0205.行く先は何処
「別に難民キャンプがなくても、申請できると思いますよ。アミトスチグマに行く難民として経由させて下さいって、ラクリマリス政府に頼めばいいんですから」
湖の民アウェッラーナが、尤もなことを言った。
それなら、不法入国を咎められずに済むだろう。
レノたちが焼け出されて、身分証を何ひとつ持ち出せなかったのは本当だ。
その理由が、テロや原因不明の火災とまでは、追及されないだろう。ラクリマリス政府が、膨大な避難民にわざわざ【鵠しき燭台】を使うとも思えない。
……あの状況で、父さんが助かるワケない。母さんも……まぁ、無理だろうな。
だから、妹たちは何としても、レノが守らなければならない。
どう考えても、北のガルデーニヤ市へ行くのは危険だ。
だが、南隣のラクリマリス王国領に無許可で居着いて、警察などにみつかれば、「人道的に」保護されて、最終的にネモラリス領内で最寄りの「安全な」ガルデーニヤ市に送り返されてしまうだろう。
「アウェッラーナさんの言う通り……アミトスチグマの難民キャンプに行きたいから、通して下さいって言えば、大丈夫なんじゃないかな?」
レノは思い切って、賛成を口に出した。
最悪でも、ピナとティスを説き伏せて、アウェッラーナと一緒に歩いてでも南へ行かせると心が決まった。
どこで難民申請の手続きをするかわからないが、その辺の役所で大使館に取り次いでもらえば、何とかなるだろう。
妹たちがどうしているか、傍らに視線を向ける。
いつの間にか、トラックの傍に居た。
ピナが、ガムテープで荷台のロゴを隠す。ティスはその横で、次のテープを切って待つ。
盗難車だとわかれば、警察に窃盗団として捕まってしまう。
そこまで気が回らなかった。自分の迂闊さに胃の底がじわりと痛み、気付いてくれた妹たちに胸の奥で賞賛と感謝を送る。
二人は、布製のガムテープを鋏で整え、大きなコッペパンの形に貼り付けた。パン屋の娘らしいデザインにふと頬を緩め、再びアウェッラーナの話に耳を傾ける。
「どうにかして、港に着くまでに船賃を稼げればいいんですけど……」
もしかすると、フラクシヌス教団のボランティアが【跳躍】で送ってくれるかもしれない。
便乗する人身売買業者には、警戒が必要だが、レノにはボランティアと犯罪者の見分け方がわからなかった。
行き先が、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルでも、アミトスチグマ王国の難民キャンプでも、信じられるのは自分と身内と親友だけだ。
船賃さえ何とかなれば、それが最善のハズだ。
ティスが、レノのエプロンをちょいっと引っ張って聞いた。
「お兄ちゃん、パンとクッキー売るの?」
「ん? うん、まぁ、買ってくれる人が、居ればいいんだけどな……」
……俺たち、今、小汚いからなぁ。俺が客だったらゼッタイ買わない……あー、それにあれだ、こっちの国で食品の販売許可って、どうやって取りゃいいんだ?
無許可営業で警察に捕まれば、ネモラリスに送り返されてしまう。
椿屋の許可証は、店と一緒に燃えてしまった。そもそも、ネモラリスの許可証が外国で通用する訳がない。
ティスは周りを見回し、兄を無邪気に急かす。
「ここ、誰も居ないもんね。お兄ちゃん、早くどっかの街へ行こうよー」
「どっかって、どこ行く気だよ?」
エプロンをぐいぐい引っ張られ、レノは苦笑した。
「えっ? もっと南へ行くからトンネル出たんでしょ? 暗くなったら魔物が出るし、早く行こうよー」
妹が当たり前のように急かす。
レノは困ってみんなを見回した。ソルニャーク隊長と目が合う。彼は視線を南に向けた。
半世紀の内乱で破壊され、再建を諦めた南ザカート市の廃墟が広がる。
僅かに残った建物の基礎が、枯草に半ば埋もれ、日当たりのいい場所では、気の早い雑草の若葉が揺れる。
使えそうな部材は、生き残った住人の手で持ち去られたのだろう。
レノたちが、トタン板で仮小屋を作って寒さを凌いだあの日のように、この場所でも、三十年前には同じことが無数に行われただろう。
今、この地には、人の暮らしがなかった。
もしかすると、レノたちの故郷ゼルノー市も、この南ザカート市のような荒野になってしまうかもしれない。
「……ここでこうしていても、埒が開かん。人の居る場所まで南下しよう」
ソルニャーク隊長は、手に取れる程はっきりした声で、みんなの為の決断を告げた。少年兵モーフは不満げに口を開きかけたが、メドヴェージがさっさと運転席へ戻るのを見て、慌てて後を追った。
他のみんなも、少し驚きを含んだまま荷物を持って荷台に乗り込む。
最後に荷台を閉めたアウェッラーナが助手席に落ち着くと、トラックは、ラクリマリス王国の国道を南へ走り出した。
☆【鵠しき燭台】を使う……「0055.山積みの号外」参照
☆あの状況で、父さんが助かるワケない……「0071.夜に属すモノ」参照
☆母さんも……まぁ、無理……「0021.パン屋の息子」参照
☆便乗する人身売買業者……「0190.南部領の惨状」参照
☆トタン板で仮小屋を作って寒さを凌いだあの日……「0077.寒さをしのぐ」参照




