0115.昔の音の部屋
二人が戻って来た。
誰も……何も居ないと確認できたのも、充分な収穫だ。
クルィーロが、近くの棚から無造作に薄い物を抜き取った。
「再生機はスタジオにあったけど、停電してるから、見るだけだな」
独り言のように言ってモーフに差し出す。
反射的に受け取った。
硬くてすべすべ。
上等の紙に空の絵が描いてあった。青空に様々な色と形の雲が浮かび、太陽が微笑む。
紙全体を横切る虹に文字があるが、モーフには読めなかった。
「曲名は『この大空をみつめて』だな。国営ラジオで、天気予報を聞いたことはないか?」
ソルニャーク隊長に聞かれ、小さく頷く。
「予報官が、明日の天気を読み上げる後ろで、小さく音楽が流れるだろう。あれが、これだ」
「これが……」
モーフは工場で働いていた頃、昼休みは毎日、ラジオのニュースを聞かされた。
番組の終わりは、天気予報のコーナーだ。
いつも同じ曲が静かに流れ、天気予報の始まりが告げられる。
控え目な音量だが、予報官の単調な声を彩った。
主旋律は、色と形を変えながら流れる雲を音に変えたようで、モーフは明日の天気より、背後に流れる曲に耳を傾けた。
番組の尺より曲の方が長いのか、天気予報が終わると唐突に切られた。
今、その天気予報のレコードが、あの曲をそのまま絵にしたような姿で、モーフの手にあった。
……「この大空をみつめて」って言うのか。
少年兵モーフは曲名を反芻し、それに相応しい絵に目を奪われた。クルィーロが遠慮がちに声を掛ける。
「中のこれが、レコードだ」
棚からもう一枚抜き、絵の紙の中から黒光りする円盤を引っ張り出して、薄い袋を外した。
円盤は、小さなお盆くらいの大きさで中心に穴がある。穴の周囲には、同心円状の細い筋が無数にあり、目が回りそうな模様だ。
「この溝に音が記録されてるんだ」
クルィーロの説明に、モーフは手の中のレコードに視線を戻した。
「それはジャケット。本体は傷付きやすいから、これで包んで守るんだ。溝が汚れたり、埃がついたり、傷が入ったりしたら、その部分の音が飛んじゃうから」
「へぇ……」
モーフは、わかったような、わからないような顔で、自分とクルィーロの持つジャケットを見比べた。
天気予報は空の絵だが、クルィーロが持つのは、子供が大勢並んで同じポーズを取る写真だ。
こちらは、モーフにも辛うじて「たいそう」だけ読めた。
クルィーロがレコードをジャケットに収める。
黙って見守る隊長が、不意に顔を綻ばせた。
「随分、懐かしい物を引っ張り出したんだな」
「ご存知なんですか?」
棚に戻す手を止め、クルィーロがジャケットを隊長に向ける。
「国民健康体操の曲だ」
「こくみんけんこうたいそう?」
若者二人の声が重なる。
年配の隊長は、遠くを見るような眼差しで語った。
「ラキュス・ラクリマリス共和国時代にできたものだ。内乱時代も、学校で毎朝あった。それなりの年の者ならば誰でも知っている」
それなりの年と言われ、少年兵モーフはメドヴェージを思い浮かべた。
「見るだけだったら別に減らねぇし、おっさんにも見せてやっていいッスか?」
モーフが国民健康体操のレコードを指差す。クルィーロは、怪訝な顔をしながらも、レコードを手渡した。
「停電で聴けないんだけど、いいのか?」
「うん。隊長があんな嬉しそうに見るんだから、きっといい物なんだ。おっさんにも見せてやりてーんだよ」
少年兵の無邪気な言葉に、隊長が口許を綻ばせた。どこか淋しそうな笑みだ。
モーフは、何かマズいことを言ったのか、と二人の顔色を窺う。
「見るだけ……ここ、放送局だから、多分、自家発電の装置もあると思うんだ。燃料があれば、再生機を動かせるかもしれない」
クルィーロが言いながら、音源保管室を出る。
モーフは買物袋に二枚のレコードを入れ、隊長と共に昔の音が仕舞ってある部屋を後にした。
……あんなにいっぱい、長命人種でなきゃ、一生掛かっても全部聴けねーよな。
モーフは階段を昇りながら、棚の高さを改めて思い出した。




