0263.体操の思い出
「花見もいいが、そろそろ体操して、身体ほぐそうか」
ロークは野太い声で、夢から醒めたようにメドヴェージを見た。
少年兵モーフが運転手に聞く。
「体操って、休みなのに何でわざわざ、そんな疲れるコトすんだよ?」
「体をほぐした方がよく眠れるし、明日からの仕事もやりやすくなンだぞ」
「ホントかよ?」
「まぁ、騙されたと思って、一遍やってみろ」
運転手メドヴェージは言いながら、みんなから距離を取った。足を肩幅程度に開き、肘を横に曲げて指先で肩に触れる。
「最初はこう。そんで、こう」
その手をまっすぐ上へ伸ばす。伸ばした腕を下げ、再び指先を肩につける。腕を体の横へ降ろし、気を付けの姿勢を取る。
「国民健康体操っつーくらいだからな。やりゃあ、元気になンだよ」
「そ、そうか?」
「そうだ。俺が元気なのが証拠だ。坊主もやってみろ」
少年兵モーフは半信半疑で、ぎこちなくメドヴェージの動きを真似する。
「アマナ、ピナちゃん、ティスちゃん、俺たちも教えてもらおう」
魔法使いの工員クルィーロが明るい声で言い、女の子たちが元気よく頷く。
ピナティフィダが遠慮がちに聞いた。
「メドヴェージさん、私たちも教えてもらっていいですか?」
「おう。いいぞいいぞ。みんなでやろう」
ロークも付き合うコトにして、メドヴェージの動きを真似る。
最後に「体操」をしたのは、星の道義勇軍のテロ前日。高校の体育の授業だ。
あれは単なる準備運動で、名前はなかった。体育の授業はかったるくて、ロークは準備運動の動きもうろ覚えだ。毎回、先生の動きを見ながら、一拍遅れで義務的に体を動かした。
次第に身体が温まり、ロークもだんだん真剣になってきた。
メドヴェージは楽しそうに解説しながら実演する。前にラクリマリス人のアウセラートルと使用人たちも、懐かしそうに「知っている」と言った。
国が解体されても、一人一人の記憶には同じ「体操」が残った。
いい思い出だから、あんなイイ笑顔で活き活き動けるのだろう。
……なのに、今はバラバラなんだよな。
アーテルは兎も角、同じフラクシヌス教徒のネモラリスとラクリマリスは、わざわざ国を分けなくてよかったのではないか。
……あっ、王様居て欲しい派と、王様は要らん子派が居るのか。面倒臭いな。
共和国と王国。それに、同じフラクシヌス教徒でも、宗派が異なる。陸の民の大半は主神、湖の民は湖の女神を信心する者が多い。
相容れないから、国が分かれたのだ。
それぞれに明確な信仰、思想、信条があったから、こうなったとも言える。
……いや、でも岩山の守護神スツラーシとか、マイナーな神様の信者は?
争いに嫌気がさし、信仰心を失った者は一人も居なかったのか。そんなことを考えながら、メドヴェージの動きを真似して体操を続ける。
同じ動きの繰り返しが三度ずつ、どれも簡単な動作で、流れを掴めばすぐ覚えられた。
一時間程続け、工員クルィーロと針子のアミエーラは、完全に息が上がった。
ロークとファーキルも少し息切れするが、年少の五人はケロッとした顔だ。
「よぉーし、じゃあ練習、終わり。本番やるか」
「本番?」
すっかり体操の先生化したメドヴェージが、爽やかな笑顔で宣言すると、みんな首を傾げた。
メドヴェージは荷台を開け、側壁も開放してクルィーロを呼んだ。
「兄ちゃん、頼むわ」
「あぁ、そう言うことですか」
クルィーロは了解して荷台に飛び乗った。
発電機の駆動音に続いてホイッスルが鋭く鳴り、国民健康体操の軽快なBGMが響き渡る。
男性のきびきびした掛け声とホイッスル、ノリのいい曲。ロークは疲れて怠かったが、レコードに合わせてなら楽に動けた。楽しいとさえ思える。
メドヴェージの朗らかな顔と動きにつられたのかもしれない。
……何もなきゃ、超イイ人なんだよな。
運転手メドヴェージが、テロリストとしてゼルノー市を襲撃した姿を想像できない。薬師アウェッラーナとロークを救う為、骨折した身を呈して戦ってくれた。命乞いする暴漢を魔物が棲む真冬の運河に投げ込んだ容赦ない姿と、今のメドヴェージが重ならない。
「いやぁ、久々にイイ汗かいたなぁ」
体操が終わり、少年兵モーフの肩を叩いて笑いを振り撒く。
いつもは運転手のちょっかいを鬱陶しそうにするモーフだが、今日は楽しそうに子供らしい笑顔を返す。出会った直後と比べると、表情が随分穏やかになった。
この屋敷に来てからはそれが一層、わかりやすい。
ひもじい思いをせず、毎晩あたたかい寝床で何者にも脅かされずに眠れる。
ロークがテロの前日まで当たり前に過ごした暮らしを、少年兵モーフは知らなかったのだ。
……たったこれだけで、こんなに変わるもんなんだ。
最初からそれが与えられたなら、モーフはテロリストにならずに済んだだろう。
リストヴァー自治区を襲った大火災が、ゼルノー市民による捨て身の報復なら、それもなかった筈だ。モーフは、家族と帰る場所を失わずに済んだだろう。
「お兄ちゃん、天気予報のレコードもいい?」
「一回だけだぞ」
アマナにねだられ、クルィーロが荷台に戻る。
ピナティフィダが誰にともなく言った。
「長いこと歌ってないと、忘れちゃいそうだから」
……そうなんだよな。いつまでもこのお屋敷でぬくぬくと暮せるワケじゃない。
それどころか、ラクリマリス王国は、力ある陸の民を優遇する魔法文明国寄りの両輪の国だ。信仰は兎も角、力なき民にとっては、暮らし難い。
ファーキルは、この国で生まれ育ったが、他はそうではない。グロム市にファーキルを送った後は、ネモラリス島へ渡る。
ここは通過点でしかないのだ。
ドーシチ市では、全く歌えなかったが、女の子たちは歌詞を忘れなかった。天気予報のBGMに合わせ、自作したパン屋のCMソングを伸び伸びと歌う。
単一楽器の演奏にも合わせ、女の子たちは休まず歌い続けた。
ロークたちが何度も書き写してすっかり憶えたのは、「この大空をみつめて」本来の歌詞だ。
パン屋の歌詞はまだ憶えられず、一緒には歌えない。ロークは心の中で「この大空をみつめて」の歌詞を重ね、声には出さずに歌った。
体育も音楽も、大学受験に関係ない授業は、かったるくて仕方がなかった。
今は違う。
体操と音楽が、時代や国境、信仰や人種を越えて心をひとつにできると知った。
……みんなと一緒に歌いたい。
心の底から湧き上がる。
こんな思いは初めてだ。
A面が終わり、クルィーロが荷台の係員室に入る。
「俺も歌っていい? 天気予報の歌……」
「うん!」
「みんなで歌おう」
「そいつぁいいや」
ロークが思い切って聞くと、女の子たちは瞳を輝かせ、メドヴェージがみんなを見回した。
「お兄ちゃんも一緒に歌おう」
「ん? おぉ」
前奏と共に荷台から降りたクルィーロが、急いでアマナの隣に並ぶ。
旋律は毎日ラジオから流れた天気予報でお馴染だ。みんなもすぐ歌える。
「降り注ぐ あなたの上に 彼方から届く光が
生けるもの 遍く照らす 日の環 溢れる 命の力……」
女の子の良く通るソプラノとアルト、若者の力強いテナー、メドヴェージの腹に響くバス。高らかに斉唱する九人の声と、レコードから流れる歌手のソプラノが溶け合い、ひとつの響きとなって陽光きらめく春の空へ昇る。
「……雨 傘の花 虹 橋架けて 虹 七色に 空 晴れ渡る」
最後の一小節を歌い上げた途端、背後から何人もの拍手が起こった。驚いて振り向くと、薬師アウェッラーナとレノ店長、ソルニャーク隊長の他、使用人も十人くらい喝采する。
「みなさん、いつからここに……?」
ピナティフィダが赤くなる。レノ店長が苦笑した。
「途中からなんだ。もう一回、最初から、いいか?」
「え……でも……」
ピナティフィダが渋る。燃料の残りが気になるのだろう。
「アウセラートル氏は契約書を作成中で、我々が書類に署名すれば終わりだ」
「まだ時間ありますよ」
ソルニャーク隊長と薬師アウェッラーナが言うと、使用人の一人も言い添えた。
「燃料が必要でしたら、個人的に差し上げますよ」
「いいんですか?」
レノ店長とピナティフィダが同時に聞く。ロークも驚いた。
「ステキな歌のお代です。容れ物を貸して下されば、明日のお使いのついでに、ガソリンスタンドに寄りますよ」
軽油のポリタンクは幾つも空だ。店長と工員が小声で相談し、取敢えずひとつだけ頼む。
クルィーロがレコードの針を戻し、移動販売店プラエテルミッサの一同は、屋敷の使用人たちに向き直った。
「じゃ、いくよー」
工員がレコードに針を落とし、急いで荷台を降りる。
「降り注ぐ あなたの上に
彼方から届く光が
生けるもの 遍く照らす 日の環 溢れる 命の力
蒼穹映す 今を認めて この眼で大空調べて予報
空 風渡り 月 青々と
星 囁けば 雲 流れ道……」
アーモンドの花の下、十二人の歌声が庭園に響き渡った。
☆ラクリマリス人のアウセラートルと使用人たちも、懐かしそうに「知っている」と言った……「0245.膨大な作業量」参照
☆運転手メドヴェージが、テロリストとしてゼルノー市を襲撃した姿……「0013.星の道義勇軍」「0014.悲壮な突撃令」「0017.かつての患者」参照
☆薬師アウェッラーナとロークを救う為、骨折した身を呈して戦ってくれた……「0084.生き残った者」~「0086.名前も知らぬ」参照
☆命乞いする暴漢を魔物が棲む真冬の運河に投げ込んだ容赦ない姿……「0083.敵となるもの」参照
☆リストヴァー自治区を襲った大火災……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」参照
☆自作したパン屋のCMソング…… 「0210.パン屋合唱団」参照
☆天気予報の歌……「0170.天気予報の歌」参照




