第五章第三話(十四)きみを見守っていたいんだ
――エリフ、変りは無い?
――僕は相変わらず元気だよ
――恒星船の軌道修正も完璧
――くどいようだけれど、マリアの画像、よろしくね
アウラは恒星船の中、送信する通信内容を推敲しているのだ。
準ミリ波を送受信する超指向性アンテナは地球、真直ぐ進行方向を向いている。
恒星船は依然として亜光速と言って良い速度で航行している。
とは言え速度はかなり落ちた。
恒星船の中の時間で更に一年が経過した。
アウラは十六歳になっている。
アウラはこの一年間、誰とも会話していない。
アウラがインターフェースをベットしてしまったからだ。
賭けの結果、バックスは失われたらしい。
その後のことはアウラは知らない。
でも多分、自分の分身がうまいことやってくれているだろう、そう信じている。
アウラは想像し得るすべての対策をたてて『副官アウラ』に託した。
第一優先はマリアの生存。
マリアの行動のすべてにバックアップを用意する。
マリアの第一優先はきょうだいたちなのだろう。
だからマリアを生かせれば、他の二人も生き残るはず。
アウラは根拠なくそう信じることにした。
――エリフ、本当のことを教えて欲しいんだ
――マリアが、ヨシュアとリリィが今どうしているかってことを
アウラは切なる思いを通信文に記す。
すでに一年前からお願いし続けていることだ。
アウラは通信文を書くものの送信できずにいる。
書いていることは今までの繰り返しであるからだ。
恒星船から発射されたアウラの一年前の通信は、地球時間の五年をかけてやっと地球に届く計算だ。
同じく、五年前に発射された地球からの通信は、恒星船の時間の一年をかけて、もうすぐ届くだろう。
アウラのリクエストがエリフによって今叶えられたとしても、届くのは更に半年待たなくてはならない。
そろそろ書くこともあまりない。
自分の無事を知らせる以外にあまり意味がないとも思っている。
それでもアウラはエリフからの最初の通信を待ちわびている。
「僕はマリアの切り札になれたのかな?」
アウラが知りたい最も重要なことだ。
アウラはマリアのことを考え続ける。
マリアとの交信を思い出に刻む。
夜、泣きながら湖岸に座るマリアを守りたいと思った。
まじめな顔をして手旗信号を送るマリアが可愛いと思い動画にして送ってもらった。
粗く小さな映像のアニメーション。
今でも繰り返し見る映像の一つだ。
話をしていて、気遣いができ、賢く強い子だと思った。
プロフィールを聞かれ、返答に困った。
皇帝のカードゲームに擬えて応えたのに、ナチュラルに合わせてくれた。
あの日、アウラは決断した。
切り札すべてを切ってでもマリアを守ると。
最悪二体のロボットを失ってでも。
――アウラって偽名?
――光背、後光、霊光、本名じゃないわよね?
――本名はなんて言うの?
アウラという名前はどうも一般的ではないらしい。
エリフはアウラに気を使う。
アウラはエリフが必ずしも本当のことを言わないことに気付いている。
だから本当のことを知るのにかなりの努力が必要だった。
(自分の名前がどのような意味であるかなんて気にしたことがなかった)
マリアの感想は、おそらく素直なものなのだろう。
同じ綴でオーラと発音する言葉がある。
光背、後光、霊光。
母は『光の子』という意味で名付けたという。
語源は同じだ。
アウラはどれも自分には過分なものに思える。
(僕には光の力なんかない。
特別な力なんて持っていないんだ)
最初、アウラは食料と資材だけを対岸に渡し、湖を迂回する選択を考えていた。
簡単な迂回路は無く、数日かかるものばかりではあった。
しかし問題を先送りにできる。
湖がいつまで保つか分からない。
湖付近は危険だ。
だからできるだけ早く離れるべきだろう、そう考えていた。
しかしマリアは湖を渡る決断をした。
ハイリスクではあるがそれでも良い。
何が正解であるかなんて分からない。
なら自らが選んだ選択肢に賭けるべきだ。
方針が決まった。
後は全力でサポートする。
万全を期してバックアップする。
天候のこともあり急がなければならない。
決行は明日早朝。
恒星船の時間では僅かしかない。
アウラは母、パイパイ・アスラへの手紙を出す。
『副官アウラ』にすべての計画を伝える。
『乳母サリー』にエリフへの伝言を託す。
エリフには『アウラ』が風の谷の人工知能であることにしてもらう。
『乳母サリー』はそんなアウラを寂しそうに見守る。
アウラは次の日の現場を知らない。
状況が分からないまま連絡は途絶えている。
『バックス』をマリアたちのバックアップに使う必要があったからだ。
「僕の想像力はマリアを無事、対岸に届けることができたかな」
アウラは気がかりだ。
バックスを失うシナリオはそんなには無い。
何れにしろ酷い状況になったことを意味する。
それでもアウラは信じる。
マリアが生き残っていることを。
――ザザー……ザッザッ、ピギャーッ……、プルプルプル……
準ミリ波通信機がキャリア信号を検知する。
微弱な信号。
それでも今まで灯らなかった検波ランプが断続的に光る。
「来た! 地球からかな?
地球からだといいな!」
アウラは叫ぶ。
超指向性アンテナで受信する電波。
地球との数光年に及ぶ距離。
それを克服するためにエリフは高ノイズ耐性の変調方式を採用している。
本文の数倍に及ぶ誤り訂正符号の挿入。
そのうえで単位時間で同じ信号が連送されている。
欠けた信号は冗長性により補完され、ノイズフロアに埋もれた信号をも浮き上がらせる。
――エリフよりアウラへ
――これが最初の通信だよ
――私は今、大きな通信機を完成させてこの通信を行っている
――私は君に謝らなくてはならない
――私が風の谷を留守している間に、マリアたちを大変なめに合わせてしまった
――私は君に感謝している
――マリアもヨシュアも、リリィも無事だ
――君の貢献により、三人は生還した
(マリアたちは生きている)
アウラは胸が熱くなる。
頬に涙が流れる。
――フォワードが撮ったマリアたちの写真を送る
――小さな画像だけれど、ぜひ君に見てもらいたい
――空いた時間に大きめの画像も送ることにしよう
バックグラウンドで受信した画像が表示される。
縦九十二ピクセル、横百二十八ピクセル、緑と赤は三ビット、青のみ二ビット深度の粗い画像。
それでも何が映っているのかはっきりと分かる。
そこにはリリィを抱くマリア、傍らに立つヨシュア、その後ろに中腰で屈むエリフが映っている。
マリアは微笑み、手のひらをこちらに翳している。
(良かった……、本当に良かった……)
アウラはあの日の選択に疑問を持ち続けていた。
自分の選択が本当にマリアたちを救うのか、確信を持てずにいた。
しかし、最終バックアップである『バックス』はマリアを救えていたのだ。
(報われた……、僕はマリアの副官を勤め上げることができたんだ。
僕はマリアの副官、ハートのジャックになれたんだ)
『フォワード』だけでは三人を救えない。
ならどうするか?
簡単だ。
『バックス』を『フォワード』と連携させ、『フォワード』がフォローできない部分をバックアップさせればいい。
しかしそうすると『バックス』が担っていたアウラとの通信インターフェースがなくなる。
アウラは直接指示を出すことができなくなる。
それでも『副官アウラ』を作成し、作戦をすべて移譲する。
アウラは現場からのフィードバックを失う。
――目隠しチェスは相当の熟練者でも難しいんだよ?
アウラは想像した。
危険のすべてを想像し尽くした。
そしてマリアたちを救うことができたのだ。
(よかった……)
アウラは書きかけの通信文をすべて消す。
そして地球に向けて送信を始める。
――アウラからエリフへ、今エリフからの通信を読んだよ
――再びエリフと交信することができて、とても嬉しい
――例え、それが年単位の遅延がある交信であったとしても
――マリアの画像、有難う
――マリアが無事で良かった
――マリアがきょうだいたちを守れていて、本当に良かった
――でもね、こんなものでは全然満足できないよ
――もっともっとマリアの画像を送って欲しい
――マリアがどうしているか教えて欲しいんだ
――マリアのことを見守っていたいんだ
――ねえエリフ、僕は名前を変えようと思う
――新しい名前はジャックだよ
――おかあさんには内緒だよ
――でもね、僕は光の子ではなく、最強の切り札になるんだ
――マリアやエリフ、大切な人たちを守る切り札に
亜光速で飛ぶ恒星船の中、アウラはいつまでも送信し続ける。
アウラの心は晴れやかであった。
第五章 第三話 ずっときみを見守っていたんだ 了
続 第五章 最終話 空中庭園の迷子




