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クレアは「何もかもうまくいかない」と、憂鬱な気持ちを抱えて、とぼとぼと食堂に向かう道を歩いていると、入り口あたりでローランドの銀髪が人並みに垣間見えた。
嬉々として声をかけようと、スゥッと息を吸い込んだところで、隣に艶やかな長い黒髪を靡かせた女生徒が寄り添っているのが見え、息をそのまま止めて硬直した。
(あ、あれはローランドルートで出てくる悪役令嬢のブリジット…!なんで一緒に?!)
ローランドは、エスコートしているのであろう、ブリジットの手を取って微笑み合いながら前を歩いていた。
訳が分からなくなり、咄嗟に前に回って進路を遮ると、突然の横入りに驚いたローランドは険しく眉を寄せ、ブリジットはキュッと手を握ってローランドに身を寄せる。
「ローランド様、どう言う事?」
横入りした人物がクレアだと分かると、ローランドは警戒を解いた。
「どう言う事とは…?」
はて?と首を傾げたローランドにクレアは苛立ちを表して声を荒げた。
「なんでその人と一緒なのっ?」
「……なんでと言われても、彼女は私の婚約者だが?何かおかしいかな?」
「だって、ローランドは私と…!」
「何か勘違いしているようだが、君と私の間には何もない。学園生活に不安があると言うので、相談に乗っていただけだ。それに今は良好と聞いているが?」
「そんな事は…!」
「まぁ…私達の努力が足りませんのね…。
申し訳有りませんわ……」
悲しげに目を伏せて、目を潤ませはじめたブリジットに気づいたローランドは、気遣うように肩を抱いて慰めた。
「ブリジット…伯爵家である君がそこまで心を砕く必要は…」
「いいえ。違うクラスですが、誰しも新しい環境に不安になってしまうのは仕方のない事。
私にも経験のある事ですもの、ゆっくりと一緒に学べるように手を取り合うべきですわ」
伏せていた目を上げて潤んだ瞳を向けてくる、健気な自身の婚約者に心を打たれたローランドは、抱きしめたい衝動を抑えながらも、胸にそっと手を添えてくれているブリジットの小さな手をそっと握り、美しい黒曜石のような瞳を見つめた。
「ブリジット…」
「ローランド様…」
ほぼ抱き合った状態で見つめ合いはじめた2人に、クレアは口を挟めずにいると、ローランドはクレアに向かって口を開いた。
「クレア嬢はもうちょっと、貴族の常識をちゃんと学んだ方が良い。
それから、何度言っても聞かないので諦めていたが、やはり名前を呼ぶのはやめてくれ。
ブリジットや周りに誤解される。迷惑なんだ。私もオーガスティン嬢と改めよう」
「そんなっ!ローr「シュートルトだ。オーガスティン嬢」……シュートルト……様…」
「では、2人で食事を約束しているので、これで。さぁブリジット、行こう」
2人が寄り添って、クレアに目を向ける事なく横を通り過ぎていくのを、ただ呆然と見るしかなかった。
***
すっかり肩を落としたクレアは、ムクれた様に口を突き出した。それでもそのままローランドが婚約者といる食堂には居る気になれず、サンドイッチなどの持ち出せるメニューを注文して中庭のベンチに腰掛けた。
(ローランドは二番目の推しだったのにぃ…
どこを間違えたのかしら…選択肢はあっていたはずだけど、あれかな
○わかったわ! ○もちろん ○もうしょうがないな
これが1つ目じゃなくて2つ目の選択肢だった?
いや……そんなはずは…てかどれほど違うって言うのよ!繊細かっ!繊細キャラだったわっっローランド!)
1人イライラとしながら、やけ食いのようにサンドイッチをがっついていると、栗毛のカールした髪を長めに整えた垂れ目が優し気な印象を与えるチャラ男風の商会の息子、アイザックがヒョコッと覗き込んできた。
「やぁ、クレア嬢1週間ぶり。今日は1人?珍しいね?」
「アイザック!びっくりさせないでよー。
うん、ちょっと距離を置かれちゃって…」
「そうなんだ?科も違うし、頻繁には行けないよね。気遣われたんじゃない?」
クレアはそうじゃないと思ったが、曖昧に微笑んでおいた。
「そっか。
あ、じゃぁ俺この後の授業の準備があるからこれで。
また何かあったら声かけてよ。じゃーねー」
バイバーイと手を振るアイザックに、パッと手を離されたような寂しさを感じたが、科の違うクレアには引き留める理由もなく、口を引き結んで手を振り返すしかできなかった。
アイザックは寂しげな瞳を向けるクレアを背にして、潮時かなと考えていた。
クレアとは、アイザックの家が経営する店の近くで、柄の良くない男達に絡まれていたのを、「営業妨害になったら嫌だなー」と思って、しょうがなく助けたのがきっかけだった。
貴族や裕福な平民へのコネ造り目的で入った学園の最終学年に入った今、中庭でクレアと再会したのだった。
クレアは目を輝かせて「運命かしら!」と言っていたが、アイザックは「縁があったのだろうが、そんなのでいちいち運命を感じていたら商売なんてできやしない」と内心で毒つきながら、じと目になりそうなのを瞬きをして堪えた。
しかし、再会して「馴染めない」とぼやくクレアは、何故か生徒会長である王太子殿下と、宰相子息、騎士団子息と一緒に居る事が多い。
アイザックはその瞬間に、クレアを“めんどくさそうな客”から、“コネ造りの駒”へとカテゴリーを変更した。
これがなければ、きっと“めんどくさそうな客”から“めんどくさい顔見知り”へとカテゴリーを変更していたと思われる。
何故なら、会えば淑女科の愚痴を溢し、馴染む努力はしない。
所作は一向に改善される気配がなく、普通科に通う富裕層の平民の方が所作は綺麗だった。
特徴といえば、可愛らしい見てくれくらいではなかろうか。
そして「私、分かっているからね」みたいな目線にどうも神経が逆撫でられる気がしてならなかった。
そこへ最近、金髪ボブカットの淑女科の女子生徒が、食堂で王太子殿下の婚約者である公爵令嬢にぶつかって倒れさせて謝罪もなく逃げたという噂が流れた。
貴族の娘が通う淑女科で、金髪ボブ頭なんてクレアしかいない。
その噂を聞いたときは、クレアが公爵令嬢と揉めたのを、尾ヒレ背ビレが幾重にもついたのかと思ったのだが、実際に見た者が多数いた。
(あ、これ詰んだな)
この瞬間クレアを“コネ造りの駒”から“めんどくさい顔見知り”に変更して、そのうち断つと心に決めた。
今日わざわざクレアに声を掛けたのは、“駒”の機能がまだ残っているかの確認をする為だったのだが、見事に一人でガツガツとサンドイッチを頬張る、どう見てもやけ食いをしているクレアを見て、終了のお知らせが頭の中で鳴った気がした。
「ばいばい、おじょーさん?」




