0366.覚悟はあるか
ふと目を覚ますと、隣がもぬけの殻だ。
少年兵モーフが、一緒に寝たおっさんの姿を求め、少し身を起こす。
扉の前にメドヴェージとピナの兄貴が居た。ソルニャーク隊長も起きて話す。
カーテンの隙間からは光がこぼれるが、他のみんなはまだ夢の中だ。
モーフは毛布を被り直して、三人が小声で話す内容に耳を澄ました。
「……そうだな。メドヴェージは残れ」
「いいんですかい?」
「彼らの出方がわからんからな。最悪、背後から撃たれる可能性もある」
「それでも、構いません。俺も連れてって下さい」
ピナの兄貴の抑えた声に少年兵モーフはギョッとした。
……何で、ピナの兄ちゃんが行って、戦い方知ってるおっさんが残るんだよ?
息を詰めて聞き耳を立てる。メドヴェージがいつになく真剣な声を出した。
「店長さんよ、あんた、人殺す覚悟と殺される覚悟はあんのか?」
「あります」
ピナの兄貴は即答した。
「銃の使い方と戦い方を教えて下さい。覚悟なら、できてます。妹たちを守る力が欲しいんです」
ピナたちを守る為なら、自分の命は惜しくない。そう言われた気がして、少年兵モーフは毛布の中で震えた。
銃の使い方を覚えたって、手許になければ戦えない。アーテル軍の正規兵や魔法使いの暴漢が相手なら、付け焼き刃の素人に勝ち目はない。
兄貴が死んだらピナたちが悲しむ。実家の店の再建も今より難しくなるだろう。
……でも、全然戦えないんじゃ、いざって時にピナたちを守れねぇ。
少年兵は、冬の日の運河を思い出した。
湖の民の薬師と高校生のロークが暴漢に襲われた。メドヴェージとピナの兄貴が二人を助けようとしたが、返討ちにされた。
メドヴェージに腕の骨折がなければ、ロークとピナの兄貴に戦う力があれば、あんな怪我しなかったし、ソルニャーク隊長とモーフの加勢もいらなかっただろう。
「トラックを動かせるのはお前一人だ。万一の場合、あの子らを連れて逃げろ」
「メドヴェージさん、お願いします」
一呼吸置いて、メドヴェージの声が誠実な祈りを籠めて応えた。
「ご武運を」
武闘派ゲリラは食堂に姿を現さなかった。朝メシを病室で食うらしい。
少年兵モーフは少しホッとして配膳を手伝った。
みんなが揃い、ささやかな朝食が始まる。焼き立てパンと香草茶だけだが、パンは普通のと緑色の二種類ある。
「この緑色のは何?」
魔法使いの工員クルィーロが、ピナの兄貴に聞く。
自治区の外でも珍しいのかと、少年兵モーフは聞き耳を立てた。
「タンポポの葉だよ」
「へえー、意外と美味いな」
緑のパンは、生地に細かく刻んだタンポポの葉が練り込んであるらしい。パン生地に何か混ぜて焼くとは、思いもよらなかった。
少年兵モーフがリストヴァー自治区に居た頃は、古びた黒パンやしょっぱい堅パン、一番上等でも乾いてパサパサの白パンだった。
美味いと聞いて、少年兵モーフは緑のパンにかぶりついた。少し苦みはあるが、ふっくらした食感と麦の香ばしさに馴染んで、確かに美味い。
……スゲェ。
ピナの兄貴は、その辺の食べられる草で、こんなに美味いパンを作れる。少年兵モーフの眼差しに尊敬の念が籠った。
朝食を終え、葬儀屋アゴーニと共に庭へ出る。星の道義勇軍の三人は、薄青いTシャツとボロい作業ズボン姿だ。ピナの兄貴も、エプロンを外してついて来る。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
「アゴーニさんに、北ザカート市へ連れてってもらうんだ」
ピナの声で振り返り、兄貴が笑ってみせる。
「ヤダッ!」
小さい方の妹が兄貴に駆け寄り、体当たり同然でしがみつく。ピナの兄貴は妹をギュッと抱き返し、背中を撫でながら、何でもない嘘で言い聞かせた。
「素材を採りに行くんだよ。夕方には戻るから」
兄貴は、近所のねーちゃんアミエーラが作った袋を上げてみせ、メモを出した。いつの間にか、この島の店に要求された【無尽袋】の対価を書き写したらしい。
小さい妹は、目の前に出されたメモを読み、兄貴に不安な目を向ける。
「大丈夫。兵隊さんが駐留してて、魔獣を駆除してくれてるんだってさ」
自力で【跳躍】できる武闘派ゲリラが、力なき民の仲間を連れて跳ぶ。別荘の庭園から次々と人が居なくなる。
ピナの兄貴は、小さい妹の頭をやさしく撫で、そっと身を離した。ピナと小さい妹は何か言おうとしたが、何も言えないまま口を噤む。
「大丈夫だよ」
ピナの兄貴は笑顔で念を押し、葬儀屋アゴーニの傍に駆けた。妹たちが泣きそうな顔で追い掛ける。
庭に残ったのは、葬儀屋アゴーニと湖の民の呪医、星の道義勇軍とパン屋兄姉妹と工員兄妹、高校生のロークとラクリマリス人のファーキル。そして、ゲリラの職人二人だ。
……まさか、ホントにそう思ってんじゃねぇだろうな。
ピナの兄貴のあまりにもお気楽な物言いに、少年兵モーフは不安になった。
「俺も連れてって下さい」
魔法使いの工員クルィーロが言った。ピナの兄貴が首を横に振り、ピナと小さい妹を工員の前に押しやる。
「ピナとティスを頼む。……クルィーロは俺より強いから」
少年兵モーフには、力ある民が銃の扱い方まで知らなくていい、とでも言いたげに聞こえた。魔法使いの工員は言い掛けた言葉を飲み込み、喉が詰まったような顔で頷いた。
ロークとファーキルも同じコトを言ったが、中学生の少年は、ソルニャーク隊長に断られた。
「これは、我々の戦いだ。ラクリマリス人の君を巻き込んですまない」
ファーキルは渋々引き退がり、断られる理由のないロークは、一緒に行くことになった。
「坊主、あんまり無理すんなよ」
不意に声を掛けられ、おっさんを見上げる。メドヴェージはモーフの頭をガシガシ撫で回した。少年兵モーフは、おっさんのしたいようにさせ、葬儀屋たちと今日の予定を確認するソルニャーク隊長を窺う。
「じゃ、パン屋の兄ちゃんは葬儀屋さん、その子は呪医が頼むよ」
「あぁ、帰りも頼む」
呪符職人が少年兵モーフ、武器職人がソルニャーク隊長を魔法で運ぶと言い、分担があっさり決まった。
「今日は銃の扱い方の説明だけだ」
ソルニャーク隊長が、ピナたちにも視線を向けて言った。だから別にピナの兄貴に危険はない、と妹たちを納得させる。
……あいつらがふざけて引き金引いたりしなきゃいいけどな。
「坊や、そろそろ行くよ」
呪符職人に呼ばれた。メドヴェージの手がモーフの頭を離れ、肩を叩く。
隊長に留守番を命じられた運転手は、何か言いたそうな顔だが、結局、何も言わなかった。
……隊長、薬師のねーちゃんが、魔法でゼルノー市に送るっつった時は、ヤダっつったのにな。
少年兵モーフは、ソルニャーク隊長の心境の変化を訝しく思いながらも、呪符職人に駆け寄り、言われるままに手を繋いだ。
四人の魔法使いが同時に呪文を唱える。
軽い浮遊感の後、目の前の景色が一変した。
☆冬の日の運河……「0083.敵となるもの」~「0086.名前も知らぬ」参照
☆この島の店に要求された【無尽袋】の対価……「0335.バックアップ」「0342.みんなの報告」参照




