第五章最終話(二十三)蒲鉾(かまぼこ)
――崩壊歴六百三十四年七月十三日午後五時
「それにしても重力があると重くて運ぶの大変ね」
アムリタは額を前腕で拭いあげながら呟く。
場所は壊れていないほうのドーナッツ、居住区の一室だ。
室内は一気圧二十五度、七十九パーセントの窒素、二十一パーセントの酸素を基準に保たれている。
これに僅かな水蒸気が必要に応じて調整される。
二酸化炭素などの排ガスは取り除かれて循環する。
アムリタは室内作業着に着替えている。
分量の多い金髪は後ろで束ねられている。
エリーは宇宙服を着たままであるが、グローブは外している。
ヘルメットバイザーも開けたままだ。
「またソニアに怒られそうな発言を……」
エリーはソニアの首の後ろに手をあてがいながら苦笑する。
重いというのはソニアの体重のことだ。
アムリタはソニアを負ぶってこの居室まできた。
エリーは眠るソニアの宇宙服を脱がし、シェルタイプのコンパートメントカプセル内に寝かせつけた。
「ソニーは夢幻卿で元気にしているかしら?」
コンパートメントカプセル内の液体に横たわるソニアは見た目血色良く、単に眠っているだけのように見える。
「眠っているようね……。
良く分からないけれど悪夢に苛まれているような……。
身体的には多分問題無いと思う。
……唇がこころもちかさついているわね。
保湿クリームを塗っておきましょう」
エリーはチューブに入ったクリームをソニアの顔に塗り広げる。
ソニアの体は白衣を着せられ、液体で満たされた袋の中に居る。
首から上だけを袋から出し、寝かされている状態だ。
「充電率二十パーセント程度……、明日には満充電にできるわ。
シェルを閉めておけば宇宙空間に放り出されても数年は生命を維持できるはず」
エリーはコンパートメントカプセルのシェルを閉めながら言う。
「夢幻卿に行っていればの話よね?
起きた場合はどれだけ保つの?」
「起きたら一週間、保たないんじゃないかしら? お腹減るし……」
エリーはコンパートメントカプセルの計器を確認する。
計器が指し示すソニアのバイタルは異常に低い。
しかし夢幻郷に入っているものとしては正常の範囲であるらしい。
「ああ、確かに……、飢えて大変なことになるわね」
アムリタは怯えた顔でお腹を擦る。
「ソニアはこれで良いとして、次は我々の食糧ね」
エリーがそう言うのと前後して部屋の外、室内ハッチの向こう側かに賑やかな音がしてくる。
――シューッ
廊下側ハッチが開き、音が大きなものになる。
「荷物、持ってきたよ。
言われたとおり、食料と水を中心に」
ルークが現れる。
ルークはフィーと協力して通函を運んできたのだ。
「あらルーク、フィー、お疲れ様。
それにサポちゃんたちも」
ルークとフィーの後ろにはサポートロボットたちが続く。
それぞれが頭上に差し上げるように一つずつ通函を持っている。
アムリタは笑顔で出迎える。
「えーと、ここに種類ごとに積み上げるの。
向きに注意してね」
アムリタはルークから通函を受け取り、手本を示す。
通函は樹脂製で、引き出し付き二重構造になっている。
両サイド下にはフックが付いていて、積み上げた際に床や下の函と連結、固定できる。
サポートロボットたちは通函を四段に重ねてゆく。
アムリタは引き出しを引っ張り出し、中を確認してゆく。
「こっちは水牛のシチュー……、こっちはソーセージ。
あ! フィー、こっちがツナのオイル漬けよ、蒲鉾もあるわ。
冷たいままでも美味しいけれど、ここでなら温めなおしてもっと美味しく頂けるの」
アムリタは大量の宇宙食を嬉しそうに確認する。
「アムリタはここで給食責任者を仰せつかったのよね?」
エリーは茶化すように言う。
「そうそう、私はここで給食当番になるから! よろしくね!」
アムリタは笑顔で呼応する。
「そうなの?」
ルークは不思議そうに訊く。
「半分本当、給食当番だけじゃないけれどね。
ソニーが起きるまで、この居住区からは出ないから。
いつでも駆け付けられるようにするの。
君たちが仮眠するときも、近くに居るから安心して」
アムリタは、水牛のシチュー、とラベルされた宇宙食を握りしめながら微笑む。
仮眠室は隣接した区画に並ぶ小部屋だ。
「そういえばそろそろフィーの仮眠時間じゃない?」
エリーは宇宙服のグローブを装着しながら思い出すように言う。
空中庭園への近接からフィーとルークの仮眠時間がズレてきている。
フィーの仮眠時間は短く、活動時間が長いのだ。
「僕は別に……」
フィーが何か言いかけるのをエリーが止める。
「仮眠は取れるうちに取るべきよ。
いざというときに冷静に判断するために、しっかり仮眠をとる訓練が必要よ」
エリーが落ち着いた口調で説く。
「そうそう、エリーの言うとおりよ。
トラブルが発生すると仮眠どころじゃなくなるから。
私が寝床の準備、手伝ってあげるわ」
アムリタは後ろからフィーの肩に両手を添える。
フィーは首を捻り、チラリとアムリタを見上げる。
「分かった、寝るよ」
フィーは観念したように呟やく。
「少し長めに仮眠とってよ。
僕は早起きするようにするから、徐々に時間、合わせようよ」
ルークがフィーを元気付けるように言う。
フィーは、分かった、と応じる。
「次はジュニアたちの手伝い?」
ルークは宇宙服の確認をしているエリーに訊く。
「ええ、そうよ。
でもあっちは危険だから、ルーク、君はここで待機していて」
エリーが腰を曲げルークに目線を合わせて諭すように言う。
「え? 行くよ、その為に来たんだから。
ドアの開閉やスライドワイヤーの付け替え、猫の手でも借りたいんでしょう?
大丈夫、猫よりはちゃんとした仕事するよ」
ルークはやや語気を強める。
「ん? いや猫と比較する積りは無いのだけれど……」
エリーは助けを求めるようにアムリタの顔を見る。
「手助けが多いほうが良いっていうのは確かにそうだと思うわ。
それに……」
アムリタはフィーを見る。
フィーはアムリタを見ずに俯く。
「……まあ、大丈夫だと思うのよね」
アムリタは微妙な笑みを浮かべる。
「ん? まあ、アムリタがそういうのなら……、じゃ、一緒に行きましょう。
バイザーを閉めて……、徐々に減圧させながら酸素濃度を高めていくわ」
エリーはルークにレクチャーしながら部屋を退出する。
「フィーはこっちよ」
アムリタはフィーを彼女の居室に誘う。
居室に入り、アムリタは壁のスイッチを幾つか操作する。
明かりが灯り、天井のスピーカーからノイズが聞こえる。
『ザザザッ、……ルークも来るの? 了解、待っている。
滑落に気を付けてね』
ジュニアの声が聞こえる。
オープン回線を傍受しているのだ。
居室は小さいが、ベッドとスチールの机、椅子がある。
奥にはトイレを兼ねたシャワールームもある。
アムリタとフィーは無言で天井を見上げる。
『了解、五十分後には合流できるわ。
そちらも気を付けて』
『了解』
ジュニアとエリーの交信が終わる。
「これで良いの?」
アムリタは誰へともなしに呟く。
フィーの返答は聞こえない。
「遅かれ早かれではあるのだけれど……。
まあ、全力でフォローはするから、皆のこと守ってあげてね」
アムリタは並ぶフィーの右肩に手をまわし、優しく引き寄せる。
フィーはこくりと頷く。
「……蒲鉾、食べてみる?」
フィーは再度こくりと頷く。




