第五章第三話(一)かくして教師エリフは創られり
――崩壊歴四百十六年六月十六日午前九時
風の谷の祭殿、祈りの間に二人の男女が座る。
広く天井の高い広間だ。
長い板を張り合わせた床、広間の中央には大きな穴があいている。
その穴からは風が吹き上げている。
――ヒシューワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
風の音がする。
微妙に音色を変え続けながら止まることはない。
音は穴の向こう、壁沿いにある大きな無数のパイプから発生している。
パイプは左側が細く低く、右に行くほど太く長い。
一番左のパイプは高い天井まで達している。
女は両足を横に揃えて流し、直接床に座っている。
男は女を後ろから抱き締めるように座っている。
二人とも司祭のような白い服を着ている。
男はエリフという。
白銀の髪をした美しい容姿をしている。
女はサリー、輝くような金髪を後ろに束ね、前髪は眉下で一直線に切りそろえられている。
俯く女の顔は透き通るほど白く形の良い唇が固く結ばれる。
今は目を閉じているが気の強そうな美貌の女性だ。
男は二十歳代、女は十代後半に見える。
二人とも見た目どおりの年齢ではない。
エリフは二つ名を『白銀の魔法使い』という。
死して若い体に蘇ることのできる、ある意味不死の魔法使いだ。
彼の容姿が若いのは、数年前に斬殺され、その後蘇ったからだ。
サリーは時の魔法を持つ魔女だ。
時の魔法は血筋で受け継がれる。
サリーは草原の民の司祭、巫女の血筋、三姉妹の末に生まれた。
時の魔法は三姉妹共通の資質である。
その力は下にいくほど色濃く強い。
これが三女であるサリーが祭殿の巫女となった理由の一つだ。
「見えましたか?」
サリーは上気したように頬を染めて問う。
その表情は背後に居るエリフからは見えていない。
サリーは後ろから胸上に回されるエリフの前腕を下から逆手で握る。
傍から見ると恋人たちが睦んでいるように見える。
「彼がアウラ、二百年前に旅立った恒星船……、その中で誕生した奇跡の子……」
エリフは呟く。
サリーは時に関連するいくつかの魔法をもつ。
そのなかでも得意としているのは自らが過ごす時間を著しく遅くするものだ。
時の監視者としての資質である。
これは思考機械の人格との対話に役に立つ。
風の谷の祭殿は、失われた古代文明の遺跡、思考機械である。
人間の脳をエミュレートした思考機械はほぼ人間と同じ知能を持つ。
つまり風の谷の祭殿は人格を持った思考機械と言える。
「思考機械は人間の二十五分の一の速度でしか思考や発話ができない……」
エリフは唸るように言う。
エリフはサリーにより幼いアウラという少年の映像を見せられた。
サリーの思念を共有したのだ。
加速する恒星船の中、母親と別離した七歳の少年が一人で居る。
「私はアウラが不憫でならないのです。
私は祭殿の声の求めに従い、アウラの話し相手になってきました。
しかし、祭殿の声はアウラに対して遅れ続けています。
アウラの母、パイが居るうちはそれでもなんとかなっていたそうです。
しかし今はもうパイは傍に居ません。
そして頼りの思考機械も返事が遅くなり、アウラの精神状態は危険な状況なのです」
サリーはエリフに抱き締められたまま、背後のエリフに説く。
恒星船は亜光速で宇宙空間を飛ぶ。
亜光速で飛ぶ恒星船の中の時間経過は静止観測系、例えば地球からみて著しく遅くなる。
恒星船の速度が光速に近うちは、思考機械の伝達速度、発話速度の遅さは問題にならない。
しかし恒星船が速度を落としてゆくに従い中の時間経過は地球時間に近付いてゆく。
こうなると思考機械の発話速度の遅さは即ち、アウラとの意思疎通を阻害する原因となる。
「なるほど……、しかしアウラは状況を理解しているように見えるが?
それに母親からの手紙は定期的に届くのだろう?」
惑星アスラに居るパイパイ・アスラは夢幻郷、光の谷にある思考機械と意思疎通ができる。
直接アウラと話すことはできないが、手紙の形でアウラと情報交換することは可能である。
著しく遅い伝達速度であるが、互いの言葉を思考機械が伝達する。
母親からの言葉は思考機械がアウラの読める形に表示するわけだ。
エリフにはサリーの見せるアウラの様子が言うほど危険であるようには見えなかった。
間延びした思考機械の発話に対する受け応えは異常なものではない。
ただし確かに何か苛ついているような、諦めているような口調ではある。
「そうですね……、実際のところは私にもよく分かっていません。
しかし祭殿の声は酷く心配しているようです」
サリーは目を閉じたまま応える。
サリーは自らの体感時間を遅くすることにより風の谷の思考機械と直接対話を行う。
それが彼女の年齢に比べて見た目を若いものにしている理由である。
十二年前、彼女が十三歳のとき、下の姉ソナリから巫女の代役を引き受けた。
そこから彼女は思考機械との対話を行っている。
つまり、彼女の暦上の年齢は二十五歳であるのだが、実際の体感する年齢は若干十八歳にしかならない。
ふーむ……、エリフは考える。
カラクリは大体分かった。
恒星船の中でアウラは生まれた。
アウラを単独で育てることができなかった母親、パイパイ・アスラは窮余の一策として夢幻郷に侵入した。
そこで現実世界の風の谷、夢幻郷の光の谷に跨って存在する思考機械の人格に出逢い、助けを求めた。
亜光速で飛ぶ恒星船の中、時間経過は遅く、思考機械の思考速度、発話速度の遅さは特に問題とならない。
以後、思考機械はアウラの成育に関与していく。
パイパイ・アスラは旅程半ばでの減速を決意する。
アウラを地球に送り返すためだ。
減速することにより恒星船の中の経過時間は静止観測系に近付いてゆく。
思考機械との意思疎通は難しくなってゆくが、母親が居るうちは問題がない。
しかし宇宙空間で母親と別れ、地球に向かって加速を始める。
そして今、アウラは一人恒星船の中にいる。
七歳の子が誰も居ない無機質な部屋に一人取り残されている。
エリフは恐怖を感じる。
「確かになんとかしなければならないね」
エリフはサリーを抱く腕に力を入れる。
「ああ、エリフ様……、貴方は私たちの救世主です。
私たちの集落を流行り病からお救い頂いた……。
それだけでなくアウラもまた救われます。
有難うございます……、本当に有難うございます」
サリーの声は熱を持って響く。
――ブオォォォ……
パイプから風の音が聞こえる。
「早くシステムを構築しなくてはならないね。
未完でも良いから、早く意思疎通できるようにしなければ……」
エリフは思考速度を落とし、思考機械と会話する。
サリーもエリフと思考機械の意思疎通を手助けする。
「今ある『乳母サリー』という人格とは別に、『教師エリフ』という人格を創ろう。
ここ数カ月は手紙でのやり取りになるが、恒星船は加速し続ける。
直ぐに実時間での会話ができるようになるだろう。
それまでのあいだに『教師エリフ』をアップデートすれば良い」
――シュルルーァァァァァ
パイプからの音が高く賑やかなものになる。
「では手紙を書く。
サリーありがとう、手紙と言っても喋るだけだから君は戻って休んでおくれ」
エリフはそう言ってゆっくり喋りだす。
――初めましてアウラ、私はエリフ
――私はサリーのともだち、君のともだちだよ
――仲良くしてくれると嬉しい
――今はまだ私はゆっくりしか喋れない
――だから手紙を書いているんだ
――でも待っていて、少しずつ早く喋れるようになるから
――きみの喋る声は聞こえているからゆっくりお話しして欲しい
サリーは目を開け、体を捻りエリフの顔を見る。
サリーは愛おしそうにエリフを抱擁し、静かに立ち上がる。
そして目礼し、出口に向かって歩き出す。
サリーの背後にはエリフの声がいつまでも続く。




