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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第八章 北へ

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0160.見知らぬ部屋

 アミエーラは目を開いた。

 上に木の板がある。横を向く。体中が(きし)み、一瞬、息が止まった。頬にやわらかい物が触れる。

 布……いや、布団だ。

 ふっくらした寝具がアミエーラを包む。


 ……店長……?


 仕立屋の店長の自宅かと思ったが、違う。匂いが違う。

 身体は動かさず、目だけを巡らせた。部屋の様子も違う。

 質素な土壁で、窓には無地のカーテンが掛かる。見える範囲に家具はない。

 部屋の隅、天井に近い部分にどこかで見たような模様がある他は、飾り気のない部屋だ。


 全身がだるい。左腕が熱を持ち、鼓動に合わせて(うず)く。

 他はどこがどうなっているのか、痛みの境もわからないくらい、とにかく痛い。

 痛みから気を()らそうと、あの模様をどこで見たのか記憶を(あさ)る。


 ……どこで……? 暗い……隅っこ……?


 山小屋だ。


 気付いた瞬間、ここ数日のことを一気に思い出した。

 登山道の門を閉めた時、錆びた鎌がなかった。逃げる途中で落としたのだろう。


 アミエーラには戦いの経験や心得が何もない。念の為に山小屋から鎌を持ち出したが、イザと言う時に直面しても、あれを武器に戦うなど思いつきもしなかった。

 魔物から逃げるのに精一杯で、どこで落としたのかさえ思い出せない。


 柵を出た後、どこまで歩いたのか。ここはどこなのか。

 アミエーラは右手でそっと布団をめくった。

 コートは脱がされたが、他の服はそのままだ。


 ……あれっ? キレイ……?


 (そで)で血を(ぬぐ)った筈だが、汚れがない。

 痛みを(こら)え、そっと起き上る。


 折れた左腕には包帯が巻かれ、板の添え木まである。転んで泥塗(どろまみ)れになった覚えはあるが、上着とズボンには染みひとつない。

 ベッドに腰掛けると、それ以上動くのが億劫(おっくう)になった。

 浅く呼吸するだけで、額に脂汗が(にじ)む。

 何も考えられず、左腕を押さえて項垂(うなだ)れた。



 どのくらいそうしたのか、足音が近付いて来た。

 木の床をゆっくり歩く足音が止まり、戸が小さな音を立てて開いた。

 ふわりと懐かしい香りが漂う。

 アミエーラは顔を上げる気力もなく、全く動けなかった。


 「あら、目が覚めたのかい」

 しわがれ声がアミエーラに向けられ、何かを置く音に続いてその人が近付く。


 (しわ)くちゃの手がアミエーラの額に触れる。その冷たさが心地よい。

 「まだ下がらないねぇ」

 心配そうな声と同時に手が離れ、足音が移動する。


 足音が戻り、目の前に木のマグカップが現れた。

 「飲めそうかい?」

 その声で、アミエーラは顔を上げた。

 たったそれだけの動作が身に(こた)える。


 ()せた老婆が柔和な笑みを浮かべ、隣に腰掛けた。小さな匙で少し(すく)い、アミエーラの口許に運ぶ。

 薄く開いた唇の隙間にそっと匙が触れる。丁度良く冷めた香草茶が口を湿(しめ)し、やわらかな甘みが舌の上に広がった。


 「滋養がつくように蜂蜜を足したんだよ。もっと飲めそうかい?」

 アミエーラがなんとか目顔で意思を伝える。

 老婆はせっせと匙を運び、甘くした香草茶を飲ませてくれた。



 マグカップ三分の一くらい飲ませたところで手を止め、老婆は立ち上がった。

 ベッド脇の小机にカップを置き、アミエーラを寝かしつける。

 「あんまり長く座ってると、よくないからね。もう少しお休み」


 老婆は、アミエーラにそっと布団を掛け直して頬を撫でた。

 「可哀想に。口もきけないくらい怖かったんだね。魔物はウチに入れやしないから、安心おし」

 それだけ言うと、カップを持って出て行った。



 戸が閉まる音を聞き、足音が遠ざかるのを待って、アミエーラは長い溜め息を()いた。



 山を降りたのは夕方だった。今、カーテンの隙間から漏れる光は、明るい。

 目を閉じる。

 舌に残るやさしい甘さと香草茶の効果で心は静かだ。

 老婆が何者かわからないが、アミエーラを助けてくれたのだ。


 ……何とかして、お礼しなきゃね。


 こんな身体では何もできない。完治するまで置いてもらえるのか。いや、それ以前にここが空襲に遭わないとも限らない。

 不吉な考えが脳裡(のうり)(よぎ)った。


 ……その時は、その時よね。


 アミエーラは、落ち着いた気持ちで眠りに落ちた。

☆仕立屋の店長の自宅……「0059.仕立屋の店長」参照

☆どこかで見たような模様/山小屋……「0134.山道に降る雨」参照

☆錆びた鎌/山小屋から鎌を持ち出した……「0141.山小屋の一夜」参照

☆登山道の門を閉めた時……「0149.坂を駆け下る」参照

☆折れた左腕……「0149.坂を駆け下る」「0153.畑の道を行く」参照

☆山を降りたのは夕方……「0153.畑の道を行く」参照


 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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