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警備室を出たマーティンは、前方から歩いてきたローランドを見つけると、警備室を騎士と警備員に任せた。
「マーティン、そちらはどうですか?」
「ハーレイ嬢に呼び止められたと漏らしたが、その場所にいた理由を聞くと黙ってしまった」
「ダンスの授業を受けていた女子生徒が、遠目であったが一部だけ見ていたと証言をしてくれました。
オーガスティン嬢は、ダンスの授業自体初心者と言うこともあり、南棟の教室で個別に受けるように配慮されていたのですが、今日に限ってあの場所にいた理由は分からないらしいです。
その女子生徒は、いつもメイナード殿下と授業後に少し話をするハーレイ嬢を連絡通路の手前で待っていたのですが、様子を覗いてみると、オーガスティン嬢とハーレイ嬢がお互い右手を取り、揉めているのか引っ張りあっているように見えたと。
ハーレイ嬢の背後が階段で、傾いた姿勢で危ないと、咄嗟に動けずにいる間に手が離れてハーレイ嬢の体が階下へ…と言うことらしいです」
「ハーレイ嬢と何かあったのだろうか?」
「さぁ…ハーレイ嬢の目が覚めたら、詳しく聞くしかないですね」
「それまでに、今日のオーガスティン嬢のダンスの授業がどうなっていたのかを聞いておこう。
その後に医務室へ向かうとするか」
「そうですね」
***
「……ん…」
医務室の寝台に横たえられたエレノアは、閉じていた瞼を震わせるとゆっくりと開け、宙をぼんやりと見つめた。次に自身の手を握っている存在に気付き、ゆっくりと目を向けた。
祈るようにエレノアの手を握っていたメイナードは、心配からか苦しげに歪められた表情に安堵の色を滲ませた。
「エリー、大丈夫か?!エリー…!」
「…メイ?…っう…!」
咄嗟に起き上がろうとしたエレノアを、押しとどめてメイナードは優しく声をかける。
「無理するな、そのまま横になっているんだ。エリー、覚えているか?階段から落ちたんだ」
「階段…?ぁあ…ええ。…でも直ぐにメイの声が聞こえて…ありがとう、メイ」
エレノアはふわりと微笑み、メイナードが握りしめていた手をキュッと握り返してくれた。
メイナードは安堵のせいか、湧き上がる愛しさのせいか、鼻の奥がツンとして不覚にも瞳を潤ませた。
公爵令嬢が危害を加えられて倒れたという事で、張り詰めた空気が漂っていた医務室内は一気に緩み、医師や駆けつけた学園長、騎士といったその場に居た面々は安堵と喜びの声を上げる。
目が覚めたエレノアは、女子生徒を診察するために常駐していた女医によって、診断を受けた。
ダンスの衣装の下に着ていたパニエのおかげか、腕や背中以外には打撲跡などはなかった。念のためにと痛み止めを処方され、ふらつきや気分が悪くなる可能性と、1週間の安静を告げた。
エレノアは王妃教育や委員の仕事もあることから難色を示したが、メイナードが口を挟み、渋々了承する。
意識もはっきりしていることから、制服などの着替えと荷物、馬車の準備が整うまでの間に、できる範囲で聴取をすることにした。
***
「あのとき…授業の後メイナード様と他国のダンスステップの違いについて、少しお話ししました。お別れをした後、大階段を横切って連絡通路に向かう際に、オーガスティン様に呼び止められて…
その…違うとは思うのですけれど…
『メイナードは私が好き』『望まれて選ばれるのは私』『模擬夜会も誘われている』『あなたは邪魔をしている』と言ったことを言い募られて…」
「そんな事はあり得ない!」
必死な表情でエレノアに迫るメイナードの肩に、優しく触れて押し留めると、メイナードとしっかり目を合わせて優しく微笑む。
「ええ。私、メイナード様を信じておりますもの。何か誤解があるのかと思い、距離を取ろうとしたのですが、詰め寄られて。
あの方、急に叫び声を上げて手を。
そうしたらいつの間にか手を離し…体が投げ出され…」
目をギュッと瞑って、肩に触れたままの手から震えが伝わる。必死に耐えるエレノアの手をメイナードはそっと包み込んだ。
「信じてくれてありがとう。嬉しいよ」
「メイナード様、あのっ、何か誤解があったのだと思いますの。害そうだなんて、きっとそんな恐ろしい事お考えでは無かったと…思いますわ。ですからどうか厳罰は…」
「エリー…!君はなんて慈悲深いんだ…!」
「私たちは高位貴族ですもの。
最悪の場合一家郎党処刑と言う重い罰もあり得ますわ。同じ生徒同士、そのような恐ろしい事……避けられるならば避けとうございます。
私が邪魔で悪様に言われようと、寛大な処置を願いますわ」
淡く微笑むエレノアは、どこか悲しげに見えた。
そうしているうちに準備が整ったようで、エレノアは屋敷から馬車と共に駆けつけた侍女に手を借りながら屋敷へと帰っていった。
エレノアが健気であればあるほど、クレアへの憎悪が募るようで、腹の底が焦げつくような怒りを抑えるので必死になったメイナードは、厳しい口調で側近やその場の騎士に言いつけた。
「…エレノアがああ言うのだ。
寛大な処置で無ければならないのが、悔しくもあるが…。
オーガスティン嬢を厳しく尋問しろ。必要なら吐くまで地下牢にでも繋げ。
私は王宮に、母上とハーレイ公爵に状況を説明に行く。任せるがいいか?」
「「お任せください」」
険しい表情のまま、医務室を出て行ったメイナードの背を、皆礼をして見送った。
「これは厳しく問わなければなりませんね」
「そうだな。オーガスティン嬢を担当していたダンス講師が言うには、『本日の授業は体調不良のため別の日に』と本人から直接申し出があったらしいし」
「待ち伏せをしていた可能性がありますね。行きましょう」
「ああ」
クレアの長い一日は、まだ続きそうである。
***
自邸に到着したエレノアは、自室のソファに腰掛けながら、優雅にお茶を楽しんでいた。
「私、女優になれるのではないかしら…」
ウフフと微笑む彼女の対面には、いつかのように同じクラスの父の子飼いである女子生徒が座り、同じように出されたお茶に口をつけていた。
「しかし態々お嬢様が落ちるなどと……冷や汗をかきました。証言はあれで良かったのですか?」
「ええ、十分よ。何一つ、誰も嘘はついてないもの」
「まぁ…そうですね」
エレノアは躊躇いがちに言う事で、語尾を濁したり、伏せてはっきりと言わなかっただけで、事実しか述べていなかった。
『あの方、急に叫び声を上げて(こちらから)手を(取って遠心力で立ち位置を変えて)…
そうしたらいつの間にか(立ち位置が変わったことに、相手が驚いている内に)手を(こちらからわざと)離し(まして)。
そして体が投げ出され(たように見えますが実際はパニエをクッションに太ももから落ちるようにして横倒しになり、転がりました)…』
ほぼ伏せてるよね?と内心でツッコミを入れつつ主人の大事な愛娘には何も言うまいと口を噤むのであった。
「ちゃんと温情ある処罰を求めたのだもの、死は回避できますでしょう?
本来なら高位貴族で、王族の婚約者である私に冤罪をかけるなんて事、死罪以外あり得なくてよ?」
「ええ、そうですね。お優しい采配かと」
上機嫌で微笑むエレノアは、ゆっくりとカップを持ち上げて立ち昇る湯気を見つめた。
「もうお終いかしら」
「ええ。そのようですね」
「長続きしないものね」
「力不足ですよ」
「そうね。お楽しみはこれから幾らでも湧いてくるわよね。メイナード様もいる事だし」
「程々でおやめください。次期国王でございますし」
「わかっているわよ。うふふ」
頼みますよという視線を向けるも、楽しげにカップを傾けるエレノアには、僅かも届かないようである。




