0228.有志の隠れ家
警備員の【跳躍】で移動した先はどこかの庭園だ。ずっと遠くに高いコンクリート塀が見える。
呪医セプテントリオーは、思わず唇を歪めた。
力なき民が相手ならそれなりの防犯効果はあるが、【跳躍】を阻む防護がない。
……泥棒が魔法使いなら、入り放題ではないか。
腰の高さで剪定された薔薇の回廊を通り、古めかしい石造りの屋敷に通された。
警備員が扉の前で何か呟き、カチリと金属音が響く。【鍵】を解除する合言葉だろう。
木製の扉と玄関内には、各種防護の術が施される。
呪文などは、植物を意匠化した複雑な文様に紛れこませてあるが、知識のある者には一目瞭然だ。魔法使いなら、魔力の流れでそれと気付く。
「誰んちだ?」
「支援者の方の別荘で、我々の隠れ家のひとつです」
葬儀屋アゴーニが問うと、陸の民の警備員は簡潔に答えた。
板張りの長い廊下と白い壁には、塵ひとつない。だが、人の気配はなかった。
「奥に負傷者が居ます。診ていただけますか?」
「その為に呼んだのでしょう?」
呪医セプテントリオーが答えると、若い警備員は表情を和らげた。
「よろしくお願いします」
警備員が、ノックもなしに扉のひとつを開ける。消毒薬の匂いが鼻を刺した。
元々あった調度品は隅に寄せてあり、簡易ベッドが六台並ぶ。
「みんな、【青き片翼】の呪医が来て下さったぞ」
警備員が明るい声で言う。
手前の一人が、横たわったまま顔を向けた。奥で包帯を交換する老婦人も、手を止めてこちらを見た。
「呪医……ありがとうございます。傷薬もなかなか手に入らなくて、私らじゃ、化膿を防ぐだけで精一杯なんですよ」
老婦人は、目尻の皺を一層深くしながら奥のベッドを離れ、戸口に近付いた。
扉の脇に段ボール箱が積んである。
表示通りの中身なら、科学的に大量生産された消毒薬と包帯だ。
警備員の説明に頷き、セプテントリオーは顔を向けた男のベッドに近付いた。
薄い毛布をそっとめくる。下着姿で、ほぼ全身が包帯に覆われる。
「爆風で飛んで来た破片が当たって、左半身が酷いんです。頭は防具のお陰で無事なんですけど……」
確かに、左半身の包帯には血が滲むが、右半身はそうでもない。陸の民の男は、枕から頭を上げることもできないのか、呪医に視線で縋った。
「破片は全て取り除けたんですか?」
警備員の説明を聞きながら、負傷者の額に手を触れる。発熱はなかった。
セプテントリオーは、患者にひとつ頷いてみせ、顔を上げて指示を出す。
「水を用意して下さい。それから、包帯を外すのを手伝って下さい」
「水瓶は、あっちの隅に置いてあります」
警備員は指差すと、負傷者を助け起こした。老婦人が包帯を解きに掛かる。
この部屋の簡易ベッドは全て負傷者で塞がる。
彼の他は意識がないのか、傍を通っても反応がない。他の部屋にも居る可能性はあるが、まずは、ここの患者を癒してからだ。
セプテントリオーと葬儀屋アゴーニは、窓辺に置かれた水瓶の傍らに立ち、【操水】で水を起ち上げた。近くの屑籠に塵などを排出し、患者の枕元へ戻る。
「残った細かい破片を抜いてから、傷を塞ぎます。少し痛みますが、辛抱して下さい」
呪医セプテントリオーが声を掛けると、男は小さく頷いた。
耕されたように抉れた肉には、細かい金属片や、ガラス片が残る。
呪医の予想通り、ピンセットなどでは全てを取り除けなかったのだ。素人の【操水】では、体表に付着した埃や破片は流せるが、肉に食い込んだ異物を選択して取り除くのは難しい。
セプテントリオーが、力ある言葉で水に命じた。
魔力を帯びた水は、意思を持つかのように患者の身体を這い、瘡蓋を剥がし、破片を抜き取り、洗い流す。
男が低く呻いた。奥深くにめり込んだ銃弾が、水に包まれて抜き取られる。
「頑張れよ。すぐ治してもらえるからな」
支える警備員と老婦人の手に力が籠った。男は、警備員の励ましに応えることもできず、歯を食いしばる。
呪医は、患者の身体に隈なく水を這わせ、微細な異物も取り除いた。
異物と瘡蓋、血液などで汚れた水をアゴーニに預け、代わりに清水を受け取る。
宙を漂わせた水塊に片手を入れ、呪文を唱えた。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
魔力を帯びた水が、負傷者の体表を這う。【癒しの水】が触れた部分から耕されたような傷が消え、滑らかな肌が姿を見せた。
セプテントリオーは、傷付いた身体を隅々まで巡った水を再び宙に浮かせ、患者を横たわらせた。
……これで、彼らを再び戦いに送ることになっても、それは、彼らが望んだことだ。どうするのが最善で、どうすればいいのか。決めるのは、私ではない。
「傷は塞ぎましたが、血が不足して、体力は落ちたままです。なるべく滋養のあるものを食べて、二、三日ゆっくり休んで下さい」
「あ……ありがとうございます」
「よかったなッ! クリューヴ! 呪医、ありがとうございます!」
クリューヴと呼ばれた男と警備員が、喜びに声を上ずらせ、老婦人は声もなく呪医を拝んだ。
葬儀屋アゴーニが頬を緩めて、水から異物を排出させる。
呪医セプテントリオーは休む間もなく、意識のない重傷者の治療に掛かった。
☆警備員……「0216.説得を重ねる」参照




