第五章最終話(八)ラストオーダー
――崩壊歴六百三十四年七月八日午後十時十分
「あれ? 今日はもう閉店か?」
アルンがサマサに声をかける。
サマサの定食屋の前だ。
サマサが店の営業中を示す小さな看板を外したところにアルンが来たのだ。
「あ……れ? こんな時間に貴方が来るなんて珍しいわね」
サマサは暗い金髪に白い布の頭巾を被っている。
サマサは看板の裏に何かを隠す。
アルンはほぼ毎日サマサの務める定食屋に通っている。
しかしこの時間に来たことはない。
アルンは夜通し酒場で働いている。
だから定食屋が開く昼時か仕事に行く前の夕方か、いずれかになるのだ。
「大丈夫よ、お勧め定食とエールくらいなら未だ出せるわ」
サマサは微笑みながらドアを開け、どうぞ、というように店の中へと掌で誘導する。
「なんか悪いな。
だがここが閉まっていたら結構ピンチだった」
アルンは済まなさそうに店に入る。
「お勧め定食で良いのよね?
エールは?」
サマサは外した看板を店の入り口近くのテーブルに無造作に置く。
下から紙が見えている。
サマサは通りに面した窓のカーテンを閉めてゆく。
店外からは既に閉店しているように見えるだろう。
「今日はいい。
長居はしない……。
厨房の人に謝っておいてくれ」
アルンは奥の席に座る。
「厨房の人って言っても……」
サマサは曖昧な表情を浮かべながら厨房に向かう。
さしてかからず、サマサはお盆にお茶のグラスを二つと豆の入った皿を載せて戻ってくる。
「はい、これサービス。
今日は蒸して暑いわよね」
お茶には氷が入っている。
夜だというのに気温は暑く、湿度は高い。
「これ一緒に食べましょう。
ひよこ豆、茹でて塩胡椒を振っただけのものだけれど」
「重ねがさね、悪いな」
アルンはグラスを受け取り飲む。
「ピンチって言っても、職場は酒場でしょう?
客として行っても格安で料理を出してくれるんじゃないの?」
サマサはアルンに対面して座り、グラスを持つ。
「それはそうだが、休暇を取っている手前、店に行くのは少々気恥しい」
「あはは、そうなんだ? それは確かに気まずいわね。
休暇でここに来るくらいなら働けよ、って言われそう」
サマサはコロコロと笑う。
頭巾から暗い金髪が楽しげに揺れる。
「でも別に週二で休みを取っても良いんじゃないの?
あの店、定休日が無いから自分で休暇シフト取らないとエンドレスよね?
最近ではそれほど稼ぐ必要もないんでしょ?」
「まあそうだな。
だが、この店も週一でしか休みが無いだろう?
人のこと、言えないんじゃないか?」
アルンは苦笑しながら返す。
「うん……、それなんだけれど……」
サマサは何か言いかける。
アルンは怪訝な顔でサマサの言葉を待つ。
サマサは何も言わず立ち上がり、厨房に引っ込む。
アルンはひよこ豆を摘み、口に入れる。
暫く後、サマサは料理をお盆に乗せて帰ってくる。
「お待たせ、今日のお勧め定食はポークソテーの甘酢ソースと茸のスープ、それにサラダよ」
サマサはアルンの前に料理を配膳する。
料理は全体的に大盛だ。
いつもは一つであるパンが三つある。
バターもいつもより多い。
「有難う、なんか豪勢だな」
アルンは驚いた顔で言う
「まあね」
サマサは入り口近くのテーブルに行き、紙を取る。
そしてアルンに見せる。
「実は夏休みを頂こうと思ってね」
紙には一週間ほど閉店する旨の記載がある。
「余った食材をどうしようか悩んでいたところだったのよ。
貴方はラッキーよ、同じ値段で増量中」
サマサは笑う。
なるほど、とアルンはポークソテーをナイフで切り、口に運ぶ。
「帰省するのか?」
「ん……、ううん、人探しをしようかなと」
サマサは曖昧な笑顔を作る。
アルンはそれ以上追及しない。
「貴方のほうは?
宇宙には行かないんでしょう?」
「ああ……、少しラビナの様子を見てこようと思う」
「面倒見が良いのね。
ジュニアたちと一緒に宇宙に行ったほうが楽しかったのではなくて?」
サマサの目は笑っている。
「そうは言っても夢幻郷が気になるからな」
アルンの声には覇気が無い。
「目的地に着くだけでも数日かかるんでしょう? ジュニアが言っていたわ。
だったらその間に夢幻郷に潜っていたら良かったんじゃなくて?
それに宇宙に行っても夢幻郷に行けないわけでもないんでしょう?」
サマサの言葉にアルンは絶句する。
「言われてみれば確かに……。
あ、いや……、俺が宇宙で何ができるわけでもないからな……」
「だからこそ、自由に夢幻郷に行けるから返っていいじゃない」
サマサはひよこ豆を啄む。
「お前頭いいな……、ひょっとして俺は大きなチャンスを棒に振ったのか?」
「あはは、そうかもね。
そうそう宇宙に行くチャンスなんてないと思うわよ」
サマサは両手を腰に当て、胸を張る。
「おまえが誘われたら行っていたか?」
アルンは訊く。
「私を宇宙に誘うとは思えないけれど……、でも誘われたとしても行ってないでしょうね」
サマサはアルンの目を見たまま応える。
「なぜ?」
アルンは訊く。
サマサは暫し考えるように間を取る。
「私はあの三人の娘たちが苦手なのよ」
サマサは頬杖をついて笑う。
「そんな理由? 意外だな、そんなことを気にするタイプには見えないが……」
「あはは、私という人間を理解して頂いている? それは有難う。
でも人には得手不得手があるのよ」
「ふうん? 確かに三人とも強烈だが悪意は感じられないぞ。
むしろ俺なんかよりも道徳的な生き方をしているように見える」
アルンはそう言いながらも料理を口に運ぶ。
「勘違いしないで、あの娘たちに問題があるわけじゃないの。
問題があるのは私のほう」
「なるほど……」
アルンは納得するように頷く。
「多分貴方が想像している理由とは違うのだけれどね……」
サマサはひよこ豆を咀嚼しながら呟く。
「……? すまん、あんまりこの話を引っ張るつもりは無かったんだが……。
訊いて欲しいということか?
三人が苦手っていう意味ではなく、エリーが苦手ってことだよな?」
「あらら……、ご名答。
でもその理由は貴方が想像するのと違うわよ、という意味。
ごめんなさい、意味ありげに言ってしまったけれど、これ以上突っ込んで訊いて欲しいわけじゃないの」
サマサは両掌を合わせ、笑う。
「ああ悪かった。
誰にも言わないし、これ以上訊かない」
アルンはあらかた食べ終わっている。
「夢幻郷にはいつ頃行くの?」
サマサは話題を変えるように訊く。
「ん……? 決めてはいないが、今夜かな?」
「ふーん……、気を付けて。
来週には店、再開するので御贔屓にね」
サマサは最後に残ったひよこ豆を口に放り込む。
アルンの皿も空になっている。
アルンはグラスを飲み干し、ご馳走さま、と言う。
「今日は助かった、有難う。
来週、また来るよ」
アルンは勘定を支払い、店をでる。
サマサはアルンを見送る。
アルンが見えなくなり、サマサは食器を厨房に運ぶ。
厨房には木でできた人間大の人形が直立している。
自動人形だ。
自動人形はサマサから食器を受け取り、シンクに運ぶ。
食器は自動人形により洗浄され、拭かれた後に食器棚に戻される。
「今夜か……、鬼の居ぬ間に洗濯を、と思ったけれど。
鉢合わせは避けたいわよね」
サマサは被っている頭巾を外す。
暗い金髪が広がる。
「今日は寝て、朝まで待ったほうが良さそうね」
サマサは独り言ちる。




