0223.ドーシチ市へ
中央広場に来て二日で薬草がなくなった。
蔓草細工はまだ少しあるが、未加工の蔓はもうない。
代わりに、小麦粉などの食糧がたくさん手に入り、衣服と毛布も行き渡った。
パンやクッキーを作って交換品にでき、売れ残りは自分たちで食べられて無駄がない。
これ以上、モールニヤ市に留まっても仕方がないだろう。
翌朝早く、更に南のドーシチ市へ出発することになった。
防壁に設けられた門は、朝五時に開き、夕方七時に閉まる。
移動販売店見落とされた者のトラックは、開門と同時にこの街を後にした。湖に沿って走る国道を南下し、ドーシチ市、プラヴィーク市方面へ向かう。
三月とは言え、西の空はまだ薄暗い。
東の空の下には、静かに眠る森が横たわる。クブルム山脈から続く森林は、ネーニア島南部の大部分を占め、ツマーンの森と呼ばれる。
モールニヤ市はプラヴィーク山脈の北西端の麓にある。
プラヴィーク山脈は春霞みの向こうに薄く、岸辺近くから南東方向……北ヴィエートフィ大橋の方角へ伸びる。
ネーニア島を横断するクブルム山脈とプラヴィーク山脈に挟まれた平野は、大部分を森林が覆い隠す。ツマーンの森は、魔物や魔獣の支配域で、人の侵入を拒む。
ネモラリス共和国は、山脈北側に広がるレサルーブの森に道を通し、薬素材の研究所を設置した。
ラクリマリス王国は、ツマーンの森に手を加える気がないのか、進入できる場所が見当たらない。
……こっちの方が、魔法使いが多くて道を守りやすそうなのに?
その分、魔物や魔獣も強いのかもしれない。
薬師アウェッラーナは考え直し、助手席から路傍に目を凝らして薬草を探した。
国道の西側はラキュス湖。東側の平野には、森の手前まで畑が広がり、遠目に小さな集落も見える。
村人は、防壁のすぐ傍まで【跳躍】するらしく、国道には人影も対向車もない。
国道と畑の間には、用水路か天然の小川か判然としない流れがあった。
流れの向こうは農道。よく手入れされた畑には、春野菜が青々と育つ。
……こんな所で薬草摘みしたら、野菜泥棒と間違われそうね。
アウェッラーナは畑の近くでの薬草探しを諦め、フロントガラスに目を向けた。
カーラジオが、ラクリマリス王国の国営放送を受信する。
アナウンサーが、火事や泥棒、魔物の被害を伝えた。戦争については、全く触れない。
アウェッラーナは、当事国ではないとは言え、間に挟まれながら何も言わないことに違和感を覚えた。
……どうでもいいなんてコト、ないと思うんだけど……?
実際、自分たちのような難民も流入する。影響が皆無とは言えないだろう。
ニュースで言及した泥棒も、もしかすると、食い詰めた難民の仕業が含まれるかもしれないのだ。
ダッシュボードにファーキルのタブレット端末が置いてあった。充電器がフロントガラス越しの光を浴び、電力を供給する。
アウェッラーナは使い方がわからないが、ここ数日で色々便利なのはわかった。
……魔法文明を重視するのにこんな機械もあるのね。不思議。
ファーキルは、ラクリマリスには巡礼者が多いからだ、と言った。
魔法を使えない力なき民でも、フラクシヌス教の信仰で、精神的に結びつく。
モールニヤ市民が、アウェッラーナたちプラエテルミッサの一行に親切だったのも、信仰のお陰だろう。
湖の女神パニセア・ユニ・フローラの民であるとして、緑髪を持つ湖の民を特に大切にする宗派「湖水の光」がある。彼らは、「湖の女神派」の中でも、特に極右傾向が強い。
湖水の光派は異端と言う程ではないが、湖の民のアウェッラーナは、その選民思想的な信仰にはついてゆけず、距離を置く。
先の内戦で、湖の民を暴力に駆り立てたのが、湖水の光派だったからだ。
無事、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルに着いても、また、湖水の光派に煽動され、アーテル人への報復を願う者が多数派になったら、どうなるのか。
ソルニャーク隊長たち、リストヴァー自治区出身の四人は、北ヴィエートフィ大橋を渡ってアーテル領ランテルナ島へ行くだろう。
それは構わない。いや、寧ろ彼らには是非、そうしてもらいたい。
……私は……命令されたら、兵士用の薬を作れるの? 戦争に協力できるの?
首都クレーヴェルへ渡る望みが出てきると、別の懸念が持ちあがった。
湖水の光派は、ラキュス・ラクリマリス共和国が分裂した今も、その信仰を維持する。同名の「湖水の光党」と言う政党もある。
党の機関紙から派生した一般向け新聞「湖水日報」は、ネモラリス島のオピニオンリーダーだ。
メドヴェージはトラックのハンドルを握り、鼻歌交じりに前方を見る。ただ、生き延びる為に協力し、お互いの関係を壊さない為、必要以上に近付かず、触れもしなかった。
人種や信仰が違っても、争うことも傷付けることもなく、今まで「仲間」として過ごせた。
……私たちのこんな関係、きっと珍しいんでしょうね。
癒し手で、【渡る白鳥】学派の【白鳥の乙女】の儀式を受けたアウェッラーナはともかく、力なき民の女の子たちも、兄が傍に居るとは言え、今まで何もされず、無事だ。
自治区民の針子アミエーラも、特に何かされた様子はなかった。
あの運河の畔で鉢合わせした暴漢のような輩が、人間の正体だとは思いたくないが、移動販売店見落とされた者の仲間たちも、一般的とは言い難い。
湖の民と陸の民。
力ある民と力なき民。
フラクシヌス教徒とキルクルス教徒。
ネモラリス人とリストヴァー自治区民とラクリマリス人。
年齢、性別、魔力の有無、信仰、出身、何もかもが違う。
国単位でも、移動販売店見落とされた者のようにやってゆける日がいつか来るように、アウェッラーナは湖の女神に祈った。
☆レサルーブの森に道を通し、薬素材の研究所……「0193.森の薬草採り」「0194.研究所で再会」「0216.説得を重ねる」参照
☆当事国ではない/どうでもいいなんてコト、ない……「0144.非番の一兵卒」参照
☆ファーキルは、ラクリマリスには巡礼者が多いからだ、と言った……「0188.真実を伝える」「0199.嘘と本当の話」参照
☆癒し手で【渡る白鳥】学派の【白鳥の乙女】の儀式を受けたアウェッラーナ……「0084.生き残った者」「0108.癒し手の資格」参照
☆あの運河の畔で鉢合わせした暴漢のような輩……「0083.敵となるもの」~「0085.女を巡る争い」参照




