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メタンダイバー  作者: 山彦八里
最終章:方舟
36/37

8話:Old Boys

 天井の照明がちかちかと点滅する。

 いくつかの計器が電源を落とし、無事なものも膨大なエラーを吐いてその機能を無益に堕している。

 トマスの特攻が方舟に与えたダメージは決して小さくなかった。

 互いのサイズ差からは考えられない衝撃が方舟を貫き、艦長席に座っていたレグナムも床に投げ出されていた。


『……お父さま』

「大丈夫だ、セシル」


 ややあって予備回路で再起動した空間ディスプレイにセシルのアバターが戻る。父を気遣ってか、表情にはどことなく心配そうな色がある。

 レグナムは困ったように笑うと、艦長席の肘かけを支えによろよろと立ちあがった。


「状況は?」

『……第三艦橋大破、機関部にも被害が出ています。最低限の修復に360秒必要です』

「してやられたね。彼はどうなった?」

『トマス・マツァグは――』


 セシルの視線が背後、艦橋に出入りするための気密扉に向けられた。


『――扉の前にいます』

「開けてあげなさい。爆薬の類も持っているのだろう? これ以上壊されては堪らない」

『了解しました』


 セシルは辛うじて生き残った電源系統にアクセスして扉のロックを解除した。

 自動で内外の気密の調整が行われ、あと数秒で扉が開く。

 そのとき、ふとレグナムは顔を上げて、方舟の中枢ユニットと化したセシルを見た。


「セシル、もしも僕が死んだら――」

『お父さま?』

「……いや、なんでもない。勝ちを諦めるには、まだ早い」


 苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべ、レグナムは白衣の懐から銃を取り出した。

 アトラ=ハーシスは惑星移民船であり、内部に攻め込まれることを想定しておらず、艦橋に対人制圧用の火器は設置されていない。

 “初代”の怨念に塗れた記憶を断片的ながら引き継いでいるレグナムからすれば、迂闊もいいところだと思えるが、“最初の人々”がなにを考えていたのかは今となってはわからずじまいだ。

 わかっているのは、扉を開けてしまえばもうセシルの手助けはないということだけだ。


 そして、微かな噴出音がして、ゆっくりと扉が開かれる。

 期待と緊張と、仄かな憎悪を込めてレグナムは銃口を持ち上げる。


「――ようこそ、トマス・マツァグ」



 ◇



「――ようこそ、トマス・マツァグ」


 扉が開くと同時、聞こえた声に銃口を突きつけたトマスは、そこで驚きに動きを止めた。

 相手も銃を持っていることに驚いたわけではない。何も備えがない方が却って不気味なくらいだ。

 空間ディスプレイに浮かぶセシルには多少の驚きがあったが、どうしてそうなっているかも把握しておらず、動きを止めるほどでもない。


 トマスが驚いたのはレグナム・ディ・ラブレスの姿だった。


「アンタがレグナム・ディ・ラブレスで……いいんだよな?」

「如何にも」


 はじめ、トマスは目の前にいるソレがレグナムだとは思えなかった。

 鷹揚に頷く本物のレグナムはかつて相対したロボットと異なり、年老いた骸骨のような姿だった。

 白衣より青白い顔色、しわがれた皮膚、痩せさらばえた手足、骨がきちんとあるかも怪しい薄い胴体。

 90歳どころではない。100歳すら優に越しているに違いない。

 ソレは既に、執念だけで駆動している死体だった。


「今度は生身みてえだな」

「君が追いつけないようならこのまま地球に向けて発つつもりだったからね。……ああ、ひとつ、言い忘れていたことがあった」

「あん?」

「お礼を言わないといけなかったんだ」


 怪訝そうなトマスに対して、レグナムはにやりと口元を歪めた。

 悪意に塗れた、しかしどこか自嘲しているふうな笑みだった。


「重力子機関の並列制御、シモン……君のお父上が蘇らせた遺失技術。そして、その実証機たるレコードブレイカーの飛行データ。そのお礼だ。

 そのふたつがなければ、僕は“一号機(アリス)”を完成させることができなかったからね」

「……」

「君たちは、ラブレス一族が何代もかけて届かなかった頂きに親子二代で届いたんだ。

 正直、君たち親子には嫉妬したよ。僕では技術のブレイクスルーを起こせなかった。

 ――だから、出し抜いて、追い抜いたんだ!! どうだい、滑稽な話だろ?」

「……ああ、そうか」


 トマスはおのれの中にわだかまっていた疑念が氷解するのを感じた。

 レグナムの行動には不合理な部分が多かった。

 たとえば、レグナムにとって、自分やマリーへの不自然な接触は方舟の確保には不要なアクションだったはずだ。

 自分たちが不確定要素だったのは確かだが、そも接触がなければトマスがこの場所に辿り着くことはなかった。

 機人戦争を起こしたこともそうだ。この男が自律機械の暴走の可能性に気付かなかったとは思えない。

 デルフィの誤作動とて10年も放置していたのは不可解だ。探せば見つけられる程度の能力をこの男は持っていたはずだ。

 それまでの秘密裏な行動に反し、機人戦争の前後から、あまりにも事を性急に進め過ぎている。

 万全を期すならば他に方法はあった筈だ。一歩間違えばレグナムの目論見は崩壊していた。そうまでして事を急いた理由はただひとつ――


 ――この男は焦ったのだ。


 子や弟子ではなく、おのれの代で、自身の力でトマスたちを超えたかったのだ。

 たとえ100年以上積み上げてきたものがご破算になる危険があったとしても、負けたくなかったのだ。

 その気持ちはトマスにも理解できた。トマスとて、レグナムが既に宇宙に上がっていたことに嫉妬や羨望を感じなかったわけではない。

 シモンのように次代にバトンを渡せる自信もない。一歩間違えれば第二のレグナムになっていただろう。


 だが、レグナムの浅慮のために機人戦争が勃発し、多くの犠牲が生まれたこともまた事実だ。

 トマスも多くの仲間を喪った。

 断じて許せることではない。突きつけた銃を引くことはできない。落とし前をつけさせなければならない。

 それでも――それでも、だ。


「……アンタはすげえよ。俺が此処にいるのは、アンタの後をガキみたいに追いかけたからだ」


 それでも、同じ夢を抱いた男をトマスは認めずにはおられなかった。

 レグナムは驚いたように目を瞠り、ほんの僅かに口元を綻ばせた。


「クク、いい歳した男が気色悪いことを言うね」

「お互い様だ、骸骨野郎。……けどな」

「ああ、それでも――」


『――このソラは譲れない』


 向かい合う互いの距離は5メートル。その距離がこれ以上縮まることはない。

 ふたりはきっと限りなく似た者同士だ。噛み合う歯車がひとつ違えば友人にもなれただろう。

 しかし、ふたりの夢が重なり合うことはない。

 自由な空を求めた者と、己の空を求めた者がわかりあう日は訪れない。


「決着をつけよう」


 そう告げたのはどちらだったか。

 奇しくも、ふたりは同時に引き金を引いた。銃声が鳴り、互いに向けて弾丸が放たれる。

 その結果を見届ける前に、ふたりはさらに連続して引き金を引く。

 どちらも生身の自分の腕前の程はよく理解している。一発で当てられるなどという希望的観測は抱いていない。

 けたたましく銃声が続き、外れた弾丸が床と壁の間で跳ねる。


 そして、レグナムの五発目がトマスの左腕を撃ち抜いた。

 同時に、トマスの五発目がレグナムの左胸を撃ち抜いた。


 銃声が止み、艦橋に静寂が取り戻される。

 銃口からくゆる硝煙の向こうでレグナムの体がくずおれた。

 手から零れ落ちた銃が空しい音を立てて床を転がっていく。


「……僕の、負けか」

「ああ、俺の勝ちだ」


 レグナムはそうか、と小さく呟き、血にむせて咳き込んだ。


「トマス、マツァグ……」

「なんだ?」


 レグナムは答えず、震える指でメインモニターに映る宇宙の彼方を指し示した。

 言葉にされずとも、その先にある小さな光点が何なのか、トマスは理解した。

 遠く、小さな青い星。人類発祥の地――“地球(アース)”だ。


「絶対、辿りつけよ」

「ああ。アンタの分も俺が進むさ。――あばよ、兄弟」

「頼もしいね。……なら、これで、やっと――」

「……」


 トマスはトドメを刺す気も失せて、静かに銃を下ろした。

 血の気を喪っていくレグナムの顔にはもはや何もなかった。

 先祖代々受け継がれてきた“夢”(のろい)から解放された男には何も残っていなかった。

 ただ、ようやく肩の荷が下りたようなまっさらな表情のまま、眠るように目を閉じた。




「痛ッ……」


 撃たれた腕が思い出したようにじくじくと痛みだす。

 トマスは思わず顔を顰めた。出血は酷くはないが放っておくわけにもいかない。


『そこの壁に医療セットがあります。使ってください』

「セシル?」

『急いでください。あなたに死なれてはお父さまの夢を継ぐ者がいなくなってしまいます』

「随分割り切りがいいんだな」

『方舟を乗っ取った時点でこうなることも覚悟していましたので。ただ、わたしはともかく、お姉さまは――』


 空間ディスプレイに浮かぶセシルがさっと手を振ると、メインモニターに半壊した“ジャバウォック”が映し出された。

 デルフィに敗れたあと、どうにか機体を動かして方舟まで戻ってきたようだ。


『……セシル、レグナム様は?』

『お眠りになられました』

『そう……私は、間に合わなかったのね』


 繋がれた通信から漏れ聞こえるアリスの声にはどこか虚ろだった。

 不穏な気配を感じて、腕を治療しつつ、トマスは口を開く。


「まだやる気か、アリス? できればアンタを撃ちたくねえんだが」

『勝手ですね』

「決着はついた。これ以上、誰も死ぬことはねえだろ」

『……レグナム様のご遺体を引き渡していただけますか?』

「ああ。構わない」


 艦橋の重力を切り、気密扉を抜けてレグナムを“ジャバウォック”に渡す。

 コックピットにレグナムの遺体を納めたアリスは改めて通信モニターを繋いだ。


『セシル』

『はい、お姉さま』

『レグナム様に代わって最後の指示をだします。よくお聞きなさい』

『……はい』


 セシルは一瞬返事に詰まった。姉がどうする気なのか察しがついたのだ。


『トマス・マツァグに従い、地球へ帰還しなさい。レグナム様の想いを連れて行きなさい』


『お姉さま……』

『レグナム様はお疲れのようです。私も、疲れました』

『……了解、しました』


 セシルの中にアリスを止める言葉はなかった。誰よりも長く父の傍にいた姉がそうするのを止めることはできなかった。

 レグナムにひとつ誤算があるとすれば、アリスだろう。

 彼女は空を愛してはいなかった。ただ、空を目指す父に憧れていただけだ。

 それがおのれを道具と規定した者の限界だ。

 道具は使用者がいなければ動かない。これ以上、彼女には空を目指す理由がなかった。


『トマス・マツァグ。……レグナム様の認めた唯一人。ふたりの妹をよろしくお願いします』

「任された。できる限りのことをする」


 それ以上のことは何も確約できなかった。

 地球は決して近い場所ではないし、彼の星が今どうなっているかもわからないのだ。

 そもそも方舟も木星最古の飛空艇なのだ。いつ不具合がでてもおかしくない。

 不安だらけだ。

 それでも、トマスは進むと決めた。夢は共有できるのだと証明すると今、決めた。

 その決意はアリスにも伝わったようだった。モニターに映る表情が若干柔らかくなった。


『それで構いません。それでは、私は失礼します』

「……おう。その、達者でな」

『はい。セシルもさようなら。私の可愛い妹。旅の無事を祈ります』

『おさらばです、お姉さま』


 最後にアリスは淡い笑みを浮かべて妹に餞の言葉を送ると、名残惜しむように通信を切った。



 ◇



『――アリス』


 “ジャバウォック”は半ば漂うように宇宙を飛んでいた。

 その正面に両腕のない“デルフィ”がいた。マリーを載せて方舟に向かう途上だった。

 お互いぼろぼろなメタンダイバーに、アリスはどうしてか笑ってしまった。


「デルフィ、貴女の、いえ貴女たちの勝ちよ」

『……うん』


 アリスは通信機の向こうのデルフィを想像した。

 自分とよく似た顔立ちの少女。自分に勝利した未来ある妹の姿だ。


「デルフィ、私たちに宇宙のほんの隅っこをいただけないかしら?」

『アリス、宇宙は誰のものでもない』

「……ああ、そうだったわね」


 アリスは腕の中で穏やかに眠るレグナムの頬を撫でて、小さく息を吐いた。

 通信はそれで終わり、二機はすれ違うようにその場を後にした。

 “デルフィ”は方舟へと向かい、“ジャバウォック”は何処へと去っていく。


「そっか。宇宙はこんなに広かったのね」


 視界いっぱいに広がる満天の星々を眺めながらアリスは呟いた。

 くるくると踊るように機体を回転させながら移り変わる景色を目に納めていく。

 今ならどこにだって行けそうだった。

 そうして、ふたりを乗せた“ジャバウォック”は無限の星空の中に消えていった。



 ◇



『“デルフィ”の収容を確認。おふたりとも無事ですよ』

「そうか。よかった……」


 最大の懸念事項が片付いて、トマスは思わず床に座り込んでしまった。

 “中央遺跡(セントラル)”を飛び出してからずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたのだ。

 体力的にも限界だった。歳の割にはもった方だろう。

 だが、そんな男の様子を見て、セシルは僅かに眉を顰めた。


『トマス・マツァグ、はしたないですよ。せめて艦長席に座ってください』

「あ? あー、柄じゃねえんだがな」

『知りません。わたしも最大限お手伝いをしますが、貴方は甘やかしてはならないとマリーから学びましたし、厳しくいきますよ』

「お、おう」


 ふいっとそっぽを向くセシルになんとなく微笑ましいものを感じつつ、トマスは艦長席に腰かけた。

 メインモニターを一望できるその席にかつてどのような人物がついていたのか、少しだけ興味が湧いた。

 果たして、“最初の人々”はどんな気持ちで木星に来たのだろうか、と。

 希望を抱いていたのか、あるいは不安だったのか。

 地球に向かえば自分もそれを知ることができるのだろうか。


『マリーとデルフィももうすぐ此処に来ます。それで、このまま地球に向かいますか?』

「いや――」


 かぶりを振って思索を終えると、トマスは視線を遠くの地球から近くの惑星へと移した。

 橙色の縞模様の巨大な星――“木星”だ。


「ちっと忘れ物を思い出した」


 そう告げる男の顔には悪戯を思いついた子供のような笑みがあった。

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