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黒灰色(こっかいしょく)の魔女と時の魔女  作者: 九曜双葉
第二章 第一話 夢で逢えたら ~When We Meet in My Dream~
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第二章第一話(一)ソニアの改心

 ――崩壊歴六百三十四年の五月十八日十五時


「私が間違っていたのね」


 ソニアはテーブルに上半身を投げ出すように伏せ、つぶやく。

 ソニアの真赤な豊かな量の髪がテーブルに広がる。

 ジュニアの道具屋、カウンター前のフロアにあるテーブルである。

 隣のテーブルの上にはジュニアのサプリメントロボットが仰向けに大の字になって転がっている。

 サプリメントロボットはピクリとも動かない。


「リミッターは必要だからあるのよ」


 ソニアの顔は青ざめていて見るからに具合が悪そうに見える。

 エリーがコトリとグラスに入った水をテーブルに置く。

 ソニアは、ありがとー、と言うが身動きはしない。

 エリーもいつも以上に顔が白く見える。


「あら、ソニー。

 リミッターは外すべきよ。

 貴女は正しいの。

 世の中、楽しいことだらけなんでしょう?

 全面的に同意だわ。

 まったく素晴すばらしい言葉よ。

 貴女はもっと自分の正しさに自信を持つべきよ」


 アムリタは説き伏せるようにソニアに言う。


「私は死を何度も覚悟したわ。

 何で私たちは未だ生きているの?

 なんであの速度で曲がれるの?

 どうして誰もかず、バギーも無事なのか判らない」


 アムリタがあまりにもしつこく乞うのでリミッターを外した状態のバギーの運転をアムリタに任せた。

 自分は助手席に座る。

 そこからアムリタの暴走が始まる。


 アムリタはソニアの常識をはるかに超える速度でコーナーに突っ込んでいく。

 ソニアは何度も横転することを覚悟した。

 しかし不思議とバギーは曲がっていく。


 アムリタは速度を落とさない。

 ソニアがとれだけお願いしても、どれだけ叫んでも、アムリタは怪しい笑みを顔に張り付かせてハンドルを離さない。


 ソニアは自分が恐怖に強いと思っていた。

 マリアや叔父のヨシュア、彼らの従姉妹いとこのリリィといった熟練者たちの飛空機の操縦はかなり乱暴だ。

 しかし彼らの超絶技巧に近い曲芸飛行に同乗しても騒いだことはなかった。

 ジャックの稚拙な運転でも余計な口を挟まず、堂々と隣に座っていることができていた。


 しかしソニアは思い至る。

 彼らがどれだけ乱暴な操縦であったとしても、ソニアの予想の範囲での技能であった。

 上手ければ上手いほど安全に対して細心の注意を払うものだ。

 特に他人を乗せている場合、百回やって百回成功することしかやらない。

 だから技能や技術に驚くことはあっても効果は予想できる。

 理解できる。

 だから怖くない。


 しかし、アムリタの運転はソニアの予想を裏切り続ける。

 一度も失敗はしていないが、絶対に偶然成功したとしか思えないアクロバティックな運転のオンパレードである。


 なんでアムリタはあんなにも片輪走行が好きなのだろう?

 完全に大岩にぶつかると思った瞬間、ハンドルさばきによる重心移動でヒョイッと片輪を浮かせ、岩を避ける。

 崖際のコーナーで明らかにオーバースピードだろうと思うと、内輪を浮かせて曲がりきってしまう。


 そのたびにソニアの三半規管はあり得ない方向に揺らされ、精神は恐怖により無造作に削られてゆく。

 特に急ぐ理由も無い旅路で、なんであんな命がけの危険な車に同乗せねばならないのか?

 平常心ではいられない。


 ソニアは生まれて初めての乗り物酔いに苦しんでいる。

 死を覚悟した光景のフラッシュバックに苦しんでいる。


大袈裟おおげさねぇ、ソニーたら。

 ちゃんと一度も事故を起こさずに帰ってこれたじゃない。

 そりゃぁ、私の運転は未熟だとは思うわよ?

 怖い思いをさせたかもしれない。

 でも明日の私はもっともっと上手になるわ。

 明日の私を未来進行形で信じて欲しいわ」


「あの曲芸に更なるみがきをかけるわけ?

 無いから。

 アムリタ、貴女が大した人であることは嫌と言うほど理解したわ。

 でもね、もう無理なの」


 ソニアはテーブルに伏せたままうなるように言う。

 エリーも無言でうなずく。

 アムリタはソニアの前の席に座り、両肘をテーブルにつき、両手の指を交差させ、その上にあごを載せてソニアの伏せる横顔をのぞき込む。


「困るなぁ、ソニーには飛空機の操縦も教えてもらわなくちゃならないのに」


「飛空機?

 ジュニアが教えてくれるよ。

 きっと」


 ソニアはどうでもよさそうにつぶやく。


「うん、ジュニアには教えてもらうんだけれど、その、やっぱり飛空機にもリミッターは付いているのかしら?

 付いているのならば、それの外し方をこっそり教えてもらいたいのだけれど……」


「リミッター?

 無いよ!

 絶対に無いから!」


 ソニアは上半身を起こし、強い語調で否定する。

 アムリタは、あるのね、とつぶやく。


「もしかして、バギーのリミッターの外し方と同じなのかしら?」


「違うから!

 全然違うから!」


 ソニアは全身で否定する。

 アムリタは、おんなじなのね、とつぶやく。


 ソニアは段々(だんだん)アムリタが判ってくる。

 この娘は危うい。

 判っていないようで、実際判っていないのだが、一部で鋭い。

 鋭すぎる。

 少ない情報で正解に辿たどり着いてしまう。


 バギーの運転もそうだ。

 初めて運転するとは思えないような順応である。

 人間を載せている前提がなければ、アムリタの運転は最速なものだろう。

 自分が運転技術をひけらかしたのが悪かったのだ。

 ソニアはそう思い至る。

 いずれにしろ只者ただものではない。

 危険人物だ。

 要注意人物だ。


「アムリタ、私が言うのもなんだけれど、やはり同乗者に不安を与えないことを最優先に考える必要があると思うんだ。

 無用な技術自慢、スピード自慢はやはり間違っているよ――」


 ソニアが言葉を選びながらアムリタに運転のなんたるかを説き始めたとき、カラン、という音がし、店のドアが開く。


「ソニアがそんなことを言うなんて、アムリタと組ませたのは意外と正解なのかもしれないね」


 ドアから入ってきたのはジュニアである。


「あ、ジュニア、お帰んなさい」


 アムリタは笑顔で出迎える。

 エリーも、お帰りなさい、と出迎えキャリバッグを受け取る。


「ただいま。

 今回はハードだったね」


 ジュニアの顔は、皆の顔を見渡すべく動くが、ソニアで止まる。


「ソニア、君やりすぎ」


 ジュニアはテーブルに気だるげに座る妹に言う。


「許してよ、ジュニア。

 親の愛を確かめたかった愚かな妹を」


 ソニアは再びテーブルに伏せ、つぶやく。


「あれれ、本当にどうしたの?」


 ジュニアはやや不安そうにソニアを見る。


「マリアが、ジャックの右目の色が違うってプンスカ怒っていたよ」


「……あの人には判らないのよ、あれの難しさが……」


 ソニアは伏せたままつぶやく。

 ジュニアは、まぁ、ねぇ、と曖昧あいまいに応える。


「あれの難しさはジャックも俺も判っているって。

 ジャック、良く見えるって喜んでいたよ」


 ジュニアは妹をなぐさめるように言う。


「当たり前よ、誰が設計したと思っているのよ」


 ソニアは伏せた顔を心持ち浮かせてジュニアを上目遣いで見る。

 表情は多少(うれ)しそうに見える。

 うんうん、と言ってジュニアはソニアの頭をでる。


「てっきり暫くサンタマリア号に泊まるのかと思っていた」


 エリーはジュニアのサプリメントロボットが転がっているテーブルにお茶のカップを置く。


「ああ、ありがとう、エリー。

 久しぶりの二人だから気を利かせて戻ってあげたんだよ」


 ジュニアは疲れたような表情に辛うじて笑みを浮かべ応える。

 久しぶりの二人とはジャックとマリアの夫婦のことだろう。

 ジュニアは左手でカップを取り、右手で木偶でく人形のようなサプリメントロボットを持ち上げ振る。

 生きてる? というように。


「ジュニア、昼食は?

 何か作ろうか?」


 エリーがカウンターに戻りつつ訊く。


「ああ、ありがとう、エリー。

 昼はマリアたちと食べてきたよ。

 ここのところハード過ぎたので今日はあがらせてもらうよ。

 帰って寝たい」


 エリーは、そうか、と短く応える。

 アムリタはエリーの顔を見る。


「あれ?

 ジュニアはここに住んでいるわけではないの?」


 ソニアが頭だけを起こしてジュニアに訊く。


「うん、ソニアはここでエリーとアムリタと三人で住んでよ。

 女子寮みたいになってきたね、ここ。

 お風呂無いから、適当にリフォームしなよ。

 俺は近所から通いだ」


「判った。

 そのうちジュニアのとこ遊びに行くね」


 ソニアは青い顔で、ジュニアを上目遣いで見ながら言う。

 アムリタは、え? なになに? 私もいくわ、と追随する。


「俺の所は狭いうえに、危険な機材があるから人に来てもらいたくないんだけれどなぁ」


 ジュニアは不機嫌そうな顔で言う。


「なによ?

 女でも居るの?」


 ソニアはやや上体を起こしながら切り込んでくる。

 ジュニアは、居ないよ、そんなもの、とつぶやく。


「ジャックがお代として金塊をくれた」


 エリーはカウンターの上に金色に光る金属片を置く。

 アムリタとソニアの視線もその金属片に集まる。


「へぇ、ありの巣(じるし)の金のインゴットか。

 ジャックが代金を払うのは初めてだね。

 一キログラム?

 フォーナインって純金?

 このありの巣の刻印、聞いたことがないけど信じてもいいのかなぁ?

 ジャックの私製ブランドじゃないの?」


 ジュニアは胡散うさん臭いものをみる表情で金属片を右手で上下させる。


「まぁ、これは何れどこかで換金しよう。

 しばらく預かっておいてよ」


 そう言い、ジュニアはエリーの前に金属片を置く。

 エリーは、判った、といって空間に魔法陣を描く。

 するとそこに光の輪が現れた。

 エリーはその光の輪の中に金属片を入れる。

 エリーがサッと手を振ると光の輪が消える。


「いつ見ても便利な魔法ね」


 アムリタが感心するようにつぶやく。

 エリーは薄い微笑みで応える。


「じゃあ、俺は帰って寝るよ。

 後はよろしく。

 また明日ね。

 帰るなり寝られそうだ」


 ジュニアはあくびをしながらキャリバッグの中にサプリメントロボットをしまう。

 そして、ドアを出てゆく。

 ソニアは出てゆくジュニアのほうを見続ける。

 ゴロゴロゴロ……、とキャリバッグの車輪を転がす音が聞こえ、段々と小さくなりやがて聞こえなくなる。


「……怪しいな、ジュニアって女いるの?」


 ソニアはジュニアの気配が消えるのを待っていたかのようにアムリタとエリーに問いかける。

 アムリタは首を傾げエリーのほうに顔を向ける。

 ソニアもエリーの顔に視線を向ける。

 エリーは暫く二人の視線を無言で受けとめる。

 しかしソニアとアムリタが自分のほうから視線を動かさないため観念したようにうつむく。


「定食屋の娘と連れ添って歩いているところをたまに見かける。

 女かどうかは知らないが昵懇じっこんな仲ではあるようだ」


 そう言うエリーの声は消え入るように小さく弱々しく、顔はアムリタの運転のせいか何時いつも以上に白く見える。


「まあ!

 どこの定食屋かしら?

 ぜひご挨拶をしなければ」


 アムリタは真剣な顔でそうつぶやく。

 ソニアの顔は意地悪くゆがむ。


「そうだね、今晩はその定食屋で夕ご飯を食べようよ」


 ソニアの提案する声は必要以上に明るくひびく。

 ええ、是非そうしましょう、とアムリタはエリーの顔を伺いながら真面目な顔で応諾おうだくする。

 エリーの視線は右上の空中を泳ぐ。

 晴れた日の昼下がりのことであった。

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