0230.組合長の屋敷
「流石に今日はもう遅いから、商工会議所じゃなくて、家へ行くぞ」
大通りを先に立って歩きながら、地元の男性は言った。
レノ、緑髪のアウェッラーナ、ソルニャーク隊長の三人は、ドーシチ市の街並を目に焼きつけて歩く。
「こんな遅くに……すみません」
「なぁに、いいってコトよ。俺らも早く薬が欲しいからな」
レノが店長として言うと、彼は肩越しに振り向き、薬師アウェッラーナに視線を送った。
湖の民の薬師が、会釈を返して尋ねる。
「この街には、薬師さんがいらっしゃらないんですか?」
「うん。まぁ、なぁ。三年前までは居たんだが、なんせ、年だったもんでな……薬草は、近くの畑で何種類も作ってるから、材料だけはあるんだ」
彼は前を向いて、足早に石畳の大通りを行く。
「今は、隣のプラヴィーク市に材料持ってって、作ってもらってんだ」
「それは大変ですね」
「我々も、行く所がありますので、あまり長居はできませんがね」
アウェッラーナが地元民の説明に相槌を打つと、ソルニャーク隊長はすかさず釘を刺した。地元民は小さく息を呑んだが、素知らぬ風で先を急ぐ。
大通り沿いの店は片付けの最中で、既にシャッターの降りたところもある。
組合長の家は街の東にあるらしい。行く手の遠くにプラヴィーク山脈が霞んで見える。四人は、西日を受けて茜に染まる街を急いだ。
住宅街に入ると、家路を辿る人が増えた。
「ここらは農家が多いんだ。畑は街の外にある」
「そうなんですか。魔物とか……」
「まぁ、森は遠いし、滅多に来ねぇから、【魔除け】や【退魔】だけでも何とかなってる」
レノが問うと、彼は屋根の遙か彼方に連なる山々を見遣った。
曲がりくねった路地を抜け、とある屋敷の前で立ち止まる。丁度、門を閉めるところだ。
「あッ! 待ってくれ! 薬師を連れて来たって旦那に取り次いでくれ!」
地元民が門扉に手を掛けて叫ぶ。
下男は頑丈な門扉から手を離さず、彼の背後に居る三人をチラリと見て頷いた。何も言わず、半分だけ閉めて庭の奥へ引っ込む。
レノは、門の隙間から見えた庭に小さく息を呑んだ。
魔物を象った石像が、美しく設えられた庭園のあちこちに配してある。
……ガーゴイル?
魔物や泥棒の対策だ。
話には聞いたことがあるが、実物を目にするのは初めてだ。
今はどの像も、大人しく台座に座る。恐らく、無断で足を踏み入れれば、動きだすのだろう。レノには、確める勇気はなかった。
……こんなにいっぱい……維持の魔力、どんだけ掛かるんだ?
見える範囲だけでも十体は下らない。レノは小さく身震いし、肩をさすった。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
下男は、家人らしき青年を連れて戻った。
陸の民で、銀杏の幹に似た色合いの髪が肩の下まで伸び、がっしりした身体に呪文を刺繍した服を纏う。レノより頭ひとつ分、背が高い。
気圧されたが、どうにか会釈して青年の後に続く。
四人が庭に入ると、背後で大きな音を立て、門が閉ざされた。
広大な屋敷だ。前庭だけでも中学の校庭くらいある。
石畳の通路で区切られ、ガーゴイルが等間隔に居る。
自分たちの他、人の姿はない。
中央の通路は薔薇の生垣に挟まれ、そこから離れた区画は、花畑や家庭菜園らしい。レノのよく知る花や野菜が、夕日を受けて輝くのが見えた。
玄関の扉に描かれた複雑な文様には、見覚えがある。
ザカート隧道で見た力ある言葉だ。知識のないレノには、個別の呪文はわからないが、きっと家を守るものだろう。
案内された部屋は、レノが映画でしか見たことがない「応接間」だった。
立派な調度品が置かれ、壁には神話の一場面を描いたタペストリーが掛かる。
湖の女神パニセア・ユニ・フローラが、旱魃の龍と対峙する。女神の手に握られた青い宝石が、龍の【旱魃】の魔力を【魔道士の涙】で吸収し、光と共に大量の水を放つ。
ラキュス地方創世神話の最高潮の場面だ。
レノたちが呆然と突っ立って部屋を眺めていると、恰幅のいい初老の男性がメイドを伴って入って来た。
「ようこそ。ドーシチ市へ。商業組合の代表を務めておりますラトゥーニと申します。何もない田舎ですが、どうぞごゆっくり」
にこやかに微笑む胸元では、【編む葦切】学派の徽章が輝く。
どうぞお掛け下さいと促され、ふかふかのソファに身を沈める。
レノとソルニャーク隊長は用心の為、アウェッラーナを間に挟んで座った。案内の地元民が、末席に浅く腰掛ける。
組合長はタペストリーを背に座り、その隣に長髪の大男が腰を降ろした。二人の髪の色は同じで、顔立ちもどことなく似る。
メイドが香草茶を置いて退出すると、組合長ラトゥーニは、アウェッラーナの胸元を見て話を切り出した。
「早速ですが、みなさまを旅の薬師様ご一行とお伺い致しました。いつ頃まで、ご滞在いただけますでしょう?」
「旅のパン屋と、薬師と、蔓草細工師の移動販売店見落とされた者です。お……私は店長のレノと申します」
質問に答えず、強引に自己紹介すると、他の二人も続いてくれた。
「薬師のアウェッラーナです」
「蔓草細工師の代表ソルニャークです」
挨拶をすっ飛ばして、いきなり用件を切り出しされ、レノはイヤな予感がした。




