第三章第一話(四)命の値段
ダイラトリーンの街では週一回交易所が立つ。
様々な船舶が来て賑わう。
今回は黒い大きなガレー船がやってきて特に大きな交易となっている。
ガレー船は三段の漕ぎ穴がある壮大なものだ。
ざっと見て数十人の漕ぎ手がいるのだろう。
しかし何故か漕ぎ手は上陸しない。
黒いガレー船からも何人か陸に上がる船員たちはいる。
皆一様に強烈な悪臭を漂わせている。
船員たちは何れも異様に大きい口をもち、蝦蟇のように見える。
頭は歪な形をしていて、それを隠すように大きなターバンを巻いている。
彼らは十分の一オンス金貨で様々なものを買い付けてゆく。
ラビナはガストを売りつけるつもりであるらしい。
地球猫はガレー船の匂いを嫌って近寄ろうとしない。
テオは酒場で歌っている。
交易所で金貨と言えば十分の一オンス金貨を指すルールとなっている。
金貨は十分の一オンス金貨以外にもいくつかサイズがある。
しかし、使い勝手が悪いので取引ではあまり使われない。
「このガスト、陽の下でも生きられる珍しいはぐれガストよ。
買わない?
まだまだ若くて元気だから役にたつわ」
ラビナは黒いガレー船の怪しげな船員に交渉を持ちかける。
ガストの右肩には傷が見えないように布を巻いてある。
「ほほう?」
船員の声は甲高くキーキーという音が混じって聞こえる。
船員はラビナを見る。
そして、ん? お前たちは、と小声で呟く。
しかしすぐにガストを値踏みするように見る。
「金貨一枚だな、おじょうちゃん」
船員は大きな口の端を吊り上げ、ラビナに言う。
ジュニアは船員に悍ましい雰囲気を感じる。
「冗談!
金貨五十枚以下では売らないわよ。
行きましょう」
ラビナはガストを曳きその場を離れようとする。
「おいおい、金貨五十枚はありえないだろう。
せいぜい金貨十五枚だぜ」
「何を言っているの?
これを捕獲するのにどれだけのお金がかかっていると思っているの?
金貨三十五枚以下では大赤字よ」
「でもなあ、おじょうちゃん。
このガスト元気無いぜ?
それに肩に傷がある。
散々こき使って死にそうになったから売り飛ばそうと思っているんだろう?
金貨二十だ。
それ以上なら他に行ってくれ」
「ガストが元気無いのはお兄さんが怖いからだと思うわ。
見てよこの毛艶、肉付き、綺麗なものでしょう?
金貨三十枚なら即決なんだけれど残念ね。
行きましょう」
「ああ、分かったよ、金貨二十二枚!」
交渉は煮詰まってゆく。
それに従いガストの震えは大きくなってゆく。
ジュニアは悟る。
このガストは人の言葉が分かる。
そして黒いガレー船に売られてゆくことに酷く怯えている。
この黒いガレー船は悍ましすぎる。
この船員たちは怪しすぎる。
「金貨二十六枚。
これ以上はまけられないわ」
「畜生、金貨二十五枚で勘弁してくれ!」
船員は悔しそうに吐き捨てるように言う。
ラビナが嬉しそうに口を開きかけた瞬間ジュニアは口を挟む。
「ラビナ、このガストは売らないで。
俺が金貨五十枚で買うよ」
ラビナはジュニアを見る。
船員はあっけにとられたようにジュニアを見る。
ラビナは、ふーん? いいけどちゃんと払ってよ? と呟く。
「待て、小僧。
商談中だぞ?」
船員は恫喝する。
「でも金貨五十は出せないでしょう?」
ラビナは船員に訊く。
その時ちょうど、船員に対して別の船員が遠くから声をかける。
「ああ、くそう。
小僧、顔を覚えたからな」
船員は捨て台詞を吐き、その場を離れる。
「どうかしたの?」
しばらくしてラビナは尋ねる。
「あの船員たちはどう見てもまともではない。
酷く禍々(まがまが)しい者たちだ」
「それは百も承知だけれど、お金に貴賤は無いわよ?」
「このガストは逃がす」
ジュニアはガストを摩りながら言う。
ガストはジュニアを見る。
「貴方が買ったのだから好きにすれば良いわ。
でも、はぐれガストがこの地で生きていけるかは分からないわよ?」
「生きていけるよな?」
ジュニアはガストに言う。
ガストは首を上下させる。
ジュニアとラビナはガストを連れてダイラトリーンの街の郊外に行き、ガストの轡と動きを制限していた枷紐を外す。
そしてガストの右肩のハンカチを外す。
ガストの右肩にあるラビナがつけた傷は未だ癒えていない。
ジュニアはキャリバッグから白いハンカチを出し、ガストの傷を覆う。
「行きな。
もう捕まるなよ」
ジュニアは促す。
ガストはターンとジャンプし、ジュニアたちから距離をとる。
そしてジュニアに向かって振り返る。
再度方向を変え、森に向かって消えてゆく。
「ガストに情けをかけてもなんの得にならないのだけれど」
ラビナは呟く。
でも、損得でやっているんじゃないんでしょうね、と付け加える。
「どうでも良いけど、金貨五十枚、どうやって返すつもり?」
ラビナは左手を腰にあて、顎を上げて訊く。
「テオの歌を売ろうと思う。
もう金貨十枚ほど貸してくれる?」
ラビナは怪訝な顔をする。
ジュニアは街の古道具屋、ゴミ捨て場を巡り材料を集める。
ジュニアはサプリメントロボットにデータを送る。
サプリメントロボットは手回し蓄音機を作る。
四角い箱にメガホンとハンドルが付いていて、ハンドルを回すと曲が流れる。
ジュニアはハンドルを回す。
テオのリュートと歌声がメガホンから流れる。
行き交う人々は足を止め、ジュニアの蓄音機に興味を示す。
流行りの吟遊詩人の曲だ。
ジュニアは一曲を演奏し終えると隣の蓄音機のハンドルを回す。
別の曲が流れる。
一つに一曲。
ジュニアはこれを一つ金貨一枚で売る。
売上の二割をテオに支払う約束だ。
「いいねぇ、おにいちゃん。
全部で何曲あるの?」
「五曲だよ。
色違いになっているからね。
好きな曲を選んでよ」
ジュニアは曲を奏でてゆく。
「じゃあ、これとこれをもらうよ」
普通の人間の船員と思しき客は二種類の蓄音機を一つずつ買う。
ジュニアは、まいど! と応じる。
ダイラトリーンの住人たちも船員たちもこぞってジュニアの蓄音機を買ってゆく。
サプリメントロボットが作るそばから売れてゆく。
「おい、にいちゃん」
屈むジュニアの上から甲高くキーキーという音が混じった声が聞こえる。
先ほどラビナが交渉していた黒いガレー船の船員だ。
「あ、お兄さんも一つどう?」
ジュニアは船員を見上げて笑顔を作る。
「ふざけるな!
さっきのはぐれガスト金貨二十五枚でよこせよ!」
船員は蛙のような顔を歪めてジュニアに迫る。
「お兄さん、さっきの交渉の席ならともかくもう終わった商談だよ?
諦め悪いねぇ」
ジュニア朗らかに明るく返す。
「まぁ、残念なお兄さんにはこれを無料でサービスするよ。
本当なら金貨一枚だよ?」
ジュニアは自分の後ろに置いてあった蓄音機を拾い上げ、怪しげな船員に笑いながら手渡す。
船員は訝しげな顔をしながら蓄音機を受け取る。
「ふん!」
船員は不満そうな顔をしながらも踵を返して立ち去る。
夕刻には交易所の手数料、テオの取り分、ラビナへの返済を除いても、かなりの金額を残すことができた。
ジュニアは三つほど売れ残った蓄音機とサプリメントロボットを抱える。
「さすがは商売人ね。
あっと言う間にお金を作ってしまうところは尊敬するわ」
ラビナはジュニアから金貨六十枚を受け取り、数えながら笑う。
それに、とラビナは続ける。
「怖いお兄さんのあしらいも大したものだわ。
あんな笑顔も作れるのね」
「見てたの?
まあ、こちとら商売人だから」
ジュニアは悪い笑顔でラビナに応じる。
「旅支度に足りるかい?」
ジュニアはやや草臥れた顔でラビナに訊く。
ラビナは、十分よ、と応じる。
「食料、水、マントに背負い袋、靴、その他もろもろ。
明日市場で調達ね。
今日はこの街で宿泊しましょう」




