第一章第二話(十三)山小屋の夜
エリーとラビナが湯から上がり、山小屋に戻ったときは未だジュニアとアムリタは戻っていない。
アルンは、先に湯に入らせてもらう、と言い、出てゆく。
ラビナはやや安らいだ気分で横になる。
化粧は完全に落ちて、素顔となっている。
飴色のふわりとウェーブのかかった肩までの髪が、小さな丸い顔の輪郭を隠している。
大きく丸く垂れ下がった目が表情を幼いものにしている。
エリーは調理の続きを行っているようだ。
小麦粉が焼けるような匂いがし、食欲をそそる。
ラビナはエリーのことを不思議な娘だと思う。
自分が小銃で撃ってしまったとは言え、エリーの敵対するものを排斥しようとする態度には凄まじい迫力があった。
心底、殺されると感じた。
ラビナは今でもエリーが怖いと思う。
この怖さは体の中を弄られ、死の縁まで追いやられた者でなければ判らないだろう。
単に触れられただけで瀕死となってしまう魔法をいとも簡単に操る魔女。
ラビナは殺せるものならば今のうちに殺しておくのが正解だとさえ思う。
エリーの魔法は空間を操る系統と恐らく死霊系の魔法の混成だとラビナは予測している。
エリーはラビナの傷や自分の傷を治してはいるが、実際は人体を破壊する為の魔法なのだろう。
ラビナにはエリーの禍々しい魔法がまっとうな魔法系統には見えなかった。
悍ましい、禁呪である。
死霊系魔法は対象の在りかたを変えてしまう。
本来の使いかたであれば相手を即死に追い込ことも可能であるはずだ。
だが、エリーは非常にまどろっこしい使いかたで戦っていた。
それが手加減なのか制約なのかはラビナには判らない。
判らないが、空間を操る魔法とのコンビネーションでラビナは赤子の手を捻るようにやられてしまった。
エリーの空間を操る魔法もその実、禁呪のはずだ。
禁呪であるはずだが、ラビナの見るかぎりひどく限定されていて、五・六メートルの距離を弄っているところしか見たことがない。
それだけでも十分凄いものであるのだが、死霊系の魔法と組み合わされてしまうと、ラビナでは文字どおり手も足もでず地面に転がされてしまう。
ラビナは思う、悔しいがバランスは良い、と。
この魔女を倒すにはどうしたら良いだろうか。
やはり、油断しているところを後ろから銃で……。
そこでふっと我に返る。
何を考えているのだ、私は。
ラビナはやはり自分が正気ではないことを自覚せざるを得ない。
「ただーいまー」
ノックも無いまま扉が乱暴に開けられる。
アムリタが入ってきたのだ。
ノックくらいしようよ、と言いながらジュニアも入ってくる。
お帰り、とエリーが応じる。
「今、アルンが湯に入っている。
帰ってきたら食事にしよう」
エリーはジュニアとアムリタに言う。
「え、湯?
私も入りたい、入りたい」
アムリタはそう言って、小屋から出ていこうとする。
「アルンと一緒に入る気?
アムリタは良くても、アルンは困るんじゃないの?」
ジュニアはアムリタに慌てて声をかける。
あ、そっか、と言いアムリタは引き返す。
「エリーのごはん食べてからにする」
アムリタはジュニアとともに手前の部屋に上がる。
台所からは、ジャー、と音がし、美味そうな鳥肉の油で焼ける匂いがしてくる。
アムリタはじっと台所を窺う。
しばらくしてアルンが戻ってくる。
エリーは手前の部屋に料理の入った大皿を置く。
「食器はあるのだがナイフもフォークも無い。
だから手で食べてもらう」
エリーは皆におごそかに告げる。
「山鴨を焼いてみた。
山菜はアルンが採ってきてくれたものだ。
これも鳥の油で焼き、塩と香辛料で味付けしてある。
スープも鳥と山菜だ。
こっちは小麦粉を薄く焼いたものだ。
これで鳥と山菜を包んで食べてくれ」
エリーは説明するが皆、思い思いに食らいつく。
隣の部屋からラビナも四つ這いでくる。
「凄いね、エリー。
この鳥、捕まえたんだ。
小麦粉は街から持ってきたの?」
「鳥の油、山菜にあうね、美味い」
皆、飢えているようでかなりの量があった料理は見る見る消えていく。
「エリーの料理は美味しいなぁ」
アムリタは満足そうに笑う。
ジュニアも美味しかったよ、と言ってエリーを労う。
アルンとラビナも、ご馳走様、と言う。
「何か成果はあったのか?」
指に付いた油を舐めながらエリーはジュニアに訊く。
「うん、色々とね。
面白かったよ。
目を離したスキにアムリタが俺の自走キャリアに乗っていた」
ジュニアは楽しそうに応える。
エリーは、ほほう、乗れたのか? と言って目を細める。
「乗れていたけど、自走キャリアが可哀想だった」
ジュニアはアムリタを見ずにエリーに応える。
エリーは、食器を台所に下げつつ、明日私もチャレンジしよう、と呟く。
ジュニアも片づけるべく立ち上がりながら、それは止めてくれ、と小声で囁く。
「明日のお楽しみということで良いのだな?」
エリーは薄い笑みを浮かべながらジュニアに問いかける。
「うん、明日は皆で祭殿に行こう」
ジュニアは笑いながらエリーに応え、ね、というように皆を見下ろしながら誘う。
どうやらその皆にラビナとアルンが含まれているようだ。
「私たちは風の谷の祭殿とは無関係だと思うけれど、行っても良いの?」
ラビナは少し意外に感じたので確認する。
「どうせ、その足では山を下りるのは明後日以降だろう?
暇つぶしにはなると思うよ」
ジュニアはラビナに笑いかける。
「それに、ラビナ、君が無関係なのかは微妙だね。
今後君の協力が必要になってくるかも知れない」
ジュニアは付け足しながら、食器を持って外へ出ようとする。
アルンとアムリタはそれに続こうとする。
ラビナは自分が何を協力するのか皆目見当がつかない。
「アムリタ、いい。
食器は俺が洗っておく」
アルンはアムリタを制止し、残りの食器を抱える。
アムリタは、あら、そう、悪いわね、と微笑みながらあっさりアルンに譲る。
「では、私はお風呂を頂くわ」
アムリタは嬉しそうに言う。
「湯の竈の火は既に消えている。
手伝おう」
エリーはそう言い、二人は連れ添って外に出てゆく。
小屋にはラビナだけが残る。
ラビナは目を閉じ、そして意識が遠くなる。
あぁ、私は眠るのか、願わくは化け物の夢を見ないことを。
エリーが小屋に戻ったとき、ラビナは魘されて寝ていた。
エリーはラビナの顔を暫く見つめた後、小屋を出てゆく。
外は既に漆黒の闇が広がっている。
エリーは小屋から遠く離れた丘の上で、横笛を吹く。
陶器でできたフルートだ。
エリーはフルートを左に構え、吹く。
優しい緩やかなフルートの音色が山々に響き渡る。




