0197.廃墟の来訪者
三人が戻ると、メドヴェージが携行缶からトラックに給油するところだった。
少年兵モーフが立ち止まり、魚がぴちぴち暴れる袋を抱えたまま、物珍しげに作業を見守る。
レノは少年兵から袋を回収し、活きのいい魚を人数分だけ、庖丁で〆た。塩をまぶしてアルミホイルで包み、ステンレスのバットで作った魔法のコンロに並べる。
幼馴染のクルィーロが呪文を唱え、火を点けてくれた。
残りの魚は、アウェッラーナが水を抜いて干物化してくれる。ピナたちがそれを手早く別の袋に詰め直した。
焼魚を頬張りながら、これからどうするか話し合う。
最初に口を開いたのは湖の民のアウェッラーナで、レノは意外だった。
「このすぐ近くにザカート隧道があります。トンネル本体には【魔除け】とかが掛かっていて、野宿より安全ですよ」
「あ、そうなんだ。放送局の建物と同じなんですね。トラックにも術は掛かってるけど、中の方が安心ですよね」
クルィーロが、魔法使いとして同意する。アマナも兄を見て頷いた。
ピナとティスがレノを見る。特に反対する理由はなく、妹たちと幼馴染、湖の民を順番に見て小さく頷いてみせた。
運転手のメドヴェージが、南側のクブルム山脈西端を見遣る。
上り坂が続き、所々に標識が立つ。その先の隧道内は見えなかった。
反対側……坂の下には廃墟となった街が横たわる。国道はそのずっと北にも続くが、北ザカート市の向こうは荒野だ。
隣の市街地は遙かに遠いのか、全く見えなかった。
どこへ行くにしても、今夜、隧道内で過ごすことに異論は出なかった。
「あッ? お、おいッ! 誰かこっち来るぞ!」
メドヴェージが立ち上がり、市街地の方角を指差した。
みんな一斉にそちらを向く。
……一人?
レノは驚いて目を凝らした。
傾き始めた淡い光を浴びて、坂を登って来る。小柄な人物だ。足下だけを見るのか、まだこちらに気付いた様子はない。
時折立ち止まり、廃墟と化した北ザカート市を振り返っては、また登る。
どうやら少年のようだ。
「おーい!」
少年兵モーフが、坂の下に呼び掛ける。
ソルニャーク隊長が一瞬、苦い顔をした。レノと目が合うと苦笑し、肩を小さく竦めて坂の下を注視する。
その人は、びくりと身を竦ませ、立ち止まった。
モーフが手を振りながら、もう一度呼び掛ける。
「おーい、大丈夫かーッ!」
坂の下の人物は顔を上げ、少し歩調を早めて登って来た。
廃墟からやって来たのは、陸の民の少年だ。
年齢は、ピナや少年兵モーフと同じくらいに見えるが、アウェッラーナと同じ長命人種なら、その限りではない。
コートの上にマフラーと手袋も着ける。膨らんだ鞄をたすき掛けに持つ姿は身綺麗で、一カ月も廃墟で過ごしたようには見えない。
この少年が力ある民なら、不思議はない。【操水】で服と身体を同時に洗えるからだ。
力ある民なら何かの魔法で、湖で魚を獲るなり、破壊された商店から缶詰などを発掘するなりして、食うに困らないだろう。
少年は、十メートル程手前で足を止めた。こちらの様子をじっと窺う。
調理服のレノ自身、青いツナギの幼馴染、女子小学生二人と女子中学生、男子高校生、湖の民の少女、陸の民の女性、ボロボロの恰好をした男性二人と少年一人。
よく考えたら、妙な十一人だ。
家族なのは、レノとピナとティス、クルィーロとアマナの兄妹だけで、後はみんな偶然巡り合わせただけの他人だ。
ボロボロの三人に至っては、街を焼いたテロリストでもある。
さっきの研究所では、呪医と葬儀屋が元々三人を知っていたから、すんなり説明できた。
メドヴェージも、今は少年を警戒して口を閉ざす。
「あ、あの、こんにちは……」
少年の小さな声が震える。
クルィーロがこちらを見た。
レノは頷いてみせ、少年に笑顔を向けて挨拶を返す。
「こんにちは。君、一人? 俺たちは、東岸のゼルノー市から避難して来たんだけど……」
「えッ……?」
少年の目が驚きに見開かれる。
無理もない。
一カ月も経った今頃、そんな遠くから、わざわざ森を抜けてこんな廃墟に「避難」するとは思わないだろう。
だが、少年自身も、こんな廃墟にたった一人で居るのは不自然な存在だ。
死者が残した【魔道士の涙】を回収しに、廃墟を漁りに来た力ある民だろうか。
沈黙が降りる。
レノは、少年の姿を改めて観察した。
土色の髪は、短く切り揃えられ、整っている。
年齢は、中学生くらい。少年兵モーフより少し背が高い。
コートには、アウェッラーナのような呪文の刺繍や染織がない。
マフラーも、単なるガーター編みで呪文や印などの編み込みはない。
革の手袋は、甲に模様があるが、この距離では何が描いてあるかわからない。
「お前、なんでこんなとこ居るんだ?」
痺れを切らした少年兵モーフが、少しキツイ口調で質問した。
少年は怯えた目でこちらを見て、消え入りそうな声で答える。
「あ、あのっ、あの……トンネルの中が安全なんで……その……」
しどろもどろに言いながら、チラチラ西の空に目を遣る。
湖から吹き上がる風が冷え、日没が近いことを知らせる。
「……そうだな、安全な場所に移動してから話そうか」
ソルニャーク隊長が少年に背を向け、少し早い夕飯の後片付けを始めた。
少年兵モーフが慌てて駆け寄って手伝う。メドヴェージも仕方なく加わった。
レノは少し考えて、廃墟から来た少年に声を掛けた。
「君、食べ物は? 何か持ってる?」
「あ、はいッ、少し持ってます」
「魚あるんだけど、食べる?」
「えっ? いいんですか?」
それには、漁師の娘アウェッラーナがにっこり微笑んで答えた。
「ここなら、すぐ獲れますから、おなかいっぱい食べても大丈夫ですよ」
少年は小走りに坂を登って来た。




