0268.歌を探す鷦鷯
今年はやけに雨が多い。
確かに春雨の時期だが、数日置きに降り、ラクエウス議員の小さな演奏会は度々中止になった。
反面、雨に紛れてクラピーフニク議員が、支持者とメモや新聞の切抜きをやり取りし、外部の状況は少しずつわかりつつある。
読み終わったメモや新聞は、クラピーフニク議員に返す。後は彼が焼いて、灰はトイレに流した。
最近は、痺れを切らしたネモラリス共和国の一般人が【跳躍】でアーテル本土に乗り込み、ゲリラ活動をするらしい。
両国の対立を煽る行為でしかないが、ラクエウスには彼らの復讐を妨げる権利はなかった。
自身もかつては妻子の仇を討つ為、竪琴を銃に持ち替えたのだ。
果てしない復讐に虚しさを覚えてからは、政治活動に邁進し、国を分かつ為に東奔西走した。やっと和平合意が成立した時の安堵と喜びは、昨日のことのように思い出せる。
再び、半世紀もの長きに亘る戦いなど、あってはならない。
……何としてでも止めさせなければ……だが、どうやって?
ラクエウス議員は、藁にも縋る思いで、クラピーフニク議員にメモを書いた。
待ちわびた雨の夜、窓を訪れた水塊に紙片を託す。すぐ返事があり、了解を取り付けられた。
この雨自体、【飛翔する燕】学派の呪歌【やさしき降雨】がもたらしたものだ。歌い手は【歌う鷦鷯】学派の術者だと言う。
間に何度か雨の夜を挟み、ようやく、その人が現れた。
議員宿舎沿いを走る四車線道路の向こうに目印の帽子を被った女性が見える。
通りすがりを装い、偶然聞こえた琴の音に耳を傾ける体で、未完に終わった民族融和の曲を調べてもらう手筈だ。
未完の曲の作者は、【歌う鷦鷯】学派の術者だった。
当時は、「魔術的な効力はない」と説明されたが、「呪歌ではない」とは言われなかった気がする。
天気予報のBGM「この大空をみつめて」は【やさしき降雨】のアレンジだ。力ある言葉で本来の歌詞に魔力を乗せて謳わなければ、呪歌【やさしき降雨】の効力を発揮しない。
呪歌のアレンジだとしても、キルクルス教徒の竪琴奏者には、言えなかったのではないか。
もし、何かの呪歌のアレンジなら、本来の曲はどんな効力の術か知りたかった。
人の心を鎮める効果があるなら、積極的に広めてくれるようクラピーフニク議員を通じて依頼してある。
信号が青に変わり、その人が横断歩道を渡る。
帽子の鍔が広く、二階の窓からは顔立ちも年齢もわからなかった。いや、その方がいい。
ラクエウスはいつも以上に心を研ぎ澄まし、その人が横断歩道を半ばまで渡ったところで弦を爪弾いた。
薄曇りの空に普段からよく奏でる曲が流れる。
女性が左右を見回し、宿舎の前で足を止めた。死角に入り、窓から見えなくなったが、ラクエウスは鼓動の高鳴りを抑えて弦を掻き鳴らした。
警備担当の警察官が女性に近付く。彼も死角に入った。彼女は職務質問には素直に応じ、警察官に問う。
「ステキな琴ですね。レコードですか? それとも、どなたかの生演奏?」
「あぁ、これ、ラクエウス議員の生演奏ですよ」
「あら、そうなんですの。議員にしておくのが勿体ないくらいお上手ね」
警察官と女性が一緒に笑う。二人は曲が終わるまで黙って耳を傾けた。
最後の一小節が曇天に消える。女性が拍手し、警察官や他の通行人たちも手を叩いた。
「ホント、ステキね。初めて聴く曲だわ。お巡りさん、毎日こんなステキな琴を聞きながらお仕事なさってるの?」
「えぇ、まぁ、持ち場は交代制なんで、毎日じゃないんですけど、この場所に当たるのは楽しみですよ」
「そうでしょう。曲名を教えて下さらない? レコードがあれば、欲しいわ」
警察官の声が申し訳なさそうに答える。
「いえ、自分も知らないんですよ」
「そう。残念。じゃあ、議員先生にステキな演奏を有難うございましたって、お伝え下さいな」
女性の足音が遠ざかり、警察官が定位置に戻る。
この【歌う鷦鷯】学派の術者は知らなかった。
覚えて帰り、仲間に尋ねる手筈だ。
例の作曲者の完全なオリジナルだとしても、民族融和の曲が広く人々に知られるよう、あちこちで歌うように頼んである。
歌詞は冒頭しか作られなかったが、クラピーフニク議員の支持者には、既に歌詞を記したメモが渡った。
穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる
詩人は、湖南地方に新しい時代が訪れたことを謳った。
彼が謳った未来は、こんな筈ではなかったろう。今の状態は到底、詩人に讃えられるようなものではない。
塩湖ラキュスは、女神パニセア・ユニ・フローラの涙とも伝えられる。
当時、民族自決の思想が押し寄せ、社会は風に弄ばれる花のように揺れた。
涙の湖に浮かぶ小さな島で、幾つの花が時代の風に吹き散らされただろう。それは大陸のアーテル地方も同じだ。続きで謳われる筈だったのではないか。
魔哮砲の正体と、多くの国会議員が何をしたか。ラクエウスらの置かれた状況を窓から大声で叫べば、すぐに殺されるだろう。その声は誰にも伝わらず、人々の記憶にも残らず、無為に消えてしまう。
ラクエウス議員は雨の日も晴れの日も、宿舎に軟禁された議員や、警備兵と警察官、通行人に未完の曲の主旋律を竪琴で奏でて聞かせた。
議員たちはそろそろ飽きてきたようだが、構わず続ける。日に三度、窓辺に腰掛け、弦を民族融和の曲に震わせた。
これが、今のラクエウスにできる精一杯の抵抗だ。
春雨の季節の終わり頃、これ以上は怪しまれるので【やさしき降雨】は最後になる、とクラピーフニク議員からメモが回って来た。
そこには更に、この曲を知る【歌う鷦鷯】学派の術者は居なかったので、調査の範囲を広げる、とある。
作曲者オリジナルの可能性が高まったが、それでも構わなかった。
暗雲が垂れ込めたとは言え、半世紀の内乱以前……平和だったラキュス・ラクリマリス共和国時代に作られた曲だ。当時を知る長命人種は勿論、内乱終結後に生まれた若者たちにも知って欲しかった。
陸の民と湖の民。
力ある民と力なき民。
共和主義者と神政復古主義者。
キルクルス教徒とフラクシヌス教徒。
かつては、人種、魔力の有無、思想信条、信仰に関わりなく、同じ「ラキュス・ラクリマリスの民」として平和に暮した。
相争って血を流し、分断される前に謳われた平和を願う心を知って欲しかった。
☆ラクエウス議員の小さな演奏会……「0253.中庭の独奏会」「0259.古新聞の情報」参照
☆雨に紛れてクラピーフニク議員が支持者とメモや新聞の切抜きをやり取り……「0260.雨の日の手紙」参照
☆政治活動に邁進し、国を分かつ為に東奔西走……「0214.老いた姉と弟」参照
☆【飛翔する燕】学派の呪歌【やさしき降雨】……「0178.やさしき降雨」「0220.追憶の琴の音」参照
☆未完に終わった民族融和の曲……「0220.追憶の琴の音」「0259.古新聞の情報」参照
☆民族自決の思想……「0059.仕立屋の店長」「0220.追憶の琴の音」参照




