0274.失われた兵器
ラクエウス議員が、ガムに刻まれた文字で事態を知る三日前。
魔装兵ルベルは、ネモラリス島南方の湖上で、呆然自失した。
……何だ……今の……?
アーテル軍の爆撃機が久々に出撃した。
旗艦オクルスの甲板に立つ魔装兵ルベルが、【索敵】の術で機影を捉える。
作戦指令室と、防空艦レッススに搭乗する【魔哮砲】操手らに【花の耳】を介して数と方角を伝えた。
防空艦の甲板で、不定形だった【魔哮砲】が蠢き、闇の塊が裏返した傘の形を成す。哨戒のルベルは起動を確認すると、爆撃機の編隊に視線を戻した。
操手とは【刮目】の術で繋がり、ルベルと視界を共有するが、口頭でも敵機情報を詳細に伝達、確認する。
術で拡大した視界で機影が大きくなった。
防空艦では、漆黒の傘が中央に魔力を収斂、放射された魔力が輝く。編隊は間隔を取るが、拡散した魔力に全機が呑まれた。
爆発の直後、上空で何かが光った。警告を発する間もない。
数呼吸置いて、レッススの投錨地点から大量の水飛沫と、金属片などが降り注いだ。湖面が激しく波立つ。
「状況!」
隊長に肩を叩かれ、呪縛が解けた。戦果報告の遅れに痺れを切らしたらしい。
「状況を報告せよ」
「……防空艦…………消失……」
「何ッ? どう言うことだッ!」
隊長がルベルの前に回り、両肩を掴んで揺さぶる。集中が切れ、【索敵】が失効した。
隊長の目に焦点が合う。
困惑と緊張、焦りに揺れる目を見詰め、ルベルは声を絞り出した。
「防空艦レッススが、消失……しました」
「何故だッ? 敵機はッ?」
「敵機を殲滅した直後、何かが上空で光って……」
「光って、なんだ?」
隊長がルベルの肩を掴む手に力を籠め、勢い込んで先を促す。
「次の瞬間には、もう……大きな水柱が……恐らく……艦の破片と思われるものが多数」
「【魔哮砲】はどうなったッ?」
「……わかりません」
首を横に振ると、隊長は艦内に駆け込んだ。
兵たちは、哨戒兵ルベルを遠巻きにするが、誰も声を掛けられずにいる。
「害意 殺気 捕食者の姿 敵を捕える蜂角鷹の眼
敵を逃さぬ蜂角鷹の眼 詳らかにせよ」
ルベルは再び【索敵】を唱え、防空艦レッススの投錨地点に目を凝らす。
水飛沫が収まりつつある湖面に無数の破片が浮く。金属片や裏返った救命艇に混じり、人型のものも見える。その周囲に不自然な波が立った。湖に棲む魔物だ。
湖の女神パニセア・ユニ・フローラの御力で、弱い魔物は、この世のラキュス湖に迷い出た瞬間、祓われる。出現時点でそれなりの力を持つモノは、魚や水草を食い散らかして定着し、漁船や岸辺の生物をも襲う。
原形を留めた遺体が、波に呑まれた部分を次々と失う。
軍服の【魔除け】など各種防禦魔法が効力を失ったことが、彼らの死を物語る。遺体の残留魔力を喰らい、多くの魔物が受肉し、魔獣と化す。
北ザカート市などネーニア島西部の復興がまた一歩、遠のく。そればかりか、ラクリマリス王国にも被害が出るだろう。
ネモラリス島南沖とネーニア島南西部。
手に取るように見えるが、実際は遠く隔たる。今のルベルには、魔物の餌になる戦友を見届けることしかできない。
暗澹たる思いで、闇の塊を捜す。
あの日、慈善バザーの会場で聞いた話が本当なら、【魔哮砲】は魔法生物だ。
あれから、非番の日に文献を当たった。大抵の魔法生物には、通常の魔物同様、物理的な攻撃が効かないと知った。
これがどんな兵器かわからない。だが、アーテル共和国は、魔術を「悪しき業」と忌避するキルクルス教国だ。どんなに強力な兵器であっても、魔力を帯びなければ、魔哮砲にはかすり傷ひとつ付けられない。
アーテル軍は、爆撃機の一編隊を囮にし、別の手段で攻撃してまで防空艦レッススを沈めた。
そこまでしても、魔哮砲の破壊には至らなかったと知れば、次はどう出るか。科学知識に乏しい魔装兵ルベルには、全く想像がつかなかった。
それより、魔哮砲が回収可能か気掛かりだ。
操手を失った今、闇の塊がどんな行動に出るか読めない。
通常の魔法生物は、主の魔力を糧に活動するが、魔哮砲は膨大な魔力を放射して、遙か彼方の爆撃機を一掃する。あの魔力の源は、使い魔の契約者一人ではあり得ない。
何らかの方法で補給するのだろうが、ルベルにはその手段がわからなかった。
……溺死……はないかもしれないけど、魔物に捕食されるかもしれないな。
魔哮砲は連続三回、魔力を放出できる。今回の出撃では、まだ一回だ。魔哮砲を食べた魔物がどんな魔獣になるか、考えたくもない。
旗艦オクルスが抜錨した。
艦首を巡らせ、北西に針路を取る。ラクリマリス王国の封鎖水域を避け、ネーニア島の北側を迂回するのだ。
他は一隻も動かない。念の為、この水域に展開した防空艦は残すらしい。
魔哮砲以外の防衛手段は、魔力を蓄積した青玉や【魔道士の涙】で強化した魔装兵による人力だ。【操水】で壁を建て、防禦する。
水壁自体も攻撃に使うが、それに乗せた魔装兵の術による攻撃が主力となる。水壁を足懸かりに【飛翔】の術で宙を舞い、遠距離から【光の槍】を撃つ。
一度の攻撃で一機ずつしか落とせないが、有効だ。
防空網を突破されれば、流石に音速で飛ぶ爆撃機は追跡できない。陸軍の地対空砲による応戦に任せるしかなかった。
……ラクリマリスが湖上封鎖してくれたお陰で、奴らも他の空路を通れなくなったから、ネーニア島西岸に集中できるんだよな。
ラクリマリス政府は、不意打ちの開戦直後こそ領空通過を許したが、数日で批難声明を出し、領空を通過する航空機は全て撃墜すると宣言した。
アーテル空軍は基地発進後、湖を北上してネーニア島西岸を攻撃するか、ネモラリス共和国領をクブルム山脈沿いに通過し、ネモラリス島へ向かうしかない。
ネモラリス水軍は、基地北方の湖上で待ち構えれば、簡単に迎撃できる。
封鎖圏外ぎりぎり南、南北ザカート市西方沖の水域には魔哮砲搭載艦レッスス。その後方、リウーチク半島沖には強化兵が乗艦する防空艦隊が、万一の撃ち漏らしに備える布陣だ。
旗艦指令室からの命令で、その艦隊も魔哮砲の捜索へ向かった。
艦隊全てをザカート市沖に南下させるのは危険だ。三分の一は持ち場に留まる。
あちらの哨戒兵も、防空艦レッススの轟沈を目撃した。ルベルより近くから見た彼らは、個人の識別もできただろう。
……せめて、魔物に食われる前に収容できればいいんだけどな。
ある程度まで接近すれば、後は人力だ。【跳躍】と【操水】で回収する。
あの攻撃が再び来るかも知れない。射程距離も不明。遺体を狙う魔物とも戦わねばならない。憂鬱なだけでなく、危険な任務だ。
現場水域へ向かった四隻は、北ザカート市の手前、リウーチク半島沖で投錨。魔力の強い兵を喰らい、力を増した魔物や魔獣が更なる餌食を求めて集まる水域へ、次々と魔装兵が跳ぶ。
彼らはすぐに着水せず、【飛翔】で滞空し、湖面に【光の槍】を撃ち込んだ。
存在の核を撃ち抜かれた魔物が霧消し、そうでない魔物や魔獣が腹を見せて浮かぶ。現場は一目見て、生き残りの兵が居ないとわかる惨状だ。
生き残った異形がたちまち集まり、魔獣の死骸があっという間になくなる。
魔装兵ルベルは、その上空をちらりと見たが、すぐ湖面へ視線を戻す。
再びあの攻撃が来ても、あんなに速くては回避できない。
上空の警戒を諦め、防空艦レッススの投錨地点に目を凝らした。
もっと近付かなければ、水中を見通せない。ルベルはもどかしい思いで湖面を見詰めた。




