3499.人員の組替え
近衛兵セルペンチニートが、メモ用紙にラゾールニク少佐の案を認めて持ち場へ戻る。
ラゾールニク少佐と魔装兵ルベルは、アーテル共和国の大統領府の一角にあるトイレに留まって返事を待った。
今回の作戦の為に【認識阻害】で隠されたトイレには、大統領府の職員も警備兵も来ない。奥の個室には【防音】も施してある。他のトイレは、出入口前に警備兵が二人ずつ立つが、ここは認識から抜け落ち、立ち番すら居なかった。
魔装兵ルベルは【索敵】を唱え、大統領府の会見場に魔法で拡大した「目」を向けた。
大勢の記者が、現職大統領の母親が暗殺された事件の取材で詰め掛ける。その中には【化粧】の首飾りで顔を変えたラズートチク少尉と一般兵トレウゴールカの姿もあった。
壇上では、ミェーフ大統領が悲壮な顔で何事か語るが、【索敵】で得られるのは視覚情報だけだ。
ルベルには読唇術の心得がなく、演説の内容まではわからない。
その傍らに大統領警護官風の黒いスーツを着た黒髪の若い女性の姿がある。ランテルナ島出身の魔獣駆除業者の偽装身分で護衛契約を結んだシポーブニク大佐だ。大佐の目が油断なく会見場を警戒する。
近衛兵セルペンチニートが堂々と壇に上がった。【姿隠し】の腕輪を装着した彼の姿は、同じ組の腕輪を身に着けたラゾールニク少佐と魔装兵ルベルにしか見えない。二人の目に映る姿は半透明で、身体の向こう側の景色が透けて見える光景は非現実的だ。
シポーブニク大佐の背後に回り、上着をほんの僅か持ち上げると、ズボンの尻ポケットに小さく折り畳んだメモ用紙を滑り込ませた。
正面からは上着の動きも見えなかっただろう。
……なんか……痴漢っぽい動きでヤだな。
それでも、シポーブニク大佐は微動だにしなかった。
記者会見が無事に終わり、ミェーフ大統領が執務室へ移動する。
集まった記者たちが解散し、それぞれの職場へ急ぐ。
執務室に入ってすぐ、黒い背広姿の大統領警護官が室内の扉脇、窓際、執務机の傍に分かれて護衛を始める。
魔道具で姿を消した近衛兵セルペンチニートは、執務机に着いたミェーフ大統領の斜め後ろに立った。
シポーブニク大佐がミェーフ大統領に何事か耳打ちする。大統領は微妙な顔で頷いた。
大佐が急いで執務室を出て、近くの女子トイレに駆け込む。個室に入ってズボンの尻ポケットからメモを引っ張り出した。
素早く視線を走らせると、個室内で周囲を見回し、メモを指差して大きく二回頷いてみせる。
……俺が見てるの、お見通しなんだな。
シポーブニク大佐が、メモを細かく千切って便器に捨てた。
他の女性職員が入って来て、ルベルは慌てて視線を逸らす。
「大佐がメモを読んで、作戦を了承しました」
「了解。じゃ、官邸で待ってよう」
ラゾールニク少佐と魔装兵ルベルは、大統領官邸のトイレに【跳躍】した。ここも同じ術で隠蔽してある。こちらはトイレ全体に【防音】が施してあるので、気分的にゆっくり話せる。
「ミェーフ大統領が、俺たち用にアーテル軍の軍服を用意してくれればよし、なくても見えないとこに防禦の術を仕込んだ黒服で、明日から警備に当たる」
「了解」
「交代要員は、どうなるのでしょう?」
「今のところ官邸では動きがないから、多分、再統合反対派はここを事故物件にしたくないんだと思うよ」
「事故物件……でありますか……?」
魔装兵ルベルはラズートチク少尉と二人で魔哮砲に給餌しつつ、一家惨殺事件のせいで買い手がつかなくなった屋敷や、一家心中で無人になった住居兼町工場などに潜伏した戦時中の日々が脳裡を駆け巡った。
「自分たちが政権取ったら、ここに住むコトになるワケだし」
「住むんでしょうけど……力なき民は亡霊が怖いんですね?」
「希望的観測だけどね。だから、夜間の警備はセルペンチニートさんに任せて、俺たちは日中の護衛に回る」
「彼一人で大丈夫でしょうか? ……例えば、彼がトイレなどで中座した間に何かあるとよくないのでは?」
「投票日は明後日だし、紙おむつで頑張ってもらっちゃおっかなぁ? ちょっと待っててくれ」
ルベルが何とも言えない気持ちで頷くと、ラゾールニク少佐は【跳躍】でどこかへ行った。
一時間程して、近衛兵セルペンチニートがトイレの入口から歩いてきた。
「少佐殿は?」
「紙おむつを調達しに行きました」
「は?」
「あなたが使う分です」
「は?」
「えっと……明後日の投票日までは、大佐と少佐と俺の三人で日中の警備を担当して、夜間はセルペンチニートさん一人の警備態勢に変えるので、トイレに行く暇がなくなるから紙おむつで頑張ってもらうとのことであります」
ルベルが説明すると、近衛兵セルペンチニートは絶望的な顔をしたが、僅かに首を縦に動かした。
「あ……いや、しかし、それでは、臭いで存在を察知されるのではないか?」
「あッ……! えっと……その辺りのことは、少佐にお願いします」
近衛兵セルペンチニートは盛大に溜息を吐いて、個室のひとつに入った。彼が用を足して手を洗っても、ラゾールニク少佐はまだ戻らない。
「ミェーフ大統領はここに戻っている。私は持ち場に戻る」
「了解」
一人になった魔装兵ルベルは、善後策について頭を巡らせた。
一番いいのは、追加の人員補充。だが、人手不足だから、四人二交替で対応する羽目になったのだ。
……連絡員の人の会社、土日が休みだったら参加できないかな?
戦闘は不得手だと聞いたが、魔法使いなら自前の魔力で【不可視の盾】を展開できる。不意を突かれなければ、力なき民の通常兵器による攻撃なら防げそうな気がした。
少なくとも、本人は服の防禦魔法で守られるので、ラキュス・ラクリマリス王国軍には損耗が出ない筈だ。
……それが無理なら、現行の態勢を維持した方がマシだよな?
何故、ラゾールニク少佐がわざわざ近衛兵セルペンチニートに尊厳を捨てさせてまで警備態勢を変えようとするのか、ルベルにはわからなかった。
手洗い場前に人が出現した。
一人は【姿隠し】の腕輪で半透明に見えるラゾールニク少佐、もう一人ははっきり視認できるラズートチク少尉だ。
「あの……先程、セルペンチニートさんが来られて、紙おむつは臭いで存在がバレるからよくないのではとの指摘がありました」
魔装兵ルベルが報告すると、ラゾールニク少佐は腹を抱えて笑い出した。ラズートチク少尉がルベルに呆れた目を向ける。
「真に受けんなよ。腹筋ヤバいって」
少佐が一頻り笑って目尻に滲んだ涙を拭い、姿勢を正して言う。
「上層部と相談して、ラズートチク少尉をこっちに回してもらった。ミェーフ大統領の協力が得られたら、俺の腕輪を少尉に渡して、セルペンチニートさんと二人で夜勤だ」
「……了解」
魔装兵ルベルは恥ずかしさで耳まで赤くなり、眉間に縦皺を刻んで応じた。
「連絡員の一人に偽造記者証と【化粧】の首飾りを渡して、トレウゴールカと組んで引き続き情報収集に当たらせる」
「了解」
「まず、大佐が俺たちを駆除屋仲間として大統領に紹介して、それからアーテル軍の軍服を貸してくれるから、ウチの軍服着てるとマズい。今から作業服に着替えに帰る。少尉は先に合言葉を唱えてからこれを装着してくれ」
ラゾールニク少佐は左手から【姿隠し】の腕輪を外し、合言葉を伝えて背広姿のラズートチク少尉に渡した。
ラズートチク少尉をこのトイレで待機させ、ラゾールニク少佐は魔装兵ルベルを連れて【跳躍】する。
移動先は、ラキュス・ラクリマリス王国軍ネモラリス島方面総合指令本部だ。
装備品倉庫へ早歩きしながら、ラゾールニク少佐が情報を掻い摘んでルベルに与える。
「トレウゴールカが、急にカネ回りがよくなった大統領府職員の情報を掴んだ。大統領府全体で一人や二人じゃなくって、各部署で一人か二人ずつくらい居るっぽいな」
「えッ……そんなに?」
「中には、両方からカネもらって、職員から情報を得た反対派の動きを賛成派に伝える二重スパイみたいな女もいるみたい」
「えぇ……?」
「政府の職員でも給料の遅配が常態化してて、やっと振込まれても、物価高のせいで全然足りなくて生活に困ってるから、カネの為なら何でもする感じだな」
普通に考えれば、大統領府勤務はエリートの筈だ。それが生活に困窮し、素人ながら諜報員紛いのことに手を出さなければならない状況にまで追い込まれた。
……民間企業の人とか、非正規雇用の人とか、もっと大変だよな?
これまで、自爆テロの捨て駒にされるのは、クスリ目当てに引受ける「危険性の認識が飛んだ薬物依存症患者」だった。
彼らの攻撃は、シポーブニク大佐たちが悉く防いだ。
投票日までの二日間、今度はカネ目当てで引受ける「正気の貧困層」が使われるかもしれない。
大統領府の職員も、遺族に充分な支払いを約束されれば、引受ける可能性を捨てきれなかった。
☆一家惨殺事件のせいで買い手がつかなくなった屋敷……「836.ルフスの廃屋」参照
☆一家心中で無人になった住居兼町工場など……「0957.緊急ニュース」「1635.報道から読む」参照




