0269.失われた拠点
五月初旬、呪医セプテントリオーは、久し振りに運び込まれた重傷者の治療に追われた。
葬儀屋アゴーニが、ボロ屑と化した患者の衣服を鋏で切り捨てる。老婦人が見慣れた筈の傷から目を逸らした。
軽傷患者にも手伝わせ、衣服と表面に付着した破片を取り除く。
焼け焦げた肉と服、流れ出る血。のどかだった別荘が野戦病院になる。
セプテントリオーは部屋の中央に移動し、朗々と呪文を唱えた。【青き片翼】学派の呪歌【癒しの風】だ。子供にもわかる簡単な言葉で構成され、独特の節回しは童歌を思わせる。
三十代半ばから四十代半ばくらいに見える男性が、錆臭さの漂う中、楽しげな歌を真剣な面持ちで謳う姿は奇異に映るが、誰も笑わない。
銃弾や破片がかすった傷が見る見る内に塞がり、深度の浅い火傷がキレイに拭い去られる。軽傷患者は、傷の痛みから解放され、動きに精彩を取り戻した。
重傷者の傷も僅かに癒え、盛り上がった組織に押された破片が落ちた。その傷から血が流れ、一刻を争うことに変わりはない。
セプテントリオーは重傷者の一人に手を触れ、【止血】の術をかける。こちらは呪歌ではなく、力ある言葉を早口に唱えた。
「身のほつれ 漏れだす命 内に留め 澪標
流れる血潮 身の水脈巡り 固く閉じ 内に流れよ」
出血を止めただけで、傷そのものが癒える術ではないが、破片を取り除く時間稼ぎにはなる。次々と同じ呪文を唱え、一人一人の容態を診た。
まだ、全員の息がある。
……誰も死なせはしない。
アゴーニたちに指示を出し、押し出された破片を【操水】で洗い流させる。
セプテントリオーは最も容態の悪い者から順に身体の奥深くまでめり込んだ破片を取り除いた。異物の排除を終えれば、間髪いれずに【癒しの水】で傷を塞ぐ。
失血量が多く、傷を完治させても意識が戻らない。
セプテントリオーは幾つもの【魔力の水晶】や【魔道士の涙】の魔力を借り、休む間もなく治療に専念した。
負傷者が運び込まれたのは早朝だが、何もかも終えられたのは未明だ。
呪医セプテントリオーは、丸一日飲まず食わずだが、空腹感はない。
今は別室で、アゴーニが淹れてくれた香草茶を飲む。
鎮香茶。心を安らげる効果のあるお茶だ。薬効は芳香にある。飲むより嗅ぐ方がいいが、呪医セプテントリオーは水を足して一気に飲み干した。渇きを自覚し、立て続けに何杯も水を飲む。
アゴーニは何も言わず、空になった水差しを持って部屋を出た。
警備員オリョールは治療を終えた直後、「拠点のひとつがアーテル軍に急襲された」とだけ言い残し、慌ただしくどこかへ【跳躍】した。
……ここも、時間の問題かもしれんな。
頭の芯を疲労に埋められ、思考が回らない。
アゴーニと老婦人が入って来た。
「呪医、お疲れ様。野菜とお魚のスープです。たんと召し上がって下さいな」
老婦人が鍋を置き、アゴーニは水差しと三人分の食器を並べた。
セプテントリオーはようやく、ここが初めて立ち入った部屋だと気付いた。
窓はなく、天蓋付きの寝台と今、腰掛けるソファとローテーブル。それだけだ。壁の花模様に紛れ込ませた様々な呪文で、他の部屋同様、防護が施される。
老婦人に湯気の立つ皿を差し出され、無言で受け取った。もう声を出す気力もない。とろりとしたスープに細かく刻んだ野菜と、ほぐした魚の身がたっぷりだ。臭み消しに胃薬の原料にもなる香草が使われ、弱った胃にやさしく、どんどん食べられる。
腹が満たされた途端、眠気が襲った。
「また何かありましたら、お呼びします。それまで、ゆっくりお休み下さいな」
老婦人が空いた食器を片付けながら言う。
セプテントリオーは足下が覚束ず、アゴーニに半ば抱えられて寝台に運ばれた。
ふと目を開ける。
見知らぬ寝具に包まれた身を起こす。知らない部屋だ。ソファで葬儀屋アゴーニがサンドイッチを食べるのが見えた。
「よっ、呪医、起きたか。ここ、あのシルヴァって婆さんの部屋の奥だってよ」
体調はそうでもないが、思考に靄が掛り、起き上っていられず、再び布団にもぐり込んだ。
次に目覚めた時には、アゴーニの代わりに老婦人が居た。
……あぁ、そうだ。治療が終わって、知らない部屋へ通されたのだ。
やっと状況を思い出す。時計がなく、どのくらい眠ったかわからない。
「あ、呪医、お目覚めですか。今、晩ご飯をお持ちしますね」
老婦人がローテーブルを拭く手を止め、いつもの柔和な笑顔を向けた。どうやら一日中眠ってしまったらしい。
「他のみんなは?」
「お陰さまで、みなさん、容態は安定しました。アゴーニさんはお食事の後、談話室でラジオを聞いてますよ」
「……そうですか」
セプテントリオーが寝台から立つと、老婦人は部屋の戸を開けた。
「ここ、私の部屋の奥なんです。いつものお部屋だと、大したことない用で起こしに来ると思って」
「お気遣い、恐れ入ります」
廊下に人の気配はなく、不気味に静まり返る。
用を足したついでに髭を剃ろうと、洗面所へ足を運んだ。
無精髭が青黴のようだ。あれだけ眠ったのに目の下は落ち窪み、憔悴しきった目には力がなかった。
今回は、警備員オリョールも珍しく負傷した。拠点のひとつが襲撃されたと聞いたが、その一言だけでは被害の全容はわからない。
髭を剃って顔を洗うと、少し意識がはっきりした。
詳しいことはまた明日、患者から聞くことにして、談話室へ向かう。
談話室には、葬儀屋アゴーニだけでなく、警備員オリョールら五人の魔法戦士も居た。
アゴーニとは別のテーブルに座る二人は、森の研究所に呪医セプテントリオーたちを説得に来た製薬会社の用心棒だ。
呪医が、葬儀屋の隣に腰を降ろす。
魔法戦士たちが会釈すると、胸の徽章が揺れた。五人とも【急降下する鷲】学派だ。正面に座る警備員オリョールが頭を下げると、他の四人も倣った。
「呪医、有難うございました」
「お蔭で、大勢の同志が助かりました」
「いえ、その為に参加したのですから」
有翼の蛇を象った徽章を持つ【青き片翼】学派の呪医セプテントリオーは、首を横に振って魔法戦士たちに頭を上げさせた。
「……それより、拠点のひとつが襲撃を受けたと聞きましたが」
「えぇ。どうやら罠にハメられたらしいんです」
用心棒パーリトルが身を乗り出した。黒々とした髭に覆われた顔で、目だけが異様にギラつく。
セプテントリオーが疑問を口にする前に、パーリトルは早口で状況を説明した。
その拠点は、アーテル本土の森にある。
旧ラキュス・ラクリマリス王国時代からよく知られた別荘地だ。都市部から比較的近いが、科学文明国のアーテル領となった現在は、森の魔物を恐れて誰も近付かない。
ネモラリス人ゲリラは、放棄された別荘のひとつを武器庫として押さえた。
そこが空襲されたのだ。
「空襲? アーテルの街に近いんですよね?」
「そうは言っても、それなりに距離はあるし、間に緩衝地帯の草原もある」
パーリトルが苦々しげに吐き捨てる。
湖の民の用心棒ジャーニトルが悔しさを滲ませ、もどかしげに言う。
「あれ、なんて言うんだっけ? 電気か何か出して位置を知らせる奴」
「電波を出す……発信機か?」
葬儀屋アゴーニが言うと、用心棒ジャーニトルは緑髪を勢いよく振った。
「そう、それだ。俺たちは一昨日の晩、いつも通り、アーテル軍の倉庫から武器を奪って……」
今回は倉庫内に警備兵がおらず、簡単に盗めた。武器に発信機を仕込み、わざと盗ませたに違いない。
拠点がネモラリス共和国などもっと遠くなら、みつからなかったかもしれない。
街に近かったことが災いし、早朝に空襲を受けた。魔物を恐れたのか、地上部隊の派遣は行われなかった。
軽傷だった者たちは治療後、遺体の収容に跳んだ。
葬儀屋アゴーニは、今日の午前中いっぱいまで、遺体の処理に追われたと言う。
オリョールが隣のテーブルから新聞を取った。
一面トップに「アーテル空軍 テロリストの拠点を破壊」と特大フォントの見出しが躍る。炎上する森と、別荘の焼け跡の写真が一面の三分の一を占めた。
ネモラリス人有志によるこれまでの破壊活動の一覧も掲載される。
記事は、「これでテロ被害は激減するだろう」との空軍トップの談話で締め括られた。
アーテル政府は戦果を大々的に喧伝し、国民の不満を逸らすつもりらしい。内容自体は、さもありなんと言ったところだ。
「あの、この新聞は、どうやって手に入れたのですか?」
星光新聞はキルクルス教徒向けだ。セプテントリオーは、今まで何度も切抜きに目を通したのに気付かなかった。兵法書の一冊も手に入らないと言ったのが腑に落ちない。
「それは、ランテルナ島民の家も拠点のひとつだからですよ」
「婆さんが、呆けて寝たきりの爺さんちに身内のフリして出入りしてるんです」
老婦人は、ちゃんとその老人の世話をして、近所の噂話や、その家に配達される新聞で情報収集すると言う。
警備員オリョールと緑髪の用心棒ジャーニトルの説明に頷き、セプテントリオーは、湖南地方のキルクルス教徒向け機関紙である星光新聞をめくった。
国際面には、魔道士の国際機関「蒼い薔薇の森」によるネモラリスの査察結果が載る。
調査団が出した結論は、シロだ。
アーテル軍が、「兵器化した魔法生物だ」と糾弾したモノは、使い魔として使役する異界の魔物と、大型火器を組み合わせた兵器だった。
湖上に浮かべた標的を使用した破壊実験の写真も載る。
複数の魔装兵が、何頭もの使い魔を戦争の為に酷使するのは、決して褒められた行為ではないが、国際法上は禁止ではない。
隅には、アーテルの軍事研究所所長の談話として、負け惜しみが連なる。
曰く、査察団は過去の真実を映し出す魔法の道具を使用しなかったので、真相は闇の中だ……と。
☆森の研究所に呪医セプテントリオーたちを説得に来た製薬会社の用心棒……「0216.説得を重ねる」参照
☆セプテントリオーは、今まで何度も切抜きに目を通した……「0261.身を守る魔法」参照
☆兵法書の一冊も手に入らないと言った……「0254.無謀な報復戦」参照
☆魔道士の国際機関「蒼い薔薇の森」……「0239.間接的な報道」「0248.継続か廃止か」参照
☆アーテル軍が、「兵器化した魔法生物だ」と糾弾……「0239.間接的な報道」参照




