス市へ渡ってはどうかと提案……「0343.命を賭す願い」参照




