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 公爵令嬢であるエレノア・ハーレイの学園での評価は概ね良好である。

 分け隔てなく皆平等に接し、笑顔を絶やさない。

 成績優秀で品行方正。淑女の鑑とまで言われる完璧な所作。


 可愛いというよりも儚げな美人と評される外見は、菫色の真っ直ぐな髪に赤味がかった紫の瞳。睫毛はシミひとつない肌に影が落ちるほど長く、ぽってりとした唇は紅を引かなくても綺麗な桜色。


 そしてこの国の王太子であるメイナード殿下の婚約者である。


 藍色の髪、紫紺の瞳を持つメイナード殿下と並べば、まるで一対の人形のような完璧な美しさ。


 しかし、最近全てに於いて完璧と評される彼女の耳に不穏な噂が入る。



 ── 王太子殿下は、転入生に夢中らしい。



 誰もが耳を疑うその噂は、どうやら本当のようで、肩までの金色の髪がフワフワと揺れる小動物のような可愛らしい見た目の女生徒と連れ立っている。

 しかも王太子殿下の側近である宰相の息子、騎士団長の息子、そして学園に出入りする商会の息子...までも侍っていた。


 エレノア以外のそれぞれの婚約者は、その女生徒に常識的な注意をしたが、泣き喚かれ、全てねじ曲げられ子息に伝わり、反対に叱責されて距離を置かれてしまっていた。


 現在エレノアは、その子息の婚約者である令嬢達の話を聞き、慰めていた。



「まぁ、皆さま、なんて事でしょう...

 お辛かったですわね。そのようにお話の通じない方なんて……」

「ええ、私達悔しいやら悲しいやら……情けないやらで……!」


「どうぞこのハンカチをお使いになって?……こうなっては、お互いのためにも暫く距離を置くしかございませんわね。きっと一時的なものですわ、すぐに分かってくださいます」

「エレノア様……!」



 そうして、ややこしくならないように声をかけ続けたのだが……


 数日後エレノアは、その女生徒と渡り廊下で遭遇してしまった。


 その女生徒は、パタパタと足音を立てて走ってきたかと思うと、エレノアの横で急に倒れたのだ。


 派手に転んだ女生徒に、手を貸そうと素早く差し伸べると、彼女は涙を浮かべて眉を寄せ、エレノアをキッと鋭い目つきで見上げた。

 非難されているような表情に、意味も分からず、首を傾げていると、彼女は急に大きな声で口を開いた。



「どうして……足をかけるなんてひどい!」



 エレノアは目を瞬かせ困惑していると、彼女は差し出していた手を無視して立ち上がり、目元をわざとらしく拭った。



「わ、私が平民上がりだからって!」



 そう言うと、またもパタパタと足音を立ててあっという間に走り去っていったのである。


 残されたエレノアはポカーンである。

 名も知らない女生徒。平民上がりがどーのこーのと言う前に、彼女が貴族であるかも分からないのにである。困り顔のエレノアは、一緒にいた同じクラスの友人に、「あれが殿下方に纏わりついている女生徒です」と教えられ、成程と頷いた。


 その場は「何か行き違いがあったのかしら」とやんわりと流し、表面上は穏やかにいつも通り過ごした。


 ── 表面上は。


 次期王妃とされるほどの令嬢が、全て後手に回ったままで流すわけもなく。

 エレノアは、一時の戯れならばと目を瞑るつもりであった。


 いかんせん皆お年頃。お相手は目の前にいるのに、結婚まではお預けな思春期真っ盛りな男性である。

 しかし、最後まで致させるつもりは微塵もなく、あくまで戯れる程度でストップをかける気でいた。


 ところが、戯れのおもちゃが令嬢側のテリトリーを荒らし、剰え牙を剥こうとしてきたのだ。


 NGも3つ重なれば、排除の対象となるのは仕方のない事とも言える。

 エレノアは、授業が終わるとクラスの女子生徒に声をかけた。



「ねぇ、宜しいかしら?」

「あっはい、ハーレイ様っ」

「ふふ、お願いがあるのだけれど」

「…はい、どのような事でしょう?」



 その女子生徒は緊張と高揚が入り混じった顔から、すっと表情を消して口角だけを上げ、エレノアの言葉を待った。



「纏わりつくハエの詳細と、見張りをお願いしたいの」



 エレノアの言葉を聞くと、女子生徒は静かに頷き、元の表情に戻り何事もなかったかのように自席に戻っていった。



 ***



 夜、公爵邸に密かに客がやってきた。

 それは学園で話しかけた、同じクラスの女子生徒だった。



「夜分に恐れ入ります。

 ご依頼の調査書をお届けにあがりました」

「ずいぶん早いのね」

「一応マークしておりましたので」

「それもそうね。ありがとう」



 柔らかく微笑んだエレノアは、渡された調査書を受け取るとじっくりと読み込んだ。



 殿下に付き纏うハエは、クレア・オーガスティンと言い、エレノアと同じ淑女科に通っている。


 オーガスティン男爵の庶子で、平民の母が存命中は市井で育ち、流行病で亡くなると男爵が引き取って籍を入れ、正式な男爵の子供となった。


 戦略科のメイナード殿下とは、偶然目の前で転びそうになったところを咄嗟に助けたのがきっかけ。それからお礼やら何やら……そのうち悩み事を相談するようになって……という流れだ。


 相談内容は、「孤立している」「話しかけても無視される」「平民上がりと蔑まれる」と言った内容だった。



「まぁ、クスクス……可哀想な女を装って近づき庇護欲をそそって懐に入り込んだわけね。科が違う殿下方は半信半疑だけれど、涙を浮かべて訴えられては無下にもできずに、そのうち絆されたと言うところかしら」

「はい、恐らく」

「ふふ……ではそうね、同じクラスの子に、明日から親しく話しかけるように言って頂戴。

 そうね、彼女と同じように、殿方と居る時は特に。良いわね?」


「はい、今日中に周知いたします」



 ***



 翌日


 エレノアは、馬車を降りるといつも通りに友人に声をかけて、教室までの道を歩いた。


 視界の隅で、クレアに笑顔で挨拶をするエレノアの手駒が見える。

 クレアは戸惑った顔をしていたが、他の令嬢にも挨拶をされて困惑しながらも挨拶を返す。


 その様子を見ていたのは、何もエレノアだけではない。

 騎士団長の息子マーティンも、後ろの離れた位置から見ている。



 これではまずいと思ったのか、クレアは早速とばかりに昼休憩に行動に出た。



 皆が集まる食堂の入り口近くを、ゆっくりと進むエレノアにパタパタと喧しい足音が近付いてくる。



「エレノア様……」



 一緒に行動していた手駒の一人が、注意を促すように小さく声をかけるが、本人は微笑んだままで気にする素振りもなかった。

 いよいよクレアがすぐ側まで近寄った瞬間、エレノアは前のめりに倒れ込んだ。


 ── バターーン!



 一緒に談笑していた友人は、急な惨状に声を上げる。



「きゃー!エレノア様っっ大丈夫ですか?!」



 周りは床に倒れ込んだエレノアに目を向けて、呆然と直ぐ横で立ちすくんでいるクレアにも視線を向けた。



「あの方、エレノア様にぶつかったのではなくて?」

「走ってきてたわよね」

「どうして人が多いところをわざわざ走ってらしたの?ぶつかってしまうのは当然だわ」

「見て、手も貸さない上に謝罪も無いわ」

「どなた?」

「確か編入生のクレア・オーガスティンと言ったかしら...」



 狼狽えるクレアは、周りの声が耳に入ると青ざめ始めた。

 その時、倒れていたエレノアは上半身を起こすと声を上げた。



「いいえ、彼女は悪く無いわ。私の不注意で転んでしまったのです。

 ね?貴方も何か慌てていたのよね?」



 眉尻を下げて悲しげな微笑みを向けるエレノアに、クレアはたじろいで数歩下がって大声で弁明した。



「わっっ私何もしていないわっ!」

「え……ええ、そう……。もし宜しければ手を貸してくださるかしら?」



 エレノアは、弱々しく白く細い手をクレアに差し出した。



 ─ これは大きな分岐点だ。


 手を取れば、周りにはエレノアを転ばせた事による謝罪と和解のように映る。

 そしてエレノアは、それをきっかけに皆に誤解を与えた謝罪と感謝をクレアの教室や、侍らせている殿方の前で再三述べるつもりだ。

 虐められたとされる集団のトップに位置するエレノアに、感謝されている姿に殿方はどう思うか...。


 手を取らなければ、エレノアを転ばせて怪我をさせたにも関わらず、謝罪もなく立ち去ったとして噂が流れ、虐められているという話の信憑性が薄まる。


 そんな選択肢を孕んだ手を、クレアはどう思っているのか。強張った顔で見つめると、キュッと口を引き結び、踵を返して走り去ってしまった。


「なんて方なの!」と憤り騒めく周りの反応に、内心でうっそりとほくそ笑むと、また弱々しく微笑んで見せたエレノアは、宥めるように声をかけた。



「皆さま、そう怒らないでくださいまし。

 こうして友人が手を貸して下さり、心配して下さって……私はそれだけで十分ですわ。

 きっと私がぼぅっとしていたのがいけないのです。

 あ……いえ、お騒がせしましたわ。

 私は保健室に参りますので、皆さま昼食をどうぞゆっくり楽しんでくださいませ。失礼いたしますわ」


 そうしてエレノアは、友人の手を借りて立ち上がるといつもと違い、どことなく歪な歩調で友人の手を借りながら立ち去った。


 ***


 放課後、珍しく婚約者であるメイナードがエレノアを訪ねに教室までやってきた。



「ご機嫌麗しゅう殿下。

 ....座ったままでのご挨拶で申し訳ございませんが、暫くはご容赦くださいませ」

「怪我をしたと聞いたが大丈夫か?」

「ええ、大したことは。軽い捻挫ですわ。ご心配いただきありがとうございます。嬉しいですわ」


「何を……婚約者ではないか」

「ええ……。殿下は今から王宮へお戻りに?

 もし宜しければ私も王妃教育で参りますのでご一緒しても宜しいでしょうか?」

「怪我をしたのだ、今日は休んではどうだ?」

「いいえ、これも将来は大切な殿下をお助けするため。こんな怪我如きで休んでは、王妃様に叱られてしまいますわ」



 ウフフと口元を押さえて可憐に微笑むと、眉を寄せていたメイナードもフッと微笑み返して手を差し伸べた。



「では私も大切な君をエスコートして行くとしよう」

「まぁ大切だなんて……」

「エレノアが先に言ったのではないか。“大切な殿下”と」



 エレノアはメイナードの言葉に、頬を染めて恥じらうように視線を下げた。



「私ったら、つい出してしまいましたのね。

 忘れてくださいませ」



 いつにないエレノアの恥じらう表情に、メイナードは頬を緩ませた。もっと見たくなったメイナードは、ついからかうような言葉が口をついて出てしまう。



「痛むようなら抱いて行っても良いぞ?」

「……!も、もうやめて下さいませ!抱くなどと不埒ですわ!」



 ますます顔を赤くしたエレノアに、喉を鳴らして笑うメイナードは、どこか懐かしさを感じていた。


 ゆっくりと机に手をつきながら立ち上がるエレノアの手を取り、腕に深く絡ませると歩調を合わせて馬車に向かった。


 メイナードは馬車の中で改めて対面に座る、己の婚約者に目を向けた。

 久々にゆっくりと向かい合っているなと思い、そのままを口にすると、目を瞬かせたエレノアは間を置いてから答えた。



「王妃教育と、学園に入る前の準備に追われて時間もございませんでしたし、私もついていくのに必死で、殿下を上手く気遣えなかったのですわ。

 学園に入ったら入ったで殿下は生徒会のお仕事も出来てしまい、お忙しそうでしたので。

 棟も離れておりますし、私も淑女科の委員に選ばれてご挨拶もままならず……」

「そうか」


「正直言いますと、少々寂しく感じておりました。遠くなったと感じてしまって」



 エレノアの言葉で、メイナードは心の内で持っていた彼女に対しての不満の根底に気付いた気がした。


 自分との時間を作らず、顔を見せたと思えば儀礼的な挨拶だけを交わして忙しそうに去るエレノア。

 未来の王妃の地位が確定したら、目を向けないのかとそんなものかと落胆していた。

 自身もエレノアと同じく寂しかったのかもしれないと気付くと、どうしようもなく恥ずかしくなり、手で顔を半分隠して気付かれないように窓に向けた。



「それに常に試験を受けている状態ですし...

 こうして目がないところで二人でいて、やっと昔のようにお話しできますわねっ」



 悪戯っぽく笑うエレノアに、今度はメイナードが瞬いた。



「試験?」

「ええ、私には常に模範的であるようにと、合格が出るまでは審査をする者が複数おりますのよ。かれこれ五年になりますか」

「そうなのか?!」


「でも今日の一件で、少し表情を崩してしまいました。

 お叱りを受けるかもしれませんわ。どうかお叱りが軽く済むように、祈っていて下さいませ」



 口を尖らせて拗ねたように言うエレノアに、内心で面食らいながらそんな試験があるとは知らなかったメイナードは心の中でエレノアに謝罪した。



(表情が変わらない、冷徹な女と思っていてすまない)




 ***


 それまでの蟠りも嘘のように、和気藹々とした雰囲気で和やかに話をしたメイナードとエレノアは、王宮に着くとまた同じように腕を絡ませて王妃の居室まで歩いた。

 王妃の居室に着くと、待ちかねていた母である王妃に、エレノアの怪我を伝えた。


 メイナードは、去り際に座るエレノアの肩に触れた。



「明日から学園が終わり次第、私が今日のように教室まで迎えに行く。無理をせずに待つように。いいね?」

「あ...はい、ありがとうございます。お待ち申し上げておりますわ」



 嬉しそうにはにかんで答えたエレノアに、幼い頃、心を掴まれた時の情景が重なり、堪らず頬に唇を寄せた。

 何事もなかったように表情を取り繕ったメイナードは、母である王妃に礼を告げてから部屋を下がっていった。



「まぁ、ウフフ。あの子ったらいつの間に貴女とそこまで親密になったのかしら」

「まぁ、王妃様。私はいつでもお慕い申し上げておりますし、お互い大切な婚約者ですもの。これくらいの仲の良さは、当然ではございませんか?」

「でも貴方達、ここ数年は疎遠だったでしょう?」


「今日は私が殿下の好みに寄り添ってみたにすぎませんわ」

「あら、どういう事?」


「最近ハエが纏わりついておりましたので、生態を調査した上で、今の殿下の好みを推測しましたの」

「ああ、だからメイナードの前であのように振る舞ったのね。流石だわ」


「割合としては素直4割・純朴3割・健気3割でしょうか」

「純朴とは……クスクスクスクス……」


「殿下もまだ女性に夢を見るお年頃だったと言う事ですわ。そんな所も好ましく思います」


「一片の表面しか目に入らないあの子には、やはり貴女のような頼れる女性じゃないとダメね」

「ウフフ、ありがとうございます。

 本日は同盟国の最新情勢とマナー、言葉のチェックでございましたでしょうか?

 では、マナーからお願いいたします」



 そう言うと、椅子からスッと立ち上がり、身だしなみをササっと整えるエレノアに、王妃は目をパチクリとさせた。



「あなた、怪我をしたのではないの?」

「まぁ王妃様、ご心配をおかけして申し訳ございません。もう治りましたので、ご安心くださいませ」


「そう、フフフ……いいわ。それでは始めましょう」



私、素直で可愛い主人公が書けないのかもしれません。(´-`).。oO

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