0184.地図にない街
ニェフリート河の北から直進する道と、西から続いてクルブニーカ市に繋がる道は瓦礫が片付けてあった。
河沿いの主要道を避けたのは、魔物の襲撃を警戒した為だろう。
市街地は瓦礫が多く、速やかに避難するには、荒野を行く国道の方が効率がいいのも理由のひとつだろう。
北の国道の先は、マスリーナ市の北西の外れだ。
メドヴェージは迷わず、トラックを北進させた。
クルブニーカ市へ行っても、そこより内陸には街がない。
一応、東岸と西岸を結ぶ国道はあるが、魔物に襲撃される危険を冒してまで遠回りする意味はなかった。
助手席のアウェッラーナは、書き写した地図を確認して思案した。
マスリーナ港と市の中心部は、南東部にある。
アウェッラーナの身内と、クルィーロたちの母親の安否を確認するには一旦、湖岸沿いの国道へ出て南東へ戻らなくてはならない。
空振りなら、時間と燃料の無駄遣いになる。
行政が公式に認定するゼルノー市の市域は、ジェリェーゾ湾からニェフリート河に囲まれた領域だ。
だが、ミエーチ区とゾーラタ区の北東部から、セリェブロー区にかけての中心街が、内乱終結後から急速に発展。河の対岸、北西の荒野にも市域が拡大し続けた。
ニェフリート河北岸地域は内乱で壊滅し、土地所有者が不明のまま放置された。都市を繋ぐ国道が復興の為に逸早く整備されると、その周辺で自然発生的に街が形成された。
新興企業が課税逃れの為に無許可で進出し、勤め人を相手にする商店ができ、彼らの住む家が建てられたのだ。
元々人が住む領域で住民が一気に増えたせいか、魔物に駆逐されることもなく、この不法占拠地域はそこそこ栄えた。
そんな有耶無耶な土地であるが故に、地図の書き換えも役所の登記も遅々として進まない。
図書館で見た公式地図では、国道の両脇にはまだ何もなかった。
今、その街が無残な姿を晒す。
地図通り「何もない」状態だ。
行ってみないことには、わからない。
マスリーナ港への道が片付いていなければ、どうにもならないのだ。
アウェッラーナは、手書きの地図を置いて呪文のメモを手に取った。
「おい、ありゃ、何だ?」
メモを開いた途端、運転席から声が掛かった。
メドヴェージが、前方を注視してトラックの速度を緩める。
アウェッラーナも前方に注意を向けた。
何か黒くて長い物が車道を横切る。
電線やホースとは比較にならない太さだ。
高さ……直径は、潰れた乗用車と同じくらいある。
不意に、道を塞ぐ物が大きく波打った。
「おいッ、何なんだッ?」
運転手がブレーキを踏む。アウェッラーナは答えられなかった。
「どうしたんです?」
ロークが、係員用の小部屋から声を掛けた。
運転席と助手席の二人は何も答えられない。
車道でうねる物の端が、三階建てのビルを越え、こちらを向く。先端に赤い筋が走ったかと思うと、ぱっくり開いた。
黒い管が縦に裂けた。いや、口だ。
内部には鋭い牙が無秩序に生える。
蛇の口より遙かに大きく開き、乗用車でも軽く一呑みにするかと思われた。
小窓に張り付いたロークも、言葉を失って震える。
アウェッラーナの視線が巨大な口の根元を辿った。
廃墟の影に蹲るモノが、のっそり立ち上がる。この巨体では、もうそんな影では隠れられないが、朝の日射しを浴びても、この世で存在を保つ。
どれだけの死体を喰らったのか。
あれはもう、魔物ではなかった。
この世のものを喰らい続け、この世の肉体を得た「魔獣」だ。
受肉した胴は暗赤色で、血で濡れたようにぬらぬら光る。胴が向きを変え、ビルの陰から全身を現した。
バックミラーからロークの強張った顔が消え、少年兵モーフの苛立った顔と交代した。
「おっさん、何やってんだよ」
フロントガラスの向こうが目に入り、息を呑む。
「おいっ! おっさん! 走れッ! 逃げろッ!」
☆内陸には街がない……「0035.隠れ一神教徒」参照




