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 クレアは決行日に向けて、男爵家邸内で練習をしていた。


 どれくらい着込めば怪我をせず、加えて痛みが軽減できるか、頭をぶつけずに済む速度はどれくらいかなど。


 男爵家の数少ない使用人は、その様を見かけては「妄言でなく奇行まで…?!」と困惑し、執事やメイド長に報告を上げた。

 そこから男爵や夫人の耳に入ったが、真面目に取り合わずに「平民の思考はよくわからない」と首を傾げるに留め、放置した。



「ふふ……ふふふ……完璧だわっ。

 しかもあそこの絨毯はこの家の物より上等だもの。

 痛みはもっと無いはず…!ふふふ…あははは!」



 物陰から覗く困惑した面持ちの使用人に気付くことなく、クレアは悪役よろしく高笑いを響かせたのであった。


 ***


 ダンスの授業では、本来婚約者が居ればその人と組むことを優先するのがルールだ。

 王太子であるメイナードは、今まで特にエレノアを優先せず、王太子として皆平等に相手をしていたのだが、エレノアの怪我からそれを取りやめ、エレノアを優先した。


 それもエレノアが、眉尻を下げて頼りなげに



「ダンスの練習が暫くできなかったので、怪我の影響が出ないか、アンバランスになっていないか不安です…」



 と、いじらしく頼みごとを口にしたからである。

 決してその際に、胸の前で組まれた手で寄せられた柔らかそうな膨らみに目がいったからでは無い。……決して。


 不安げにしていたエレノアも、問題無くステップを踏んで嬉しそうに頬を染めて微笑んでは、そのひたむきさにメイナードは頬を緩ませた。

 …決して柔らかな双丘が、しっかりと密着したからではない。決して。


 そうしてより良好な関係を周りに見せつけ、周りも仲睦まじい未来の国王夫妻を生温い視線で見守った。




 そしてクレアにとっての決行日。


 ダンスの授業が終わり、着替えのために皆教室を出て行く。

 戦略科の更衣室は大階段を降りて1階の奥にあり、淑女科の更衣室は淑女科のある南棟にあるため、ダンス教室のある2階からそのまま連絡通路を通る。


 階段の近くでメイナードと少し談笑してから挨拶を交わし、階下へ降りていくメイナードを見送った。

 角を曲がって見えなくなってから、南棟へ向かって歩を進めようとすると、エレノアは後ろから声をかけられた。


 声をかけた人物は、不躾に直近まで寄ると、口汚く鬱憤をぶちまけた。



「私はメイナードに好かれているの。

 貴女みたいに、無理やり政略で充てがわれた女に興味なんて無いんだから。

 私は望まれて選ばれる運命なの。今はあなたがしゃしゃり出てきたせいで離れているけど、模擬夜会だって私をエスコートしてくれるのよっ」

「……?あの?貴女、何を言って…?」



 エレノアが余りの鬼気迫った妄言に、一歩後退ると、クレアは構わず二歩近づき、ニンマリと笑って叫び声を上げた。



「きゃあああああああああ!やめてっっ!エレノア様っ!!きゃああああああああ!!!」



 その叫び声が聞こえたメイナードは、急ぎ足で更衣室に向かっていた足を止めて、振り返った。



(女性の叫び声が聞こえたが、「エレノア」と言っていなかったか…?)



 嫌な予感が過ぎり、メイナードは堪らず大階段へと向かって走り出した。

 すると、角を曲がって目に入った光景に愕然とした。


 大階段の上からエレノアが今まさに落ちてきていたからだ。



「エレノア!!!」



 メイナードはそのまま駆け上がり、転がり落ちるエレノアを階段の中程で、なんとか受け止めて上半身を抱き起こした。

 腕の中のエレノアは、意識がないのか目を閉じて弱々しく呼吸をしてはいるが、目立った外傷や出血は見受けられなかった。


 その様に少し安堵したものの、階段上で手を伸ばしたまま固まっているクレアを認めると、厳しく睨み据えた。



「あ……メイナード…違っ違うの、私じゃ無いわっ………信じて!」

「現行犯だ!あの者を捕らえよ!!」



 同じく叫び声で戻り、階下へ集まってきていた戦略科の面々は王太子の命令に従い、階段を駆け上ると逃れようとするクレアを力任せに押さえて拘束した。


 その中に騎士団長の息子、マーティンを認めて、メイナードはエレノアに視線を戻した。



「頭を打っているかもしれません。

 あまり動かさないように、医務室へ運びましょう。担架を用意させます」



 いつの間にか側に来ていたローランドは、メイナードと同じく目立った外傷がないことを確認すると、そう提案したのだが、メイナードは大事そうに抱えたまま、返事をした。



「いや、このまま俺が運ぶ。

 すまないが、次の授業に行けそうに無い事を伝えておいてくれ。後は頼んだ」



 言うが早いか、慎重に横抱きにすると、揺らさないように気をつけつつ医務室へ運んで行った。

 ローランドは一つため息を溢すと、周りに指示を飛ばすと解散と言い放つ。慌ただしく人が行き交う中、辺りをざっと視線を巡らせたローランドは、階上の連絡通路に出るまでの柱の影に人影を見つけた。恐らく叫び声で戻ってきた淑女科の女子生徒だろう。エレノアが医務室へ運ばれてこの後の授業は受けられない旨を伝えた。



 ***


 クレアは拘束されたまま、警備室に連れて行かれた。

 恐らく先程の顛末の聞き取りが行われるのであろう。


 皆が粗方去った後、各方面に知らせを飛ばし、ローランドも警備室に向けて歩を進めた。メイナードに任されたからには、側近であるローランドには、全てを明らかにして報告する義務が発生するのだ。


 向かう道すがら、ローランドは状況を冷静に考察した。


 ダンスの授業は女子生徒は練習用の簡素なドレスへ、男子生徒は体の線が判るようにシャツと黒い細身のパンツに着替えるために、他の授業より終わりが早い。そのため、あの時間の大階段周辺はほぼ無人である。


 目撃者は居ないかもしれないなと、第三者の証言が無いという状況にローランドは眉間にシワを寄せた。


 その時、練習着のドレスをきた女子生徒がおずおずと声をかけてきた。

 よく見ると、先程エレノアの欠席の伝言を伝えた女子生徒だった。着替えていないところを見ると、伝言の役目を果たした後、急いで戻ってきたのだろうか。



「あの……シュートルト様…よろしいでしょうか?」



 その女子生徒はローランドへ躊躇いながら、彼女が見た光景を途切れ途切れに話した。



「……そうですか、お手数ですが一緒に来てくださいますか?」

「はい、もちろんです」

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