3474.認識した現状
数日後。
ラゾールニク少佐が、昼過ぎにセプテントリオーの居室を訪れた。
「呪医、お久し振りです。お加減いかがですか?」
あの頃と変わらない笑顔がセプテントリオーを気遣う。
セプテントリオーは見知った笑顔にホッとしたが、近衛兵たちは、情報将校の馴れ馴れしい態度に気色ばんだ。
首を小さく横に振り、近衛兵を抑える。
「構いません」
「しかし……」
何か言いかけた近衛兵ジャドを目顔で黙らせ、セプテントリオーは寝台から金髪の少佐に顔を向けた。
ラゾールニクは、ラキュス・ラクリマリス王国電脳軍に所属する情報将校だ。魔哮砲戦争の戦時中、フリージャーナリストに扮し、武力に依らず平和を目指す活動に参加。セプテントリオーとは知らぬ仲ではない。
枕辺に立った少佐が顔を曇らせた。
「治療が奏功し、ご病気は平癒なさったと耳にしましたが」
「そんなに顔色が悪いのですか?」
素人目にも病状が芳しくなく見えるらしいと気付き、セプテントリオーが、壁際に控えた近衛兵二人と女官三人を見回す。五人は微妙に目を逸らした。
軍服姿のラゾールニク少佐が困惑する。
「失礼ですが、最後に鏡をご覧になられたのはいつでしょう?」
「えッ? そう言われてみれば、長い間、見ていないような?」
セプテントリオーは聞かれるまで、自分が最近、全く鏡を目にしなかったことに気付かなかった。
共和政時代は自分で髭剃りしたが、クレーヴェル城で暮らし始めてからは、女官が世話を焼くので自分で鏡を見る必要がないのだ。
女性なら、化粧の出来栄えなどを気にして見るだろうが、髭の有無は触ればわかる。
戦後は、復興の忙しさを言い訳に最低限の身だしなみを繕うだけで、仕事以外にはまったく無頓着だった。
ラゾールニク少佐が、一番若い女官に声を掛けた。
「この部屋って鏡、ある?」
「え、えぇ……ございます」
緑髪の元伯爵令嬢は、情報将校の馴れ馴れしい態度に怯んだが、必要な情報は答えた。
ラゾールニク少佐が枕辺を離れ、女官に一歩近付く。
「どうしてお見せしなかったんだ?」
「あ、あの……それは……その……」
若い女官が年嵩の女官に視線で助けを求めた。
最年長の女官が、若い女官とラゾールニクの間に立つ。
「病に伏せられる以前は、毎朝の髭剃りの後、必ずお見せしておりました」
「御覧になりました?」
ラゾールニクがわざとらしく首を傾げてセプテントリオーに確認する。
「……憶えていません」
「って言ってるけど?」
「恐らく……お忙しさの余り、身だしなみに構う余裕がなく、ご記憶に留まらなかったのではないかと愚考致します」
年嵩の女官が言うと、緑髪の女官たちと近衛兵たちが頷いた。
セプテントリオー自身は全く記憶にないが、普通は髭剃りの後、確認の為に見せるだろう。
ラゾールニクが若い女官に重ねて問う。
「倒れてからは時間ができたと思うけど、見せてないの?」
「オレニョノク呪医に止められておりますので」
「えっ? 何故そんなことを?」
セプテントリオーは驚いて聞いた。
答えたのは、年嵩の女官だ。
「あまりに窶れたお姿をご覧になると、却って精神的によろしくないとのことでございます」
「ご病気は平癒なさったことだし、そろそろ現状を正しく把握していただいた方がいいんじゃないかな?」
金髪の少佐が、緑髪の女官たちを見回す。
「鏡を見せて下さい」
セプテントリオーの言葉に女官たちが顔を見合わせる。
ラゾールニク少佐がニッコリ笑って言った。
「主治医の呪医に怒られたら、俺が謝っとくよ」
「いえ、それには及びません。私が命じたことです」
「ご配慮賜り恐れ入ります」
ラゾールニク少佐は恭しく一礼したが、いつもの態度のせいでふざけているようにしか見えない。
女官が部屋に備え付けの戸棚から手鏡を出す。
セプテントリオーは半身を起こし、震える手で差し出された手鏡を受取った。
「これが……私……?」
緑髪の大半が白くなり、辛うじて緑の部分も、記憶よりずっと色が薄い。目が落ち窪み、頬がげっそり扱けて百歳は老けて見えた。
顔色が青白いのは、倒れて以来、殆ど外出しなくなったからだろうが、顔色の悪さが亡霊のような風貌に拍車をかける。
倒れてから今日まで女官と近衛兵にされた過保護な対応の数々が、セプテントリオーの脳裏を駆け巡る。
狭心症が完治した後も、重病人か老人のように甲斐甲斐しく世話を焼かれて閉口したが、こんなに窶れた姿を目にしたのでは、無理もない。
……しかし、緑青入りの料理は毎日、残さず食べているのだがなぁ?
狭心症が完治してからの食事は、毎食、栄養士が計算して献立を決める。湖の民に特有の銅欠乏症の症状こそないものの、我ながら酷い有様だ。
年嵩の女官が、鏡を見詰めて動かなくなったセプテントリオーに告げた。
「オレニョノク呪医のお話によりますと、お身体がかなり弱っておいでなので、緑青を含むお食事をなさっても充分に吸収できず、それがご回復に遅れが生じる主な原因とのことでございます」
摂取できないのは、セプテントリオーの身体の問題だ。食事ですら、回復に充分な効果を得られない程にまで衰弱が進んだと知って、愕然とする。
「お仕事の間は気が張って、ご自身の不調も衰弱もお気付きになれなかったのでしょう。今しばらく、ご自愛下さいますよう」
「ラゾールニクさんは、お見舞いの為だけに来たのではありませんよね?」
一礼して退室しかけた情報将校を呼び止める。
「ウヌク・エルハイア将軍のご命令で、御身のお加減を確認しに参りました」
「それだけでは、ありませんよね?」
「お加減がよさそうなら、動画などの資料を提示し、事件の顛末をご報告するよう命じられました」
少佐が扉の脇で姿勢を正し、セプテントリオーに向き直って敬礼した。
「事件……例の動画の件ですか? 私は大丈夫です。教えて下さい」
「みなさん、よろしいですか?」
ラゾールニク少佐が近衛兵と女官の顔色を窺う。
セプテントリオー付きの五人が視線を交わし、年嵩の女官が答えた。
「将軍閣下のご命令とあらば、私共は口を挟めません」
「だが、少佐はセプテントリオー様のお身体が優れないと思ったから、報告せずに帰ろうとしたのだろう?」
近衛兵ジャドに険しい顔を向けられたが、ラゾールニク少佐はどこ吹く風だ。
「中途半端に情報を提示して帰れば、却ってストレスになるかと存じます」
近衛隊のジャドとラシーハは、電脳軍の将校に苦々しい顔を向けたが、それ以上言わなかった。




