0270.歌を記録する
五月半ばになった今も、移動販売店見落とされた者の一行は、ドーシチ市の商業組合長ラトゥーニの屋敷に滞在中だ。
今日は、サンルームに集まった。
針子のアミエーラは学校で「ラクリマリス王国はほぼ魔法文明国になった」と教えられたが、認識を改めた。
五月の空は晴れ渡り、ガラス越しに注ぐ光はやさしい。
日当たりのいい場所には、鏡のようになめらかな板を繋げたパネルが置かれ、最も日光が当たりやすい角度に金属の支柱で固定してあった。
工員クルィーロが、太陽の光を電気に変える「ソーラーパネル」と言う機械だと教えてくれた。ファーキルも、タブレット端末の充電用に小型のものを持つが、ここにあるのは扉五枚分の大きさだ。
ソーラーパネルからはコードが伸び、金属の箱に繋がる。
工員クルィーロが箱にキラキラした目を向けた。
「これ、日之本帝国製の蓄電池じゃないですか」
何か凄い機械らしいが、アミエーラには何がどう凄いのかわからない。
商業組合長が満面に笑みを湛え、工員に言う。
「えぇ。近頃は両輪の国になる所が増えましたからね」
無線を用いた通信設備が十年程前、ラクリマリス王国全土に整備され、巡礼のついでに観光する者が増えた。
以前は王都ラクリマリスと、直通航路のあるグロム市くらいだったが、ここ数年は、この田舎にも足をのばす観光客が増えつつあると言う。
組合長ラトゥーニの声には少し自慢が滲む。
「遠方から来られた方の通信機を充電するのに、去年、アミトスチグマから取り寄せたんです」
「へぇー……」
「今のところ、この街では、我が家と大きな宿屋くらいしか置いてませんがね」
「アンテナが整備されてから、こんな田舎にも人が来るようになったのは、喜ばしいことです」
組合長の甥アウセラートルが締め括った。
蓄電池の先は、古めかしいレコードの再生機に繋がる。
以前は手回し式の発電機を使用したが、これなら、天気のいい日は何もしなくていいから助かる、と組合長が笑う。
みんなはソファに座るが、クルィーロとファーキルだけ立って待つ。
工員はレコードを再生する為、ファーキルは充電しつつ録音する為、それぞれ再生機と発電パネルの傍らに居る。
アミエーラは、ファーキルが持つ薄っぺらい板状の機械が、ニュースを読むだけでなく、録音と再生もできると聞いて、驚いた。
どんな仕組みか全くわからない機械は、魔法と大して変わらない気がする。
クルィーロがファーキルに合図し、レコードに針を落とした。ファーキルが板の表面を撫でる。
板の録音は感度が高く、周囲の物音も拾ってしまうと言われ、みんな息を殺してレコードに耳を傾けた。
よく聴く「この大空をみつめて」がサンルームに流れる。
ラトゥーニとアウセラートルは、ソファに身を沈めて寛ぐが、プラエテルミッサのみんなは浅く腰掛け、身を乗り出して聴いた。
演奏が一区切りする度に、ファーキルが板を撫でて何か操作する。
A面が終わり、みんながホッと息を吐いた。
あの板にレコードの音を録っておけば、天気のいい日なら発電機を起動しなくても聴ける。
ファーキルが何かすると、板からさっき聴いたばかりの演奏が流れた。
「凄いな……それ」
レノ店長が呟く。ファーキルはこくりと頷いて板を指でなぞり、演奏を止めた。
「大丈夫です」
「よし、次、B面な」
クルィーロがレコードを裏返し、ファーキルに合図する。少年が頷くのを見届けて、工員は再生機を操作した。
呪歌【やさしき降雨】に続いて、「すべて ひとしい ひとつの花」が流れる。
誰もが身じろぎひとつせず、発電機のノイズのない鮮明な音にその身を委ねた。
初夏の日差しが降り注ぐサンルームに、ゆったりとした時間が流れる。
レコードが一周し、再生機の針が上がった。
ファーキルが板に指を走らせ、クルィーロに告げる。
「録音、終わりました」
呪縛が解けたように肩から力が抜けた。
プラエテルミッサのみんなが立ち上がり、再生機の両脇に整列する。右に男声、左に女声、声の高低順に並んだ。
ファーキルだけは、発電パネルの傍を動かない。
「じゃ、行くぞ」
クルィーロがレコードをA面に戻す。
アミエーラは緊張で鼓動が高鳴った。前奏に耳を澄ませ、大きく息を吸い込む。プラエテルミッサのみんなの声がひとつになって響いた。
降り注ぐ あなたの上に 彼方から届く光が
生けるもの 遍く照らす 日の環 溢れる 命の力
蒼穹映す 今を認めて この眼で大空調べて予報……
まずは、「この大空をみつめて」本来の歌詞。先月、アーモンドの木の下で歌った時よりずっと耳に心地よい。
発電機の駆動音がなく、室内で声が反響するからだろう。斉唱だが、声の高低順で並んだお陰か、それぞれの歌声が和音のように調和する。
演奏が終わり、ファーキルが録音を止めた瞬間、ラトゥーニとアウセラートルが立ち上がって拍手した。
「素晴らしい」
「用意した甲斐があったよ」
本物の歌手ではないのに、歌を褒められるのはなんだかくすぐったいが、悪い気はしなかった。
クルィーロがレコードを止め、針を戻す。
二人はソファに座り直し、次の演奏を待った。
前奏が流れ、今度はパン屋のCMソングを歌う。
届けるよ あなたの許へ 焼きたてのおいしいパンを
ふっくらとふくらむパンは 心満たして 笑顔を作る
大きなトラック 幸せ積み込んで みんなで今日も街から街へ……
パン屋の姉妹が中心になって、アマナとアミエーラも作詞を手伝った替え唄だ。
ラトゥーニは目を細めて聴き入り、アウセラートルは微笑を浮かべる。
録音終了の合図を待って、二人は割れんばかりに拍手した。
「成程、上手いこと拵えたもんだ」
「よく売れるでしょう?」
「ま、まぁ、客寄せですからね」
レノ店長が曖昧な笑みを浮かべた。
最後に「国民健康体操」のレコードを掛ける。
クルィーロとファーキル以外は再び腰を降ろし、録音が終わるのを息を殺して待った。
「ふむ。今日は有意義な時を過ごせたよ。作業は休みだそうだが、この歌には、お代を出したい」
「いえ、そんな。俺たち、歌は素人ですし……」
レノ店長の謙遜に、組合長は首を横に振った。
「真に価値ある働きには、相応しい対価をきちんと払わねばならん」
思いがけず、毛布三枚と【魔力の水晶】ふたつが手に入り、一行は恐縮して受け取った。
……うるさい発電機なしで伴奏がついて、燃料の節約もできて、こっちが助けてもらってるのに。
針子のアミエーラは、組合長らの厚意に深く頭を垂れた。
今日は作業が休みで、お茶の後は、各自が自由に過ごす時間を持てた。
薬師アウェッラーナは、休息に充てると言って寝台に潜る。連日、魔法を使い続けてかなり疲れたらしい。
アミエーラは鏡台の椅子に腰掛け、祖母の手帳を三冊並べた。
どれも色褪せているが、一冊だけ色が違う。(一)と(二)の手帳は茶色い表紙で(三)だけ白だ。
掌が汗でしっとり湿る。
ズボンの膝で掌を拭い、思い切って(三)の手帳を開いた。捲ってみたが、書いてあるのは最初の数ページだけで、後は白紙だ。
拍子抜けして、最初のページに目を通した。
アミエーラは、時が止まったように手帳を凝視する。書かれた文字に何度も目を走らせた。




