第二章第三話(三)もっと素敵に
「取らないで欲しい。
返して欲しい」
エリーは小声で繰り返し呟く。
アムリタはエリーが痛々しくてなんとかしてやりたいと思う。
しかし理解できないでもいる。
アムリタが見るかぎりではエリーとジュニアはお互いを気遣い合い、尊重し合っている。
最初は夫婦であると思ったくらいだ。
それも印象としては老夫婦のものだ。
一方、その後のアムリタの観察ではお互いに遠慮しあっていることが判ってきた。
まあ、要するに兄と妹のような関係なのだろう、そうアムリタは理解するようになった。
しかし、今回の一件で再び判らなくなる。
なんなのだろう? この二人の関係は?
エリーがジュニアに依存しているのは何となく判っていた。
エリーからジュニアへの一方通行の想いがあるのもなんとなく判っていた。
しかしだ、一方通行とは言え、何でラビナの介入を許してしまうのだろう?
私にはジュニアしか居ない、とまで言うのならば何でジュニアを盗られないようにしないのだ?
そうすることができる絶好の位置関係にあったにも関わらずだ。
それがアムリタには理解できない。
そもそもエリーほどの器量があれば、男の子なんか選び放題だろうに。
おかあさんが唯一無二というのは理解できる。
しかし、十台後半の身空で、しかも片思いで相手の男の子が唯一無二と言い切るのもちょっとなんだかなぁ、と思わないでもない。
しかしアムリタはエリーに、そんなことは言わないし言えない。
アムリタはエリーを左側から抱きしめながら、うんうん、好きって難しいね、とそう囁く。
アムリタは困っている。
自分に恋愛相談は荷が重い。
しかも今のエリーにはすべてが地雷に思える。
「戯言として受け取って欲しいのだが……。
今の私はラビナに土下座して別れてくれと頼もうか、ラビナを力ずくでこの街から追い出そうか、そんなことを考える自分が居て怖いんだ」
エリーは本当に怖いことを言う。
アムリタは思う、なぜ相手はラビナなのだ、と。
詰め寄る相手が違うでしょう? 相手が。
それに重い、重すぎる!
「うん、追い詰められているということね?
心情は痛いほど判るわ。
でもどちらも良い手ではないわよ」
アムリタはできるだけ穏やかな笑顔を作り、応える。
エリーはアムリタの顔を見る。
アムリタが見るかぎりエリーは落ち着きを取り戻しつつある。
しかし、恋愛相談どうしようか、アムリタは困惑する。
自分の友人知人親戚で恋愛相談に長けていそうな人物が居ないか思い出そうとする。
そしてディナに思い至る。
ソナリ叔母さんの一人娘。
妖艶な美貌の三つ上の従姉。
アムリタの敬愛する姉貴分。
彼女ならどう言うだろう?
「なぜだか判るかしら?」
アムリタはディナの口調をまね、微笑みながらエリーに問う。
エリーは宙を見ながら考える。
「まぁ、そんなことをする女を好きになる男が居るわけがないからだな。
自分自身が嫌いになりそうだ」
エリーは自虐的に呟く。
「違うわ、もっと良い方法があるからよ。
エリーがもっともっと素敵になれば良いのよ。
エリーが素敵になれば、ジュニアは貴女を放っておかないわ。
それは他の誰かを好きになることだって良いし、心ときめく冒険の旅に出るのでも良いし」
アムリタはディナが乗り移ったように語る。
「エリーが素敵になってジュニアの前に立てば、ジュニアのほうから土下座して、今の男と別れて付き合ってくれ、と言ってくるわよ」
アムリタは言葉を続ける。
エリーはクルンと首を回し、アムリタを見つめる。
「ジュニアがそんなこと言うとは思えないが……。
それに、一人の男の心を欲するため他の男と恋愛するという貞操観念は私には理解できない……」
「な、何事も経験よ。
世界は広いのよ。
素敵な出会いが待っているかも知れないじゃない。
一人の男に縛られるなんて古いわ。
男に過去があるのなら女にも過去があって当たり前よ。
いいえ、過去が無い女なんて要するにお子様よ。
経験が少女を大人の女にするの。
貴女だって女の過去に異常に拘るような、料簡の狭い男は願い下げでしょう?」
アムリタは、ディナが言いそうな言葉を語る。
うん、いい感じだ。
それっぽい。
しかしアムリタの言葉にエリーは目を剥く。
「いや、ちょっと待ってくれ。
私は正にその料簡の狭い男の気持ちが痛いほど判るのだが。
あの定食屋の娘とジュニアは何をしていたのか、とか。
今だってラビナと二人きりで何しているんだとか、不安で不安でいても立ってもいられない――」
エリーはやや興奮気味にアムリタに食ってかかる。
アムリタはこのようなエリーを見るのは初めてであったので驚く。
しかしエリーはそんなアムリタから視線を外し、宙を見る。
「――そうか、私がお子様であることが問題なのだな……。
大人の恋愛は私にとって難しい。
しかし、素敵にになって取り戻すという考え方は嫌いじゃない。
大人にならなければならないというのも、多分そうなのだな……」
エリーは何かに得心したように呟く。
そしてアムリタを見る。
「アムリタは大人の恋愛を知っているのだな。
正直驚いた。
話を聞くかぎり男性は子供たちと父君、ご兄弟しか出てこないので、私同様耳年増の奥手なのかと思っていた。
済まない。
見くびっていた。
アムリタは大人だな。
やはり相手は大人の男性なのか?」
エリーは真顔で訊く。
グウゥッ、そういう音が出かかるのをアムリタは必死で飲み込む。
そして必死に微笑みを作る。
笑え、アムリタ、笑うのだ。
アムリタは自分を励ます。
苦しいときでも、何時だって笑ってきたではないか。
今の自分は上手に笑えているだろうか?
「いや、済まなかった。
心無いことを訊いてしまった。
そんな泣きそうな顔をしないで欲しい。
アムリタは二百年前から時を渡ってきたというのに。
そのことの意味を知っている積りだったのに……。
その思い人と君がいつか再会できることを願っている」
無言のアムリタを見て、エリーは勝手に反省をする。
アムリタは追及を逃れ、救われる。
「一敗地に塗れたからといってそれが何だ、ということだな。
戦いは望むかぎり続く。
勝つまで戦えば良い。
自分にとって唯一無二であるのならば、本当にそう思うのならば取り戻せと……」
エリーは決心したように言う。
「判った。
別の男云々というのは無理だが、旅のほうを考えてみよう。
どうせジュニア達は、後三週間は帰ってこない。
このまま悶々と過ごすよりは体を動かしたほうが良いだろう。
どこに行くのだ?」
エリーは訊く。
「超高層ピラミッド」
アムリタは右手を直角に曲げ、天井を指さし、サラリと応える。
エリーは考えるように首を傾ける。
エリーの長い素直な黒灰色の髪が傾けられた首に流れる。
「済まない。
意味が判らない。
何で素敵になるためにそんな危険な所に行く必要があるのだ?」
エリーは訊く。
アムリタにとって想定内の質問だ。
その答えは既に用意してある。
「私は最初から言っているでしょ?
震えるような冒険の旅がしたい、って」
アムリタは、先ほど作ることに失敗した笑顔を、今度は見事に作ってみせる。
「……震えるというのは寒さでの事なのか?」
エリーは納得いかないように呟く。




