第十八話 ワタシはもう君に守られる資格がないから
――そういえば、昔もこうやってナンパからサーシャを助けようとしたことがある。
サーシャも綺麗な人だったから、街中でよく声をかけられていた。さつきがいない時はもちろん、娘をだっこしている時でさえ、サーシャは色々な人の注目を集めてしまっていた。
それくらい彼女は、綺麗だった。
だから変な人間に絡まれることも多かった。
特に酷かったのは繁華街の近くにある飲食店に行ったときである。
食事が終わって、帰る際にサーシャはホスト達に声をかけられた。その時は俺がさつきをだっこしていたので、サーシャは独身と思われたらしい。
もちろん彼女は断ったし、自分が子持ちの人妻であることも伝えていた。
それでもホスト達はしつこかった。
一度でいいから店に来てほしいと、人の目があるにもかかわらずに大声で勧誘していたのを、よく覚えている
しかも複数のホスト達が束になって強引に口説こうとしていたから、見ていられなかった。
サーシャには、さつきを巻き込まないように遠くにいてほしいとお願いされていたにも関わらず、俺は彼女を助けようと動いた。
でも、俺を制止したのは、やっぱりサーシャだった。
「自分の身くらい、自分で守れるよ。君はワタシが天才だって、忘れたのかな? 喧嘩くらい余裕でできるさ」
そう言って、彼女は軽くホスト達を蹴散らしていた。
綺麗な見た目に反して、彼女はなかなか好戦的な女性である。血の気も多かったし、性格も別に穏やかというわけじゃない。結構、荒々しくて情熱的なニンゲンだったのである。
「よくもいつき君をバカにしたなっ! その顔をぐちゃぐちゃにしてやる! 彼はぽっちゃりしているだけでかっこいいんだからな!! 心がめちゃくちゃイケメンなんだぞ!? 女性を消耗品としか考えていないお前たちがバカにしていい人間なんかじゃないんだ!!」
……サーシャが怒ったのも、そういえば俺がバカにされたからだったなぁ。
このあたりは親子だ。身近な人をとても大切にする血筋なのだろう。
「まぁまぁ、サーシャ。落ち着いてくれっ……さつきが見てるぞ?」
「ママ、ちゅよい! しゅごーい!」
「いや、さつきも喜んだらダメだよっ! まったく……子供に悪い影響があるんだから、グーパンチなんてやめてくれっ」
どうして俺が叱る側になっているのか……ホストの一人に綺麗なストレートをかましたサーシャに、ため息をつく。
いや、別に一方的に殴ったわけではない。ホストのうちの一人がサーシャの物言いに激怒して殴りかかってきたのだ。そのパンチをさけて、サーシャは綺麗にカウンターを入れたのである。
おかげでホスト達は退散した。しかし俺は不満だった。
本当は、サーシャを守ってあげたかったのに、彼女本人がそれを拒んだから、何もしてあげられなかった。
彼女は確かに天才だ。身体能力も高い。だけど、女性なのだ。
筋力的にも、肉体的にも、男性との喧嘩は危険だったのにっ。
「ほらっ。手を見せてごらん? ここ、拳の皮がめくれているだろう? サーシャの体は人を殴るためにできてないんだから、気を付けてくれ!」
血のにじむ拳は見ているだけで痛々しかった。
「俺に任せて大人しくしてても良かったんだぞ? こう見えても、君を守るために強くなったって言っただろ?」
あの時、珍しく俺は感情的になっていた気がする。
サーシャが傷つくことが嫌だった。俺に、守らせてほしかった。
しかし、サーシャはゆっくりと首を振った。
寂しそうな顔で、彼女はさつきの頭を撫でながら、こんなことを言ったのだ。
「確かに、いつき君は逞しくなったね。ワタシではもう勝てないだろうし……君がイジメられて泣きべそかいているところを、慰めることもできなさそうだ」
「だったら……っ!」
「でも、ワタシは君に守られる資格がないんだ。君の身を犠牲にしてでも、守られるほどワタシに価値がないから」
そんなことない!
そう叫ぼうとしたけど、寸前で声が詰まった。
「いちゅきっ」
抱きしめていたさつきが、俺の指を掴んだせいだ。
まるで、母親の話を最後まで聞けと、そう言っているかのように。
「……もし、それでも君がワタシを守りたいと、思ってくれるのなら」
話の続きは、サーシャが最も伝えたいメッセージだった。
さつきのおかげで、俺はその話を聞くことができたのである。
「どうか、娘を……さつきを、守ってくれないかな? ワタシじゃなくて、さつきを大切にしてほしい。色々な不幸や、悲しみや、苦しみから、いつき君の逞しい体と、優しい心で、どうか……お願いします」
母親としての愛は、優しくて温かかったけど。
少し、卑怯だとも思ってしまった。
「……そんなこと言われたら、断れないよ」
苦笑しながら、さつきの頭を撫でてあげる。
だっこしているサーシャの娘は、幸せそうに頬を緩めて俺のシャツを握っていた。
「この子が、いつまでこうやって笑ってくれていたら……ワタシはもう、何も要らないんだ」
母の思いを受けて、俺は改めてその時に決意した。
「うん、任せてくれ。さつきを、絶対に守るよ」
その約束は、今もずっと心の中に残っている。
天国に行ったサーシャの愛は、しっかりと継承されているのである――




