第69話 王女の報告
『――なるほどな。それは確かに異常事態ではある。森に踏み込まなかったのも賢明で正しい判断であるな。彼の亡者達は、同盟の中でも我らを特に憎悪していると聞く。陽が高い内でも仇敵となれば殺しにこよう』
エデルガルトの報告を受けて、ゴファール王は目を閉じる。
『はい……。もう一点。こちらは真偽こそ分かりませんが、気になる話を耳にしました』
エデルガルトは言う。
『近隣の集落の、子供から聞いた話です。彼は、その日の夜、木に登って燃える森の様子を見ていた、と。我が国のアストラルナイトと戦う、正体不明の黒い影を見た。そう言っています』
『黒い影……?』
『そうです。赤い輝きを宿した黒い影。大きさからすると、アストラルナイトと同規模とは思いますが……』
『ヴァルカランがアストラルナイトを保有しているはずがありませんな……』
傍らに座った老人が呟くように言う。
『正体不明の黒いアストラルナイトに、異変を生じたヴァルカランの亡者か……』
『はい。しかし……その子供以外にはその姿を認めたわけではありません。ヴァルカランで研究されていた魔法……幻術の類であるとか、大型魔獣の可能性も否定できないでしょう。何分、夜間。距離もあってはっきり見えたわけでもない。しかし、戦いの轟音だけならば耳にした住民は多い。森の焼け跡に、アストラルナイトの巨体が倒れた痕跡等ならば、私も遠目から見ています』
……なるほどな。周辺住民への聞き込みで、そんな情報も得ていたか。
『その子供の虚言ということは?』
『ないと思います。私の質問には細部に渡って答えていましたから、嘘を吐いている、とは思えません』
『そうか。では――そのような何者かがいるという前提で考えるべきなのだろうな。ヴァルカランやエルフの陣営に属する者であるのか、目的が彼らと一致しているのかは分からぬが……タイプ・カテドラルを退ける程のアストラルナイト……差し向けられるだけの勢力があの近辺にあるとも思えぬが……ふむ』
ゴファール王は顎に手をやって思案を巡らせる。
『少なくとも、神殿の異変を考えると彼らがそこで全滅したというのは間違いないのでしょうな』
『であろうな。だからこそエデルガルトを派遣したわけであるが、そのような状況では、エルフ達の動向を調べるのも難しいか』
『もう男爵領に少し滞在し、調べるという選択もあったのですが……刺客を差し向けられまして』
刺客、と聞いてゴファール王と重鎮達は顔を見合わせる。
『ここで話をしてしまっても構わないでしょうか』
『問題はない。この状況でそなたを害することに利を得る勢力というのも、想像はつくからな』
人払いの必要はないと言われてエデルガルトは頷く。
『では――。結論から申してしまいますと、私を襲ったのはヴィルム神殿の諜報部隊のようです。刺客の持ち物故に決定的かは分かりませんが、証拠となりそうな品もいくつか持ち帰り、下手人も確保しています』
下手人がどこにいるかはエデルガルトは口にしない。刺客の中で生き残っているのはエデルガルトの言う友人のところに預けている刺客と、男爵家のテレンスのことだが……ベルルート男爵家とはテレンスとのことを伏せると取引をしている。もし友人に預けた下手人が殺された場合でも、テレンスが証人としての保険にはなるが、必要がない限りは伏せるつもりなのだろう。
『ヴィルム神殿……。王家がヴァルカラン相手では退くと危惧でもしたか。ヴィルム神の不調を治そうと必死なのだろうがな』
ゴファール王は目を閉じて笑う。意外という風ではなかった。
『そのためにお前を害し、王家の威信を傷付けて戦いの場に無理矢理引き出そうとしたというわけだ。合っているか?』
『はい。陛下のご慧眼の通りです。エルフの仕業と見せかけて拉致、或いは殺害して犯行声明を出す、というような』
『不敬な者達だ。騎士団に影響力があるのは認めるが、随分と図に乗ったものだな』
ゴファール王はそう言いながらも口元に笑みを浮かべたままだ。目は冷たいままで、怒りでも嘲笑でもなく、本心からの感情は読み取れない。
『神殿への対処はどうなさいますか?』
『そうだな。ここは神殿への貸しとさせてもらおうか』
表だってヴィルム神殿への処罰をするのではなく、王女に手出しをしようとしたことを口実に圧力をかけて交渉の材料にする、と。最大限の利益を引き出そうとしているようだ。エデルガルトはそれに対して何も言わない。王族であるが故か。感情を見せないまま、静かに目を閉じてその言葉を聞いた。
『それに連中の思惑に乗るのは癪だが、西への対処は何かしら考えねばならない。ヴィルム神とその神官だけでなく、間接的にエルムディア神とその神官達にまで制限が出ているとなると……ゴファールは喉元に刃を突きつけられたようなものだ。ヴァルカランが相手となるかもと分かっていても対処せざるを得ない』
『エルムディア神殿が解呪に赴き失敗に終わったのは同行したので知っていますが……現状はどうなっているのですか?』
エデルガルトが尋ねると、ゴファール王は肩を竦める。
『ヴィルム神に触れた時に呪いが伝播したらしい。ヴィルム神とは違い、その呪いの範囲は限定的だが……どうも外征にまつわるような土地、目的で治癒の力を行使しようとすると呪いが発動するようだ。そのために、国防面と国内での治癒に問題は起こっていないがな。外征面は諸々計画を見直さざるを得ん』
『そのようなことになっていたのですか……』
エデルガルトはゴファール王の言葉に目を剥く。
『目的を判別し、選択的に呪いが発動している。しかしそのような極めて高度で複雑な呪いの割に痕跡が見当たらない。発動の瞬間ですら感知ができないそうなのだ。故にどのように末端に伝播しているのかも分からない。エルムディアの神官共も頭を抱えているようだぞ』
「――別の神殿にも伝播していたのですね。対応もプログラムの挙動も想定の範囲内ではありますが」
と、エステルは他人事のように言った。この世界で解除できるのはまあ、エステルだけだろうとは思う。
「エルムディアっていうのは?」
『治癒の女神です。解呪や結界の守りなどに優れた女神ですね』
俺が質問するとロスヴィータが教えてくれた。なるほどな……。
『呪いの正体は分からぬが、仕掛けた者の意図は明白だな。懲罰であろうよ』
通信機のゴファール王の言葉を聞いて、エステルが頷く。
「まあ、そうですね。懲罰というのがきちんと伝わっていて何よりです」
その口調は悪びれも驚いている様子もない。
『この影響範囲で剛毅なことね』
影の中でソフィアの楽しそうな笑い声が響く。
「当然です。ヴィルム神はマスターに致死の呪いを向けてきたわけですから」
「あー、うん。まあ……そうだな。想定より大事になっているみたいだが、解除してやる理由もないしな」
俺を守ろうとしてくれたエステルの行為を咎めるつもりはないし、やりすぎだとも思わない。伝播して広がっているというのは、こちらにとっては利のある情報であっても不利に働く情報ではないからだ。
それに国防面や通常の治療際には使えて外征の時だけ選択的に潰しているというのなら、何も問題ないというか……これは多分エステルが想定した上での恩情だな。返された呪いをどうにかしようと思わないことだとヴィルム神にエステルが忠告していたのは、こういう事態を想定していたからだ。治療しようとした相手に対して選択的な制限を課したというのがその証拠だ。
というか、ゴファールには大人しくしていてもらった方がこっちとしては有難いというかこちらの要求の一つというか。想定以上に広がっているからというのは、制限外の目的では使えるのだから、割とどうでもいい話である。
その上で、交渉のテーブルについてもらうなら和平交渉と、断絶者の捜索と引き渡しということになるのか。向こうが武力に訴えるならこちらも対処するまでだしな。
『侯爵家や神殿に対しては此度のことで主導権を握れる。その上であの地に軍を派遣し、調査と原因の解決を図るしかあるまい。2つもの神殿の弱体化は看過できない』
ゴファール王はそう言うが。
『その……差し出がましいことを申し上げることをお許しください。私は――あの地に軍を派遣して刺激することは危険、と考えます』
『ほう。何故そう思う?』
『緩衝地帯とされてきた場所に彼らが留まるようになっている、ということを考えるなら……このまま同じ状況が永遠に続くことが保証されているわけではありません。彼らは生前と同じ判断力、技能を有しているのです。いずれ呪いを克服し、状況を変えることも考え得る。此度の異変もその一端なのではないかと』
ゴファール王はエデルガルトの言葉を静かに聞いていたが、やがて頷く。
『確かにな。だが、ヴェルドガルでも竜の山脈でもいい。ここを超えて魔族の討伐を成さねばならぬ。小規模ながら山脈を抜けてやってくる魔族による被害がなくなったわけでもなく、奴らの本拠地が地上にある限り苦難が続くのも事実。その為にも神殿の弱体化は許容できぬ』
『しかし……』
『くどい。これは決定事項だ』
言い募ろうとしたエデルガルトにゴファール王は冷たい口調で言う。
それ以上何を言っても聞き入れられないと判断したのか、エデルガルトは目を閉じる。が、それでも再度意を決したように顔を上げた。
『では……。ではお願いがあります。私を再度あの地に派遣して頂きたく。交渉や調査の面で、必ずやお役に立って御覧に入れます。神殿の方々にも私から話を通した方がとぼけられることもなくて手っ取り早く済む』
『ヴァルカランの亡者と戦いになった時にゴファールの王族がいることで裏目に出なければ良いがな?』
ゴファール王は嘲るように言った。それは……彼らから見れば確かにそうなのだろうし、呪いの対策が済んでいなければそうなっていただろう。
ゴファール王の言が正しいと分かっているのか、エデルガルトは僅かに言葉に詰まりながらも引かなかった。
『……いざとなれば囮にもなれましょう。それに伝え聞く通りならば、憎悪に駆られても言葉は届いているはず。この首を差し出すことで彼らの怒りを鎮めることもできるかも知れません』
その言葉には流石にゴファール王も驚いたようだ。それも一瞬のこと。今度は寧ろ面白がっているような表情を見せる。
『ほう。国の危機とあらば自らの命を賭けようと? 見上げた心意気よな』
『魔族が齎すと予測された危機も、ヴァルカランの変化によって生じるかも知れない危機も、同じものでありましょう。であれば、私の命にはヴァルカランの方が高値をつけてくれるはず。逆に言うなら、魔族相手では私の出る幕はありません』
『魔族であれば民であっても王族であっても等価か。ま、そうであろうが……。お前はあの地に向かい、どのような解決を目指すと?』
問われたエデルガルトは答える。
『まず、森にいるというエルフ達の生存の確認を。状況の変化に伴い、彼らが滅ぼされていたとしても、精霊は残っているはずです。その精霊と接触を図り、謝罪をしてヴァルカランとの交渉役をお願いしたく』
『精霊ならば命持つ生者ではないから、ヴァルカランの亡者と話もできる、か』
『はい。交渉を行い、その中で神殿の呪いの原因と解決を探りたく。軍を森に進ませるよりは穏便で、ヴァルカランの変化を招かない手になるかと』
ゴファール王はエデルガルトの目を見ていたが、やがて静かに頷く。
『よかろう。その案を認めよう。軍と共にであれば彼の地に向かう事を許可する。後方に待機させる形でもいい。軍がいるかいないかで対応の幅は変わってくる』
『……! ありがとうございます』
エデルガルトが一礼するとゴファール王は『よい』と軽く手を振る。
『出立まではまだ間があろう。証拠品と下手人を引き渡す手続きだけをしておけ』
『はい』
エデルガルトが立ち上がって退出しようとする。
「エステル。スパイボットを椅子の下へ」
「この場に残すわけですね」
エデルガルトの裾からサロンの椅子の下に虫型のスパイボットが素早く移動する。エデルガルトの部屋の位置は分かっているからな。手間ではあるがいざとなればエデルガルトのところに戻すこともできる。それよりもゴファール王達だ。エデルガルトが退出してからどんな話をするのかが気になった。




