十八
謎の突風はその場にいたすべての者を吹き散らした。
小雷らはもちろんのこと、爆砕の巨体も焔狗の縄張りを追い出され、どこともわからぬ緑深い山の中に落ちていた。
「クッッソがぁっ!!」
割れた頭を左右から押し込んで無理やり繋ぐ。しつこい雷がまだ脳味噌の中で鳴り続け、不愉快極まりなかった。
憤怒のままに飛び起き、腹いせに拳を振ると、一瞬で山肌が消えた。
「糞糞糞クッソクッソ! 小雷っ! 狗野郎っ! あとチョロチョロ邪魔な奴! 弱ぇくせにムカつきまくる!!」
このままではおかない。この身に逆らって存在できる者は、己以上の力を持った者でなければ決して認められない。
今のところ爆砕の中でかろうじて許容できているのは闇吞のみだ。ゆえにこそ、ある程度は協力もしてやっているのである。
地上の妖怪たちを今度こそ仕留めるべく、爆砕は虎の四つ足で駆け出した。
だが間もなく、そこへ鳥の羽音が降ってきた。
それが爆砕の怒り上がった肩に留まり、鳥から不健康そうな肌色の、周囲に黒い靄をまとう痩せた少年の姿に変化した。
「どこに行く気?」
爆砕は足を止め、急いで肩の上を振り払った。
それがまとう黒い毒の靄は、同じく地の底にいた爆砕とて触れれば無事では済まない。
「てめえ孕毒、なんの用だ」
煙のように宙に漂う少年は、紫色の唇をにぃと歪ませる。
「焔狗を仕留められなかったろ。それでもう一度殺しにいこうとしてるだろ。だがどこにいるかもわからず走ってる。だから僕が向かうべき先を教えてやるわけ。有用な助言だろ?」
「うるせえさっさと言いやがれ」
「闇吞のもとへ戻れ」
「ああ?」
「そこで奴らをまとめて片付ける。だが闇吞はもう少し休ませてやらないといけない。お前の助けが必要だ」
それを聞いた爆砕は、はっと嗤う。
「やっぱ雷野郎は爆砕様にまかせるべきだったんじゃねえか?」
「小雷に頭かち割られてる奴に言われてもね」
すぐに反撃され笑みが引っ込んだ。
爆砕の中で、またむくむくと憤怒が湧き上がる。
「んがぁぁーっ!!」
正面に拳を突き、その破壊の跡を駆け抜けてゆく。
「……やれやれ」
孕毒は呆れ半分で、あさっての方向へ去る仲間を連れ戻しにいった。
*
「……生きてるかー。小雷」
「ぐぎゅぅ……」
木の枝に引っかかっている攸の手からぶら下がり、小雷は虫の息で応えた。
全身に力が入らない。
体の中に溜めていた雷気は風に揉まれている間にほとんど失せてしまっている。
小雷らは、焔狗の縄張りから山を五つ越えた先まで飛ばされた。
まったくここが幽界のどの辺りであるか見当もつかない。
ともかくも、周囲に敵の気配がないことを確認し、攸は木から降りた。ぐったりしている小雷は男の懐でしばし休む。
「あの風はなんだったんだ? 敵の妖術って感じでもなさそうだったよな?」
「うん……なんか変なヤツがいた」
「どっかの妖怪が乱入してきたのか? 闇吞側の奴なのか、関係ないのか……」
少し考えてみたが、結局何も手がかりがないため、攸は諦めた。
「それより、さっきはすごかったな小雷。まるで雷来大王そのものだったぞ」
爆砕の脳天へ落とした雷のことを攸は言っている。
これまで男が見てきた弱虫妖怪の姿を思えば、こんな力を秘めていたのかと感嘆しているのだ。
しかし本物の力を知っている小雷からすれば、攸の賛辞は父への侮辱だ。
「爸はあんなもんじゃない。我にしてはよくやったけども、でも」
小雷はあまり浮かぬ顔で丸まってしまう。
自分で中途半端だと感じている。
たとえ嵐がこようと関係ない。きっと雷来ならばあの場で爆砕を仕留めきれた。
水璃の水気と焔狗の火気の後押しを受けてもなお、小雷にそれができなかったのは、土壇場でやはり怖くなってしまったせいだ。
何やら自分が別物に変容してしまう気がして、そのことがとてもまずいことのように思えてしまった。
しかし、その感覚を攸に説明する術を小雷は持ち合わせていなかったため、言葉は途切れた。
「――水璃のとこに戻るか」
攸は懐の小雷をひとなでし、山を下りた。
平野に辿り着くと大河が見えた。
川上も川下もどちらを向いても果てしない。この大河は複数の支流と繋がっており、実は人界にまで続いている。
とはいえ、川下りをしたとてすんなり人界へ入れるわけではない。途中には帝の結界がある。
雷来が人界と幽界の間の《門》を破ったものの、世界を隔てる境界自体が跡形もなく消えたわけではない。いわば雷来はねずみ穴を開けたようなものである。
人界で生まれた攸もその穴を通り幽界へやって来たのだった。
「上流に行けば水璃のところにそのうち着くか?」
誰にともなく呟き、攸は歩き始めた。
その間に小雷は少し眠ろうと思った。
大きな力を使った反動で、魂魄も肉体もくたびれてしまっている。
だが幽界は幼子にも甘くない。
不意に大河の穏やかな流れに乱れが生じ、川中から突然隆起した水が岸辺の攸らを絡めとった。
「っ、ぅがっ!?」
懐に潜っていた小雷は危うく溺れかけ慌てて攸の肩に上る。
だが水に捉えられて脱出はできない。
「なんだなんだなんだ!?」
うろたえている間に一気に大河を遡り、支流に入って最後は見覚えのある滝つぼの前に放り出された。
待っていたのは言わずもがな、水璃である。
ずぶ濡れで投げ出された一人と一匹を美しい顔が見下ろしていた。
「死ぬかと思った!!」
「わざわざ運んでやったのだから感謝なさい」
抗議する小雷を水璃は雑にあしらう。
すると死角から高笑いが聞こえた。
「死ななかったな小雷!」
滝つぼの飛沫のかからない岩の上に焔狗があぐらをかいていた。また顔だけ部分的に人に変じた姿で、大の男程度に小さくなっている。
「焔狗!」
小雷に黒い片手を挙げて応えた。
そしてよく見れば銀鮒も、水璃の背後に控えていた。
全員、無傷とはいかないまでも無事ではある。
焔狗は水璃の水気に多少背筋がぞわぞわしつつも、大人しくしている。
大妖が同じ空間にいるにもかかわらず安穏としている状況は珍しいどころか、幽界の常識からすれば異様なことだった。
それもこの緊急事態なればこそ、焔狗は自らここへ訪れ、水璃は受け入れたのである。
「これは……良さそうな兆候だな」
攸がこっそり言った。
この場は縄張りの王たる水璃が当然仕切る。
「お前たちの見たものは竜玉を通じて私も見ていたわ。始祖の災禍とやらの厄介さもよくわかった。あれは今のうちに潰しておくべきものだわ。ここにいる者はそのことを理解している少しは脳味噌のある奴と考えて良いわね?」
「ああ」
攸が真っ先に頷いた。小雷は尻尾をぴんと立てる。
「雷来を喰った奴を殺す遊びなら、俺もやる」
焔狗はにぃと牙を見せた。
「そんな愉しいことを水璃に譲るわけにいくまい。爆砕の奴も殺しきれておらんしな。だが俺とお前は相性が悪い」
「お前が、私に弱いのよ。小雷がいればお前は私の領域でも暴れられるでしょう」
「まあな。うははは、頼むぞ小雷」
「ぅえ?」
大妖二匹に何やらを期待されているらしい小雷は戸惑った。
結局、焔狗を水璃の子分にするという話はなく、まるで水璃は小雷たちに焔狗を助けさせ、ここで協力を取り付けることが狙いだったようだ。
「残りはあいつね」
水璃の視線が空へ向けられた。
すると、見計らったように突風が吹いた。
羽ばたきの音が聞こえ、小雷も弾けるように顔を上げる。
見えたのは、逆光に輝く翡翠色の羽。
胴体と頭は人間の子供の姿だが、腕は鳥の翼で足は鉤爪。
それがまっすぐ、小雷に向かって突っ込んできた。
「れえぇぇぇらぁぁあああいぃぃっ!!」




