表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第十三章 生活

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

269/3541

0266.初めての授業

 「先生、よろしくお願いします」

 「私は遅くとも、六月半ばには旅に出ます。短い間ですが、こちらこそよろしくお願いします」

 薬師(くすし)アウェッラーナは、七人の薬師候補生を前に緊張した。


 女性四人、男性三人。みんな勉強熱心そうだ。

 女子学生一人が湖の民で、後は力ある陸の民。外見は十代後半から二十代前半だが、実年齢はわからない。


 アウェッラーナ自身、外見年齢は中学生のピナティフィダとそう違わないが、半世紀の内乱中に生まれ、そろそろ六十に手が届く長命人種だ。

 内乱時代に何人もの医療者から、系統の異なる医療系の術を断片的に教わり、平和になってから改めて大学へ通った。

 働きながら夜間大学に通ったが、主な目的は、バラバラに教わった知識をきちんと整理して理解を深める為だ。


 彼らのように白紙の状態で学んだのではない。



 幼いアウェッラーナは、生命の危機に晒される中で術を教わった。

 空襲を避ける防空壕の中で、いつ地上部隊が来るとも知れない焼け跡で、死の臭いを嗅ぎつけた魔物が跋扈(ばっこ)する廃墟の街で――習い覚えたばかりの覚束(おぼつか)ない術で、一刻を争う治療を手伝わされた。


 術を覚えても素材がなく、魔法薬を作れない状況は多い。

 数えきれない遺族から、治療できないことを(なじ)られた。それでも、癒しの術が使えなれば、家族や近所の人は誰も助からず、アウェッラーナも生き延びられなかっただろう。



 今、この部屋には山程、魔法薬の素材がある。

 ラクリマリス王国は平和そのものだ。

 湖の民アウェッラーナは、炎に蹂躙(じゅうりん)される街の記憶を頭の隅へ追いやった。


 ……まぁ、教科書はあるって言ってたし、実演を見せるだけでいいよね。


 ロークが、作業台に薬草の束と油壺、完成した傷薬を入れる小さな壺を並べてくれた。学生たちは正面に立ち、メモ帳を手に緊張した顔で講師の次の動きを待つ。


 「今から作るのは、傷薬です。薬草は生でも乾物でも構いません。虫綿は取っておいて、根っこと枯葉は捨てて下さい」

 「どうしてですか?」

 早速、黒髪の女子生徒から質問が出た。

 「根と枯葉は薬になりません。ゴミです。虫綿は、咳止めの薬になるからです」

 「有難うございます」

 アウセラートルが臨時講師をどう紹介したのか、学生たちはとても礼儀正しい。



 アウェッラーナは薬草の束を手に取り、呪文を唱えた。


 「元は根を張る仲間たち 土に根を張る仲間たち

  油ゆらゆら たゆたい馴染め……」


 もう何千、何万回も作った薬だ。

 じっと見詰められて緊張しても、術は間違いなく発動した。瓶から植物油が起ち上がり、宙を漂う。薬草を油に挿し、いつもよりゆっくり続きを唱えた。


 「……緑の仲間と生命結(いのちゆ)い 溶け合い結ぶ生命の緒

  (もと)はひとつの生命の根 結び留めよ 現世(うつよ)の内に」


 薬草が形を失い、植物油に溶け込む。ふたつの霊的性質を結合させ、全く別の存在に作り変えた。

 緑の液体を壺に注いで完成。術の支配から解放されると、緑の液は粘度の高い軟膏になった。


 「えーっと、油の量は容器の大きさに合わせて下さい。慣れない内は、先に量った方がいいでしょうね」

 「薬草の量はどうすればいいですか?」

 金髪の男子学生からも質問が出る。

 「勿論(もちろん)、油の量に合わせて下さい。この大きさの壺なら、十回分の量で薬草は五本です」

 「量を合わせなかったら、どうなるんですか?」

 「足りないと薬効が弱くなります。多いと溶け切りません」


 そんな遣り取りをする横で、ロークが壺に蓋をした。

 正方形の油紙を蓋の口に沿わせ、細い麻紐で(くく)る。片手で引っ張れば簡単に(ほど)ける結び方だ。今朝、学生が来る前に二人で一時間ばかり作業して、今は難なくできるようになった。


 「みなさんは、もう【傷薬】の呪文を覚えましたか?」

 学生が全員、申し訳なさそうに首を振る。

 アウェッラーナは教科書を見なかった。見れば、彼らの教育に深入りしてしまいそうだ。


 ……アウセラートルさんは自習できるみたいに言ってたし、そこまで面倒みなくていいよね。


 「じゃあ、明後日までに覚えて下さい。実践もした方がいいので」

 学生たちは戸惑いながらも、小さく頷いた。互いに目配せする顔には、焦りと緊張が溢れる。


 薬師(くすし)アウェッラーナは構わず続けた。こちらには時間がないのだ。

 「今日は私の実演をしっかり見て、魔力の流れと強さ、薬草を追加する段階などを覚えて下さい」

 そこで言葉を切って学生を見回す。七人は肩に力を入れてこくりと頷いた。

 学生の都合に合わせてはいられない。

 「明日は各自、自習して呪文を覚えて来て下さい」



 アウェッラーナは有無を言わさず、どんどん傷薬を作り、ロークがせっせと蓋をして木箱に詰める。

 学生たちはメモを取りながら真剣に作業を見詰めた。

 プロの薬師(くすし)は、一瞬たりとも見逃すまいとする七つの視線に晒されながら、ひたすら緑色の軟膏を作り続ける。


 やがて、アウェッラーナは学生の存在を忘れ、術に没入した。

 瓶の油と手元の薬草が尽きれば、ロークがそっと瓶を入れ替え、束を追加する。切れ目なく流れ作業で作り出される傷薬に、学生たちは瞬きも忘れて見入った。

 アウェッラーナは遠慮なく【魔力の水晶】を使い、休みなく同じ術を繰り返す。


 昼前には壺七十個余り、七百回分以上の傷薬が完成した。


 ……説明の時間も入れて、これだけか。


 アウェッラーナは頭の中でざっと計算した。余程のことがない限り、四、五日でできそうだ。


 学生たちの食事は別に用意されるらしく、作業部屋の前で一旦別れた。

 薬師アウェッラーナとロークは、大食堂でいつものみんなと食卓を囲む。



 他のみんなは今日、製菓と蔓草(つるくさ)細工に分かれて作業した。

 パン屋の兄妹が厨房の様子を語る。

 スヴェチーニク家は専門の菓子職人を抱えるが、今朝は取敢えず、他の使用人たちが基本を教えてくれた。


 「今日のおやつは俺たちが作らせてもらったんだ」

 「へぇー、どんなの?」

 レノ店長が少し照れ笑いを浮かべ、幼馴染のクルィーロが興味津々で聞いた。エランティスが、答えようとする兄を手振りで制した。

 「内緒。食べる時のお楽しみ」

 「ははは。そうか。お茶の時間が待ち遠しいな」

 クルィーロの明るい声にみんなもつられて笑う。


 ……ここに居る時間が延びて、よかったのかもね。


 早くネモラリス島へ渡りたいが、戦争はまだ終わらない。空襲が少なかったとは言え、あの島も無傷ではなかった。

 何よりも、人の心が(すさ)んだだろう。

 ここしばらくは忙しく、ラジオのニュースを聞く暇もなかった。クブルム山脈の向こう側がどうなったか、目と鼻の先なのにわからない。


 プラエテルミッサのみんなは、何もかもを失い、心に大きな傷を負った。

 たった二カ月や三カ月で癒える筈がない。この安全な場所で、もう少し休息した方がよさそうだ。



 昼食後、薬師(くすし)アウェッラーナは学生の質問を少し受け、作業を再開した。昼食後の空き時間に教科書を読んだのか、質問がより専門的になった。

 学生たちは、小声で力ある言葉を唱えながら作業を見守る。何度も聞いて少しは覚えられたらしい。


 間で幾つか質問を受けた他は、お茶の時間まで延々同じ作業を繰り返し、実演した。ここまでの完成品は百個と少し。ノルマは膨大だが、順調だ。



 「お茶は、学生さんもご一緒にどうぞ」

 呼びに来た使用人の言葉で、アウェッラーナはすかさず釘を刺した。

 「休憩だから、質問はナシでお願いします」

 学生たちが強張った顔で頷く。

 ロークが殊更に明るい声で場の緊張を()いた。

 「今日のおやつは、ウチの店長たちが作ったんですよ」


 学生たちは、お茶会が始まってしばらくは緊張で固かったが、香草茶の薬効のお陰か、アウセラートルと知らない人が同席しても、次第に肩から力が抜けた。


 お茶請けは、クッキーとパウンドケーキ。砕いたアーモンドを混ぜたクッキーは香ばしく、さくさく軽い食感で、幾らでも食べられそうだ。

 パウンドケーキは、ホウレンソウを混ぜた塩味と、ブルーベリーを混ぜた甘いものの二種類。女の子たちにはブルーベリー味が人気だ。彼女らの声と笑顔で場が華やぐ。


 「へぇー……兄ちゃん、流石、店長なだけあるな。こいつもふわっふわだ」

 「ちゃんとした機材、使わせてもらったんで」

 謙遜にこれまでの苦労が滲む。以前はビニール袋など、間に合わせの物で急場を凌いだ。アウェッラーナは、それでも売り物になる品質にできた彼らに心の中で賛辞を送る。


 ……魔法じゃないのに、魔法みたい。


 小麦粉、卵、砂糖、ふくらし粉。基本素材に味の変化を加えて、こんなに美味しいお菓子ができる。

 ちゃんとした厨房とは言え、魔法を使わずにどう作るのか。アウェッラーナにはわからないが、椿屋兄妹の技術は確かだ。


 メドヴェージが菓子の出来を褒めちぎり、パン屋の三兄姉妹(さんきょうだい)が頬を染めて笑う。少年兵モーフは夢中で焼菓子を頬張った。


 学生たちは、参加者の奇妙な取り合わせに怪訝な顔で愛想笑いを浮かべる。講師に質問を禁じられ、落ち着かない様子だが、誰も説明しなかった。

 アウセラートルが何も言わないので、プラエテルミッサのみんなも、「自分たちは難民の移動販売だ」などと、わざわざ自己紹介しない。


 ……まぁ、こんなものよね。


 お茶会の後は、五時まで学生相手に実演した。彼らが帰ってからも夕飯まで、ロークと二人で作業を続ける。



 講師としての初日が終わり、寝室に引き揚げると、どっと疲れが押し寄せた。

 何も考えられず、ベッドに入るなり睡魔に襲われる。アミエーラは何か言いたそうだが、返事もままならない。


 気付いた時には、朝だった。

☆教科書はあるって言ってた……「0255.魔法中心の街」「264.理由を語る者」参照

☆薬草の束を手に取り、呪文……「0009.薬師の手伝い」参照

☆空襲が少なかったとは言え、あの島も無傷ではなかった……「0203.外国の報道は」参照

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ