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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第十四章 喪失

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0295.潜伏する議員

 ラクエウス議員は、自分の中の新たな可能性に驚くと同時に呆れた。


 クラピーフニク議員の支持者スニェーグ氏の案内で、リャビーナ市内にある別の支持者宅を訪れた。部屋に通されると、待ち構えた女性たちに取り囲まれ、あっという間にもみくちゃにされた。


 「ラクエウス先生、さ、終わりましたよ」

 女性の一人が手鏡を差し出す。


 映ったのは、九十歳を越える老議員ではなく、老婦人の顔だった。

 化粧で皺が薄くなり、肌には艶が加わって血色よく見える。皺に囲まれた唇は潤いを(たた)えて瑞々しい。かつらは白髪だが、ゆるやかな巻き毛が頭と頬をふんわり覆い、華やかに見せる。

 姉のクフシーンカに似るが、実際の年齢よりずっと若く見えた。


 ……儂……なのか?


 自分でも目を疑う別人ぶりだ。

 服は、若草色の地に白い小花を散らした古風なワンピース。パフスリーブの膨らみが、男性らしいがっしりした肩幅を誤魔化してくれる。濃紺のタイツがスネ毛を隠した。


 老議員を変装させた女性陣は、満足げに頷き、互いの健闘を讃え合う。


 「みなさん、流石ですね。黙ってれば、誰もこのご婦人をラクエウス先生だなんて思いませんよ」

 ピアノ奏者のスニェーグが、半ば呆れた声で彼女らの技術を褒めた。彼女らは、その言葉をくすくす笑って受け取る。


 「ラクエウス先生、コンサートの日は、私がずっとお傍に居ります。何でも小さい声でおっしゃって下さいね」

 五十代後半から六十代前半と(おぼ)しき女性が歩み出た。

 胸元では、鷦鷯(ミソサザイ)(かたど)った銀のペンダントが揺れる。

 歌手ニプトラ・ネウマエと同じ【歌う鷦鷯(ミソサザイ)】学派の術者だ。


 そして、あの日、議員宿舎に曲を聴きに来た女性だった。


 「コンサートは毎週一回、週末にあります。それ以外はウチでお過ごし下さい」

 スニェーグに言われ、ラクエウス議員はまだ夢でも見るような心地で頷いた。


 「先生、急な話で恐れ入りますが、後二時間程で開演なんです」

 支援を申し出た女性が申し訳なさそうに言う。

 ラクエウスは、それには大して驚かず聞いた。

 「儂はどうすればいいかね? 何か手伝えることは」

 「一度、合わせ練習に参加していただいて、本番でも一曲だけ、お願いできますか?」

 「いいのかね? いきなり」

 「勿論(もちろん)です。先生に教えていただいた曲ですから」


 プログラムを渡され、老眼鏡を掛けた。半分は知らない曲だ。

 「国民健康体操……また随分、懐かしい曲を」

 思わず呟きが漏れる。スニェーグが、楽譜を寄越しながら言った。

 「平和だった時代を思い出せるように、旧王国時代から現代まで幅広く入れてあるんですよ」


 「では、この……『聖歌メドレー』と言うのは?」

 我知らず渋面になる。


 リャビーナ市民楽団の団員に緊張が走った。ピアノ奏者のスニェーグが、困ったような微笑を浮かべ、穏やかな声で解説する。

 「旧王国時代に編曲されたものです。フラクシヌス教の各宗派の代表曲だけでなく、キルクルス教の聖歌も入っていますよ」

 「何ッ?」

 「冒涜だと感じますか?」


 「いや……しかし、何故?」

 ラクエウスが何とか声を絞り出すと、スニェーグは遠くを見る目で言った。

 「旧王国時代には、神々の祝日と言う祭日があったそうです」

 「神々の祝日?」

 初耳だ。音楽史の授業でも習わなかった。

 スニェーグが説明を続ける。

 「領内で信仰される全ての神々を讃える祭だったそうです」


 「そんなことが……」

 できるのか、と言い掛け、言葉を飲み込む。

 できたのだろう。旧ラキュス・ラクリマリス王国時代には、一神教のキルクルス教徒も、折り合いを付けて参加したのだろう。



 その後のラキュス・ラクリマリス共和国時代に生まれたラクエウス自身、子供の頃はフラクシヌス教徒の子供たちと一緒に遊んだ。


 ラクエウスの姉クフシーンカの親友姉妹は、力ある民でフラクシヌス教徒だ。

 姉と同い年のフリザンテーマはキルクルス教徒と結婚し、内乱後はリストヴァー自治区へ移住した。

 幼いラクエウスが、竪琴の才能を見出されて寄宿学校に入った後、年の離れたカリンドゥラがどこでどう暮らしたか、全く聞かなかった。


 姉弟は、フリザンテーマがフラクシヌス教徒の魔女だと知られぬよう、彼女ら一家との交流を(ほとん)ど絶った。

 音楽家として、政治家として、顔の広いラクエウスと交流を続ければ、その人脈の中にフリザンテーマを知る者が居る可能性があった。

 ラクエウス議員の留守中、姉のクフシーンカは、何度か親友を自宅へ招いたようだ。彼女の死後も、孫娘を針子として雇うが、ラクエウスは見て見ぬ振りで通す。


 ……あの娘は、大火から逃れられたろうか?


 「あの……先生、ご無理でしたら、このコンサートには」

 スニェーグの気遣わしげな声で顔を上げた。

 楽団員たちも、物思いに(ふけ)って沈黙するラクエウスに不安な眼差しを向ける。


 「いや、気にせんでくれ。子供の時分(じぶん)を思い出しておったのだよ。儂はその後の共和国時代の生まれだが、フラクシヌス教徒の子とも仲良く遊んだし、学校も、信仰に関係なく、共に机を並べておった。それに」

 「それに?」

 「卒業後すぐ、ラキュス・ラクリマリス交響楽団の一員として、様々な曲を奏でた。呪歌のアレンジも、フラクシヌス教の祭日には聖歌も」

 楽団員たちの目が、驚きに見開かれる。


 ラクエウス議員は、楽団時代の思い出を語った。

 「フラクシヌス教徒の団員たちも、キルクルス教の祭日には、我らが聖者を讃える聖歌を奏でてくれた。民族自決(みんぞくじけつ)の思想が広まる前までは、な」

 語る内に記憶が鮮やかに甦り、声が震えた。



 団長は、まだ十六歳のラクエウス……当時はハルパトールと呼ばれた新人の信仰と気持ちを尊重してくれた。

 「イヤなら、無理をせずともよい」

 それは、“イヤなら楽団を辞めろ”との脅しではなく、全ての団員に向けられた思いやりだ。

 その気持ちに支えられて、ラクエウスは自らの信仰に折り合いを付け、呪歌のアレンジ「この大空をみつめて」も、その他の曲も、誠実に奏でられた。



 「すべての壁を取り払い、人々の心をひとつにできる。それが、音楽の力だと思うのです。微力ではありますが、この老いぼれの力、お使いいただけましたら幸いに存じます」



 その言葉で笑顔が広がり、拍手が湧き起こる。

 ラクエウスは、寄宿学校時代の気持ちに戻り、深々とお辞儀で応えた。

☆クラピーフニク議員の支持者スニェーグ氏……「0278.支援者の家へ」参照

☆あの日、議員宿舎に曲を聴きに来た女性……「0268.歌を探す鷦鷯」参照

☆国民健康体操……「0115.昔の音の部屋」「0272.宿舎での活動」参照

☆大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照

☆呪歌のアレンジ「この大空をみつめて」……「0170.天気予報の歌」「0178.やさしき降雨」「0220.追憶の琴の音」参照


 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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