第二章第二話(四)白銀の魔法使い
「凄腕の若い女性の医者なんてわくわくしますね。
怪我や病気は真平御免ですけれど、治療を受けなければならない場合は是非お願いしたいなぁ」
テオはエリフの話の女性という言葉と医者という部分にのみ反応する。
テオの中では若い女医像が作り上げられているのだろう。
「若いかどうかは判らない。
老婆かもしれない」
「お師匠は老人になるまで生きられないでしょう?
お師匠と同類であれば見た目はそこそこ若いはずですよ」
テオは上機嫌で希望的観測をあたかも確定事実であるかのように述べる。
「まあ、とにかく雪が降るまでに小屋を建てましょう。
今日は場所決めですね」
テオの言葉にエリフは、そうだね、と微笑みながら応える。
二人は湖畔からに山に入る。
小屋を建てる場所を探すのだ。
住む場所は人家から離れていて、水場に近すぎず遠すぎず、小屋の材料となる木々がある谷間が良い。
二人はレイズン湖に注ぐ小川を沢伝いに登る。
「この付近の木々は良さそうですね」
テオはログハウスの材料となる針葉樹を物色しながら歩く。
「北方の秋は魚も獣も鳥も脂が乗って旨いですよ、お師匠」
テオは嬉しそうに飛ぶ鳥を見ながら言う。
「木の実もたくさん、たくさーん採って備蓄しましょうね、――え!」
テオは異変に気付く。
エリフは沢の上を見る。
テオはエリフの荷物を受け取る。
そしてテオは元来た方向に後ずさりを始める。
沢の上方に紫色の煙が立ち込めている。
――ドスーン
引き続き鳴り響く爆音と地響き。
エリフは古きものが現れていることを感じる。
そして人の気配を感じる。
「誰かが襲われている。
私は助けに入るよ。
テオ、君は逃げなさい。
運が良ければホーネルンの街の酒場で会おう」
「了解です。
お師匠、できれば苦しまれず死なれますよう」
そう言ってテオは一目散に駆け出してゆく。
この逃げ足の速さがエリフと行動を共にしていながらテオをここまで生き延びさせている。
エリフは詠唱を行いながら左手で空中にいくつもの図形を描く。
図形は黒煙の中で銀色に発光する。
エリフは図形を地面に張り付けてゆく。
エリフの左手からも禍々(まがまが)しい黒い煙が発生する。
エリフは図形を空中にも置いてゆく。
エリフの通った後に黒い煙を発する銀色に発光するトンネルができてゆく。
エリフは沢を登る。
そこには黒っぽい赤紫の巨大な蚯蚓が何匹も絡み合っている化け物が紫色の煙を発しながらいる。
――バキィ、バキバキィ
蚯蚓の化け物は圧倒的な力で周囲の木々を薙ぎ倒し、地面を削りながらエリフとは反対方向に進む。
化け物の反対側には人の気配がする。
大きいことは大きい。
エリフはこの蚯蚓の化け物を見るのは初めてである。
しかしエリフの天敵である蛙の化け物に比べたら遥かに小さい。
エリフは左手を差し出し、詠唱を続ける。
エリフの左手が黒く染まる。
エリフは左手で幾つかの図形を描き、その図形を蚯蚓の化け物に投げつける。
図形は蚯蚓の化け物に当たって炸裂する。
たいしたダメージを与えられてはいない。
しかし数が多いからか蚯蚓の化け物は動きを止め、エリフのほうに向き直ったようだ。
よし来い、エリフは足を止め、左手で図形を描く。
エリフの詠唱に呼応するように図形は眩いばかりに輝きだす。
蚯蚓の化け物がエリフのほうに動きだす。
エリフは後ずさりをし、輝く球体と距離をとる。
再びエリフは左手で空中に図形を描き、詠唱とともに図形を輝く球体に投げ入れる。
輝く球体と蚯蚓の化け物が重なったところでエリーの図形が重なる。
光は収縮し、点となった瞬間、激しく炸裂し、蚯蚓の化け物の一部を破壊する。
しかしごく一部に過ぎない。
蚯蚓の化け物は大きくうねりながらエリフのほうに突進する。
エリフは黒い煙を発するトンネルの中に退く。
蚯蚓の化け物はエリフに襲いかかる。
その瞬間蚯蚓の化け物の下の地面が陥没し、蚯蚓の化け物はその中に落下する。
穴の周囲には禍々しいたくさんの牙があり、蚯蚓の化け物を咥えるように閉じる。
エリフは更に図形と詠唱を続け、地面を砕き、穴を土で埋めてゆく。
そして跪き、地面に左手を当てる。
地面は石化してゆき、固まる。
尚もエリフの詠唱は続く。
突然地面がエリフごと持ち上がる。
今エリフは空中に浮かぶ大きな岩の上にいる。
エリフは左手を差し出し、詠唱を続ける。
エリフの左手は殆ど真黒に染まり、禍々しい黒い煙に包まれる。
エリフは岩から飛び降りる。
岩の周囲に蚯蚓の触手が伸び、岩を砕く。
砕けた岩は蚯蚓の化け物の上に降り注ぐ。
触手の一本が落下するエリフの腰を叩く。
――ベキィ
激しい音がしてエリフの腰を砕かれる。
――ツゥ!
エリフは苦痛にもがきながら地面に落ちる。
もはやこれまでか。
エリフは尚も詠唱を続ける。
エリフの左半身が黒く染まる。
エリフは左手で複雑な図形を描き続ける。
蚯蚓の化け物の触手がエリフに迫る。
間に合う。
エリフは確信する。
触手がエリフの額を上から叩きつぶす直前エリフの術式は完成する。
エリフの半身はエリフの術式により爆裂し、それを代償に蚯蚓の化け物の半身は砕け散る。
しかし残る蚯蚓の化け物の半身は、エリフを叩きつぶす。
エリフの残る体は粉々に千切れ肉塊と化す。
蚯蚓の化け物は紫色の煙のなか存在が希薄となり、やがて消える。
「うわーん!
おかあさん!
おかあさーん!」
血塗れの地面に黒髪の少女が駆け寄り泣き叫ぶ。
少女の歳の頃、十歳程度に見える。
「おかあさん!
おかあさん!
うわーん!」
少女の絶叫は谷間にいつまでも続く。




