0264.理由を語る者
午後のお茶の時間、アウセラートルが新しく追加した契約について、簡単に説明した。
緑髪の薬師は、三日後の四月二日から学生の見学を受け容れ、講師料として【魔力の水晶】が別途支払われる。
学生は七人。全員が力ある民で、実習として魔法薬作りを手伝わせてもいい。授業の一環なので、彼らには報酬がない。
説明に時間が掛かる為、先の契約の期限を一カ月延長した。
「早く帰国したいのはヤマヤマだけど、焦ったってまだ戦争は終わらないし」
最後にレノ店長がみんなを見回して締めくくった。
……まぁ、そりゃそうだけどよ。
少年兵モーフは、一言の相談もなく勝手に決められたのが癪に障った。だが、話し合いの席にソルニャーク隊長が居たのを思い出し、何も言わない。
今日のお茶にも「プロ中のプロ」が作った焼菓子が出た。
毎日食べても、幾つ食べても飽きない。菓子で懐柔されたような気がしないでもないが、くれるものは遠慮なくいただいた。
ここを出れば、もう一生、口にできないのだ。
「どうして今まで、薬師さんの学校なかったの?」
ピナの妹がぽつりと言った。アウセラートルへの質問と言うより、思わず零れた本心だ。
前からあれば、あんな怖い目に遭わずに済んだ。モールニヤ市同様、普通に商売をして、数日で通過できただろう。
少年兵モーフは上座に目を遣った。
「話せば長くなりますし、皆さんには関係のないことですから」
「でも、気になる」
少年兵モーフは自分でもびっくりする程、大きな声が出た。
場が静まり返る。
ソルニャーク隊長は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、何も言わなかった。容認と取り、モーフは更に言う。
「こんだけ巻き込んどいて、他所者には教えてやんねぇってケチ臭くねぇ?」
「外部に漏れると困るコトですか? なら、深入りしません」
薬師のねーちゃんが言うと、アウセラートルの太い眉がやや下がった。一番迷惑した彼女の言葉の方が効き目があるらしい。
アウセラートルは諦めて、あの騒動の経緯を語った。
「……わかりました。近隣の街では既に知られていることです」
このスヴェチニーク家は二百年以上前、ラキュス・ラクリマリス王国時代まではドーシチ市一帯を治める領主だった。
共和制に移行し、貴族の身分が解体されたのは、時代の流れなので致し方ない。
民主主義、転居、婚姻、職業選択の自由……アルトン・ガザ大陸から新しい価値観が一気に流入し、ラキュス湖南地方の社会は一変した。
「何、カンケーない話してんだよ」
「坊主、話の腰を折るもんじゃねぇ」
「人の話は最後まで聞くものだ」
少年兵モーフが不満を漏らすと、メドヴェージがすかさず窘め、ソルニャーク隊長にも苦言を呈された。
渋々口を閉じ、アウセラートルに不機嫌な顔を向ける。元貴族は涼しい顔でこの地の歴史を語った。
「問題は、その価値観でした」
結婚すれば、呪医としての霊的、身体的資格を喪失する。
現在は国際条約で禁止されたが、古い時代には、孤児に成長を止める術を掛けてまで、呪医として働かせた。
旧王国時代には、後継ぎを残す必要はないと看做された立場の弱い子が、呪医として育てられた。その子が長じて、何かの弾みで結婚すると言い出せば、周囲は猛反対した。
止むを得ず婚姻を認めても、薬師として働くことを条件に課す。
現在も大抵の親は、我が子に【飛翔する梟】や青と白の【片翼】学派の術を学ばせない。
薬師の【思考する梟】学派の術は、「呪医崩れが仕方なく学ぶもの」との認識が人々に根強く残る。
ドーシチ市に限らず、魔法文明圏では当たり前に見られる光景だ。
「職業選択、婚姻、転居が自由になれば、後はおわかりですね」
「呪医のなり手がなくなったのか」
メドヴェージが重々しく吐き捨てると、アウセラートルは頷いた。
「それだけではありません。結婚に反対された呪医も……」
「知り合いが居ない所へ駆け落ちして、既存の呪医も居なくなったんですね」
薬師のねーちゃんが先回りすると、元貴族は渋い顔で頷いた。
更に悪いことに半世紀の内乱が勃発する。避難で人の移動が起こり、対立の犠牲者は日々その数を増した。呪医や薬師とて例外ではない。
その後、呪医はなんとか確保できたが、この地で最後の薬師は亡くなった。
北隣のモールニヤ市は、呪医と薬師の人手不足を理由に市外の者には薬を売らない。南隣のプラヴィーク市は、足下を見て薬価を釣り上げた。
「そのような理由で、一般市民は魔法薬が手に入り難いのです」
薬師の術は、魔力の制御こそ難しいが、霊的、身体的資格は問わない。
市民を説得し、遠方の薬師に教科書の執筆を依頼し、数十年の歳月を費やしてようやく薬師養成校の設立に漕ぎつけた。
「もっと早く手を打てれば、皆様を巻き込まずに済んだのですが……」
「それは……どこも同じでしょう。ネモラリスでも大きな街にしか、呪医と薬師が揃った病院はありませんでした」
薬師のねーちゃんが言うと、アウセラートルは香草茶を口に運んだ。
……ん? どこも一緒なら、南隣はいいとして、また薬師が居ねぇ街で襲われンのかよ。
その時は、湖の民の薬師を置き去りにすればよさそうだが、何となく難しそうな気がした。
まず、レノ店長たちゼルノー市民が許さないだろう。
隊長とおっさんは運河で暴漢から彼女を救出した。
緑髪の魔女はただの薬師ではなく、呪医の魔法も使えると言った。実際、救出の礼にメドヴェージの骨折を瞬く間に癒した。彼女が居なくなれば、生存率が下がるだろう。
魔法薬も高値で取引される。
薬師のねーちゃんは、色んな意味で移動販売店プラエテルミッサになくてはならない存在だ。
……それに引き換え、俺は……
学力、魔力、経済力、技術力……世間を渡るのに必要な力が何ひとつない。
星の道義勇軍に参加してからは、少し武力を身に着けられたが、それだけだ。魔法使いには手も足も出ず、あっさり捕縛された。
モーフが姉に教えてもらった蔓草細工は、大した物と換えてもらえなかった。
……俺なんか、居ても居なくても一緒だ。
モーフの身に何かあっても、捨て置かれるだろう。
ソルニャーク隊長の方針で自爆攻撃を実行しなかっただけで、星の道義勇軍全体の取り決めでは、モーフたちは軍や警察に捕まれば、死ぬ予定だった。
それが、今も生きて、こんな所に居る。
この屋敷で過ごす日数が増えたのを喜べばいいのか、足を引っ張るなと怒るべきか、それさえもわからなかった。
今夜も星の道義勇兵三人で、ひとつのベッドに入る。
ふかふかの寝床は、三人が横になってもまだ余裕がある広さだ。
「さぁ、坊主。ねんねだ」
「いちいち構うなよ、もうッ」
少年兵モーフの頭を撫で回す手を振り払い、ソルニャーク隊長の隣に入る。メドヴェージも続いて横になり、モーフは二人に挟まれた。
ここに来てから、毎晩この配置だ。
一度、隊長に代わって欲しいと頼んだが、「その必要があるのか?」と言われ、引き下がった。
「いちいちそうやって絡むなよ」
「何、怒ってんだ?」
思い切って言ってみたが、おっさんはどこ吹く風だ。モーフが怒ってみせても嬉しそうに笑う。
「何で俺ばっかそんな構うんだよ」
「そんなの聞いて、どうすんだ?」
「他にもいっぱい居るじゃねぇか」
モーフはむくれておっさんに背を向けた。ソルニャーク隊長は苦笑を浮かべるだけで、おっさんに何も言ってくれない。
「聞いても後悔せんな?」
おっさんの声から、いつもの笑いが消えた。何を言われるのかと、モーフは身を硬くした。
一呼吸後に、躊躇いがちな声がぽつりと置かれた。
「俺の子が生きてりゃ、坊主と同じ年頃だ」
頭に血が昇り、頬がカッと熱くなる。
そう言えば、市民病院で呪医に捕まった時、そんな話を聞いた。
……死んだ奴の身代わりかよ。
振り払っても振り払っても、めげずに構い倒す大きくてあたたかな手と、やさしい笑顔は、モーフ自身に向けられたものではなかった。
今まで心のどこかでメドヴェージに甘えてしまったのが恥ずかしくなり、ギュッと目を閉じる。その背にいつもと同じやさしい声がふわりと掛けられた。
「でも、坊主は坊主だ」
……どう言う意味だよ、おっさん。
問いを口に出せば涙が溢れそうで、モーフは寝たフリをした。
メドヴェージとモーフは全く似ていない。
どう足掻いても、モーフは死んだ子の代わりにすらなれないのだ。
メドヴェージはそれ以上何も言わず、隊長も静かだ。
モーフの寝たフリは、いつの間にか本当の眠りに変わった。
☆あんな怖い目/あの騒動……「0235.薬師は居ない」「0236.迫りくる群衆」参照
☆結婚すれば、呪医としての霊的、身体的資格を喪失……「0108.癒し手の資格」参照
☆隊長とおっさんは運河で暴漢から彼女を救出……「0082.よくない報せ」~「0086.名前も知らぬ」参照
☆緑髪の魔女はただの薬師ではなく、呪医の魔法も使えると言った……「0086.名前も知らぬ」参照
☆救出の礼にメドヴェージの骨折を瞬く間に癒した……「0087.今夜の見張り」参照
☆市民病院で呪医に捕まった……「0017.かつての患者」「0018.警察署の状態」参照




