第五章最終話(二十九)私が埋葬した彼
「アンシュは吟遊詩人の仕事だけをしていたほうがいいのにゃ。
もう冒険に出ようとは思っちゃ駄目なのにゃ。
命が幾つあっても足りないのにゃ」
階段の下から少女の険しい声が聞こえてくる。
地球猫の少女、サビの声だ。
「まあまあ猫さん、もう少しで地上に出られるから。
ほら、あれは一層の光だよ、ちゃんと帰って来られたじゃないか。
自分を褒めてあげたいくらいなんだけれどね」
男性、アンシュの呑気な口調も聞こえる。
サビが愚痴を言っている相手であろう。
サマサは驚きの顔で階段のほうを見つめる。
ウッドゴーレムは皆を腕に乗せたまま後ずさりをするように後退する。
「十日……、暗くて分からなかったけれど、多分十日近くも地下ダンジョンを彷徨ったのにゃ。
もう駄目だと思ったのにゃ」
「十日も経っていないよ。
地下層は時間の進みが早いだけで、一層の時間では多分半日も経っていないから」
「それが何の慰めになるのにゃ?
自分で自分の匂いが嫌になるのにゃ、早く海で体を洗いたいのにゃ。
アンシュだって髭で凄いことになっているのにゃ」
サビの愚痴をアンシュが宥めるのだが、サビの機嫌は直りそうにない。
二人の姿は全体的に薄汚れている。
顔は煤に塗れたように浅黒く、衣服も赤茶けている。
髪の毛は乱れ、アンシュに至っては真っ赤な不精髭が口元を覆っている。
アルンは、ヘークチッ、とくしゃみをする。
サマサは怯えた顔をアルンに見せる。
ウッドゴーレムは速い速度で階段から離れる。
そして壁の陰になり直接階段が見えない所で止まる。
サビのアンシュに対する愚痴に変化は見られない。
アルンのくしゃみに気付かなかったのだろう。
「なんだ? 知り合いじゃないのか?」
「ごめんなさい、黙っていてくれる?」
サマサは早い囁き声でアルンを制止する。
サビとアンシュは連れたってサマサたちを追うように歩いてくる。
ウッドゴーレムは相手から見えないように、距離を保って壁沿いを後退する。
「でもねぇ、ここ数日で何かがおきるはずだから……。
ここを離れるわけにもいかないんだよね。
僕はここに居るからさ、猫さん、君だけ海に降りてきなよ」
「にゃにゃにゃにゃ! アンシュを一人にできないのにゃ。
一人にすると多分死んでしまうのにゃ」
サビは難儀な選択に悶える。
「猫さんって、本当に面倒見の良い猫さんだねぇ」
口調はあくまでも優しく軽い。
「クシナラの街中は危ないから、とりあえず門の外に出ようね」
アンシュはあやすように言い、先導する。
サビは後ろを歩きながら頭上、アンシュ、足元と忙しなく視線を走らせる。
ウッドゴーレムは押し出されるように退く。
ついには柱を一周し、登り階段に戻る。
ウッドゴーレムは後ずさりをするように緩やかな螺旋階段を上ってゆく。
パールとシメントはサマサを見上げるが無言だ。
「でもさすがの僕でも、クシナラの下位層に行ったのは初めてだな。
地下三層? もっと下まで在りそうだよね。
あんなダンジョンになっているなんて多分誰も知らないんじゃ無いかな……」
アンシュたちは門に向かって歩いてゆく。
ウッドゴーレムはアンシュたちから見えない位置になるように階段を登り続ける。
もはやアンシュたちの会話は聞き取れない。
二人は門を開き、そして出てゆく。
門は閉じられ、二人は見えなくなる。
ウッドゴーレムは方向転換し、階段を早い速度で駆け上る。
「生きてる……、夢幻卿で生きているんだ!」
サマサは下を向き、両掌で顔を覆う。
声は涙声である。
シメントが慰めるようにサマサの頭を撫でる。
階段は岩盤を抜け、二層に抜ける。
二層には一層に比べ、多少荒廃が少ない。
しかしそれでも十分廃墟と言って良い街並みがある。
ウッドゴーレムは街中を走る。
そして街の縁に辿り着く。
そこからはクシナラの門の外を展望できる。
門から遠ざかるアンシュたちが見える。
アンシュたちは何やら会話しているようだ。
アンシュが何かを話し、サビが抗議する、そんな光景が見える。
アンシュはクシナラの街を振り返る。
ウッドゴーレムは身を屈める。
「聞いて良いか?」
アルンが小声を出す。
「な、何?」
サマサの声は怯えるように掠れている。
「あのアンシュって男は、お前さんが探していた仲間なんじゃないのか?」
サマサは傷ついたような顔でアルンを見返す。
「違う……、私はアンシュを探してなんかいなかった……。
だって……、だって……」
サマサは下を向く。
「私はアンシュの葬儀に参列したのよ……。
私たちはエンバーミング(遺体の保存処理)された彼の亡骸を埋葬したのよ……」
サマサの顔から涙がポタポタと落ちてゆく。
「現実世界で死んでいるのに、夢幻卿で生きている……?
そんなことがあり得るのか……?」
アルンは信じられない、というように門の外側、二人を見下ろす。
「分かんない……、何が何だか分かんない……、でも……、でもでも……。
あれはアンシュよ、あの口調はアンシュ……、成長しているけれど……。
大人になっているけれど……、あれはアンシュ、絶対ぜったい間違いない」
サマサの涙は止まることなく流れ続ける。
「会いに行かないのか?
仲間なんだろう?」
アルンはサマサに訊く。
サマサは嫌々をするように下を向いたまま首を横に振る。
「……なぜだ?」
「合わせる顔が無いから……」
サマサは顔を上げてアルンを見る。
目は泣きはらしたように真っ赤になっている。
「アンシュが死んだのは私のせいだから……」
溢れ出る涙が濡れている頬を更に濡らす。
「私がアンシュを殺してしまったようなものだから……」
サマサは顔をくしゃくしゃにして泣く。
アルンの目線は泳ぐ。
居た堪れない空気が周囲に漂う。
「あ、あれだな――」
「――あれ!」
アルンの言葉をパールの声がかき消す。
パールは小さな指で、左手後方、二層と三層の間の空間を指さしている。
そこには淡い銀色の光が靄がかった空間に浮かんでいる。
「何だあれ?」
シメントは叫んでしまってから慌てて口を塞ぐ。
慌ててアンシュたちのほうを覗うが、彼らも左方の異変に気付いたようでそっちを見ている。
ウッドゴーレムは皆を腕に乗せたまま、ゆっくりと後退しながら立ち上がる。
そして方向を変え、銀色の発光に向かって移動する。
ウッドゴーレムは発光に向いた二層の縁に立つ。
淡かった光は今では燦々と輝いている。
「あれは何だ?」
アルンはサマサに訊く。
「知らない、あんなのをここで見るのは初めてよ」
サマサは応える。
声は平静に聞こえる。
先ほどまでの泣きじゃくっていた声ではない。
「ここでではない所では見たことがある?」
「似たものなら……、でも……」
サマサは別の方向、右斜めの方向を指さす。
そこにも淡い銀色の光が浮き出ている。
「大きすぎるわ」
サマサは茫然と呟く。
「ゲートとしては大きすぎるということだな?」
アルンは確認するように訊く。
「そう……、あの二つが六芒星の頂点ならば次は……」
サマサは最初の光点に対し左斜め方向の空間を指さす。
何もない暗い空間だ。
しかしそこに鈍い光りが現れる。
「うわ、ホントだ」
シメントは徐々に増してゆく光を見て唸る。
「つまりは外からクシナラの空洞に向かって、ゲートが移動してきているわけか?」
アルンは確認する。
「おーい! ここだよう! ここに居るよう!」
右下から大きな声が聞こえる。
アンシュの声だ。
響きには歓喜の色が浮かんでいる。
待ち人を歓待するように。




