0349.呪歌癒しの風
「店長さん、みなさんがお持ちの【水晶】に作用力を補う物はありますか?」
「何個かありますよ」
湖の民の呪医セプテントリオーに聞かれ、レノは正直に答えた。呪医がホッとした顔で続ける。
「それはよかった。上質の【魔力の水晶】があれば、力なき民にも使える癒しの術があるんです」
「ホントですかッ?」
レノは勢い込んで聞いた。ピナとティスも、夕飯の後片付けをする手を止めて、呪医を見詰める。
「はい。【癒しの風】と言う簡単な単語の多い呪歌です。子供でも、すぐ使えるようになりますよ」
「ホント?」
小学生のティスが、ぱっと顔を輝かせて呪医を見上げる。セプテントリオーは、少し申し訳なさそうに笑った。
「効力は知れてますけどね」
「どのくらい治せますか?」
ピナも呪医に向き直った。
「ちょっとした切り傷やすり傷、火傷や捻挫などなら、治せます」
「いえ、助かります」
「対象は、声と魔力が届く範囲内に居るこの世の生物。主に体表付近の傷などを無差別に癒す術です」
レノは、テロから避難した鉄鋼公園で、薬師アウェッラーナが謳ったのを思い出した。ピナとティスがセプテントリオーの傍に行くのを見て、片付けを再開する。
少しでも傷を治せるなら有難いが、それだけではない。【魔力の水晶】の力を借りたなんちゃって魔法使いでも何でも、癒しの術が使えれば、「癒し手」を名乗っても嘘にはならない。
癒し手なら、女の子たちが辛い目に遭わされる危険性を減らせる。
……アーテルの連中が、それで思い留まってくれれば、だけど。
癒しの術は、術者に身体的条件を課すものが多い。
薬を作る【思考する梟】学派や、出産に関する術が中心の【家守る鸛】学派は別だが、それ以外の医術は「未婚」でなければ使えない。
運河では何故か、アウェッラーナが癒し手であると名乗っても、あの暴漢たちは気にしなかったが、大抵の癒し手は【白鳥の乙女】の術で守られる。手を出せば呪いが発動し、本人だけでなく、その一族もじわじわ苦しみながら根絶やしにされるのだ。
……アーテルも元は同じ国だし、流石に知らないなんてコト……ないよな?
レノは、自分を安心させる材料を探しながら、クルィーロが【操水】の術で洗ってくれた皿の残りを食器棚に片付ける。
クルィーロのように魔法を使えれば、妹たちを守れるだろうが、レノは力なき民だ。パン生地を捏ねる作業で力は強いが、格闘技の経験はない。
あの時、メドヴェージは片腕の骨折にも拘らず、レノよりずっと強かった。暴漢五人を相手にほぼ一人で戦った。
レノは暴漢に石を投げるだけで精一杯。ソルニャーク隊長たちが助けに来てくれなければ、どうなったか……考えただけで背筋が凍る。
……俺でも、「ピナたちは癒し手だ」って言うくらい、できるさ。
また、いつあんなことが起こらないとも限らない。レノ自身も、少しは戦えるようになりたかった。
呪医がピナにメモを渡した。ピナが礼を言って折り畳まれた紙を広げる。力ある言葉とその発音、湖南語の意味が、整った文字で書いてあった。
「アウェッラーナさんも、きっとご存知ですよ。今日はもう遅いので、練習はまた明日にしましょう」
「呪医、ありがとうございます」
パン屋の兄妹は、声を揃えて礼を言った。
大急ぎで片付けを終え、クルィーロたちの所へ急ぐ。薬師アウェッラーナは、魔法薬作りで疲れ切って、既に休んでいた。
他のみんなは、最初に通されたあの広い部屋に集まって、「すべて ひとしい ひとつの花」の歌詞の続きを考える。
「おっ? 片付けお疲れさん。ありがと」
「いいよいいよ。明日の仕込みもあったし」
クルィーロに礼を言われ、レノは微笑を返した。窓の外はもう真っ暗だ。
みんながメモし、机上に広げたコピー用紙に詩の断片が散らばる。
ノートは、元々あった詩が書き写されただけで、その下は真っ白だ。
クルィーロが苦笑する。
「詩って結構、難しいな。元の詩の雰囲気に合わせようと思ったら、全然」
「地名を出さずに『アーテル』を表す言葉がみつからず、先へ進めんのだ」
ソルニャーク隊長が、詩の断片に目を遣った。
穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる
地理的な位置を言おうとすると、主旋律の音数に合わず、科学や宗教をこの続きに持ってくるのはしっくりこない。
だからと言って、このままでは、ネモラリスとラクリマリスだけで終わってしまう。本当に呼び掛けたいのは、アーテルだ。
「あー……これ……確かに、どうしましょうか?」
レノにはお手上げだ。国語の授業でしか詩を書いたことがない。文才のない自分を情けなく思いながら、ピナとティスを見た。移動販売のCMソングと、平和を呼び掛ける詩を作って、どちらも好評だ。ドーシチ市の屋敷の人々は随分、褒めてくれた。その二人も、難しい顔で紙を睨む。
……ピナたち、意外な才能があったんだな。
レノは嘆息して話題を変えた。
「セプテントリオー呪医が、明日、癒しの呪歌を教えてくれるって」
「ホント?」
眉間に深い皺を刻んだアマナが紙から顔を上げ、子供らしい笑顔を向けた。ピナが呪医にもらったメモを広げて見せる。
「これ、呪文。上等の【水晶】があれば、力なき民でも使えるんだって」
「じゃあ、今の内に写しとこっか」
「そうだな。今日はこれ以上考えても、無理っぽいしなぁ」
クルィーロの言葉で、今日の詩作はお開きになった。
☆薬師アウェッラーナが謳った……「0033.術による癒し」参照
☆癒し手なら(中略)危険性を減らせる……「0108.癒し手の資格」参照
☆あの暴漢たちは気にしなかった……「0084.生き残った者」「0085.女を巡る争い」参照
☆元々あった詩……「0275.みつかった歌」参照
☆移動販売のCMソング……「0210.パン屋合唱団」「0280.目印となる歌」参照
☆平和を呼び掛ける詩……「0275.みつかった歌」参照
☆どちらも好評……「0290.平和を謳う声」「0324.助けを求める」参照
☆ドーシチ市の屋敷の人々……「0280.目印となる歌」参照




